山田康弘『戦国時代の足利将軍』(吉川弘文館歴史文化ライブラリー、2011年7月)
戦国時代の足利将軍は有名無実の存在などではなく、大名に対してなお相応の影響力を発揮しており、大名の側も領国での在地化を進めながらも、なお足利将軍の権威を必要としていたというのが本書の主旨。
日本の戦国時代を語るのに「国連」とか「国際政治」、「リベラリズム」や「コスモポリタニズム」といったキーワードがポンポン出て来るあたり、かなり異色ですが、従来の戦国時代史は「分裂」や「群雄割拠」という側面を強調しすぎていたという主張には賛同できます。室町幕府という前提があってはじめて江戸幕府や「徳川の平和」が生まれてくるという発想はごく自然なものであると思います。
また一口に乱世とは言っても、南北朝時代なんかと比べると戦国時代にはまだ秩序への志向のようなものが感じられるのも事実。戦国時代はやっぱり近世への入り口だったんだろうなと思うわけです。
更に日本に限らず、中国の東周期、特に春秋時代の周王も戦国時代の足利将軍と同じような役割を担っていたのではないかとか、本書を読みつつ色々なことを考えさせられました。
戦国時代の足利将軍は有名無実の存在などではなく、大名に対してなお相応の影響力を発揮しており、大名の側も領国での在地化を進めながらも、なお足利将軍の権威を必要としていたというのが本書の主旨。
日本の戦国時代を語るのに「国連」とか「国際政治」、「リベラリズム」や「コスモポリタニズム」といったキーワードがポンポン出て来るあたり、かなり異色ですが、従来の戦国時代史は「分裂」や「群雄割拠」という側面を強調しすぎていたという主張には賛同できます。室町幕府という前提があってはじめて江戸幕府や「徳川の平和」が生まれてくるという発想はごく自然なものであると思います。
また一口に乱世とは言っても、南北朝時代なんかと比べると戦国時代にはまだ秩序への志向のようなものが感じられるのも事実。戦国時代はやっぱり近世への入り口だったんだろうなと思うわけです。
更に日本に限らず、中国の東周期、特に春秋時代の周王も戦国時代の足利将軍と同じような役割を担っていたのではないかとか、本書を読みつつ色々なことを考えさせられました。