Twitterの方でちょっと話題になっていたこともあり、ここんところずっとスピッツの「春の歌」を聞いていたのですが、歌詞を読めば読むほど今の日本の状況とシンクロしすぎてて怖いです…… (「春の歌」歌詞についてはこちらを参照)折良く(折悪しく?)春がテーマになっていることはもちろん、「実はまだ始まったとこだった」とか「『どうでもいいとか』 そんな言葉で汚れた心 今放て」といったフレーズが見事に今の状況に当てはまってるように思えて仕方がありません。
ただ実のところ、この楽曲が発表されたのが2005年の春ということなんで、本来は今回の震災とは全く関係のない歌であったわけなんですが……
しかしよくよく考えてみれば、元来詩や歌というのはそういうものだったのかもしれません。元々の詩のテーマから離れ、その時々の状況に合わせて違う文脈で解釈されるものであったと。要するに何が言いたいのかというと、『詩経』や『楚辞』の詩もそういうものであったのかもしれないということですね。先日読んだ「Herbs and Love songs」(『立命館文学』第619号)という論文がまさにその問題について論じていました。
だから『詩経』の詩なんてのは、その詩がその時々でどういう文脈で詠まれたのかが重要なのであって、その詩の本来の意味とかテーマを詮索することはさして意味のない行為かもしれないなあと思った次第です。
ただ実のところ、この楽曲が発表されたのが2005年の春ということなんで、本来は今回の震災とは全く関係のない歌であったわけなんですが……
しかしよくよく考えてみれば、元来詩や歌というのはそういうものだったのかもしれません。元々の詩のテーマから離れ、その時々の状況に合わせて違う文脈で解釈されるものであったと。要するに何が言いたいのかというと、『詩経』や『楚辞』の詩もそういうものであったのかもしれないということですね。先日読んだ「Herbs and Love songs」(『立命館文学』第619号)という論文がまさにその問題について論じていました。
だから『詩経』の詩なんてのは、その詩がその時々でどういう文脈で詠まれたのかが重要なのであって、その詩の本来の意味とかテーマを詮索することはさして意味のない行為かもしれないなあと思った次第です。