張紀中版『西遊記』第55~最終60話まで見ました。
鳳仙郡の一件が解決した後、一行は玉華国へ。そこで3人の王子に悟空・八戒・悟浄が師匠となって武芸を教えることになりますが、3人の武器が夜な夜な妖怪に盗まれるという事件が発生。妖怪の巣の豹頭山虎口洞に乗り込んで武器を取り戻す悟空らですが、今度はその妖怪の親分で九頭の獅子である九霊元聖に唐僧や玉華国の国王父子が攫われてしまいます。
九霊元聖の正体は太乙救苦天尊の乗騎でしたが、実は九霊元聖を下界に逃したのは、「最近あいつら調子に乗ってね?ここらでひとつヤツらをシメとこうぜ!」という玉帝の意を承けた太白金星だったのでしたorz
ついで一行は金平府へ。悟空は街の観灯会に現れた観音菩薩ら3人の菩薩が犀牛精の化けた偽物だと見破りますが、その犀牛精に唐僧を攫われてしまったうえ、自分達の信仰する菩薩が妖怪だと言われても信用せず、逆に悟空らを妖怪扱いする街の人に襲われたりと、散々な目に。悟浄も「よく考えたらヤツら、これと言って悪いことしてないんすよね。むしろ街の人のために旱魃の時に雨を降らせたりといいことをしているのでは……」と戸惑い始めます。
しかし悟空は犀牛精の天敵の四木禽星を天界から連れて来て彼らを追い詰め、最終的に自害まで追い込みます。街の人々は犀牛精の遺体を見せられて菩薩の正体が妖怪だと暴露されても彼らのために嘆き悲しみ、悟空らは苦い思いを噛みしめつつ街を後にするのでした。
で、いよいよ天竺に入った一行。天竺国の偽王女の正体を暴いたり(その正体は嫦娥に仕える月のウサギ)、寇員外の殺害容疑者にされてしまったり(どう見てもインド人の姿格好なのに寇員外とか言われても困ってしまいますが……)しつつ、仏祖の待つ大雷音寺へと到着。そして仏祖から経典を授けられ、唐の太宗のもとに持ち帰ったのでした。下の画像は唐僧が太宗とともに説法を行っている場面ですが……

3年前に見た西安の法門寺の参道を思い出させる構図です(^^;)

中国人のイメージする極楽浄土というのがそういう感じなのねと得心した次第です。
【総括】
ということで唐僧一行の長い旅もようやく終わったわけですが、取り敢えず原典通りに話を進めるという方針が悪い方向に出ちゃったなあと…… 『西遊記』は四大奇書の中でも一番原典通りにやってはいけない作品なのではないかという印象すら受けました。
なるべくアレンジを加えずに原典通りにやるという方針になったのは、おそらく数年前に日本の香取慎吾主演のドラマ『西遊記』が原典を尊重していないということで、大陸で猛烈なバッシングを受けたことが影響しているのではないかと思われます。しかし実際のところ、中華圏のいつもの『西遊記』、すなわち「大鬧天宮」の話が全体の半分近くを占めていたり、唐僧や八戒が決してメインキャラではないドラマの方が見ていて面白いですよね(´・ω・`)
鳳仙郡の一件が解決した後、一行は玉華国へ。そこで3人の王子に悟空・八戒・悟浄が師匠となって武芸を教えることになりますが、3人の武器が夜な夜な妖怪に盗まれるという事件が発生。妖怪の巣の豹頭山虎口洞に乗り込んで武器を取り戻す悟空らですが、今度はその妖怪の親分で九頭の獅子である九霊元聖に唐僧や玉華国の国王父子が攫われてしまいます。
九霊元聖の正体は太乙救苦天尊の乗騎でしたが、実は九霊元聖を下界に逃したのは、「最近あいつら調子に乗ってね?ここらでひとつヤツらをシメとこうぜ!」という玉帝の意を承けた太白金星だったのでしたorz
ついで一行は金平府へ。悟空は街の観灯会に現れた観音菩薩ら3人の菩薩が犀牛精の化けた偽物だと見破りますが、その犀牛精に唐僧を攫われてしまったうえ、自分達の信仰する菩薩が妖怪だと言われても信用せず、逆に悟空らを妖怪扱いする街の人に襲われたりと、散々な目に。悟浄も「よく考えたらヤツら、これと言って悪いことしてないんすよね。むしろ街の人のために旱魃の時に雨を降らせたりといいことをしているのでは……」と戸惑い始めます。
しかし悟空は犀牛精の天敵の四木禽星を天界から連れて来て彼らを追い詰め、最終的に自害まで追い込みます。街の人々は犀牛精の遺体を見せられて菩薩の正体が妖怪だと暴露されても彼らのために嘆き悲しみ、悟空らは苦い思いを噛みしめつつ街を後にするのでした。
で、いよいよ天竺に入った一行。天竺国の偽王女の正体を暴いたり(その正体は嫦娥に仕える月のウサギ)、寇員外の殺害容疑者にされてしまったり(どう見てもインド人の姿格好なのに寇員外とか言われても困ってしまいますが……)しつつ、仏祖の待つ大雷音寺へと到着。そして仏祖から経典を授けられ、唐の太宗のもとに持ち帰ったのでした。下の画像は唐僧が太宗とともに説法を行っている場面ですが……

3年前に見た西安の法門寺の参道を思い出させる構図です(^^;)

中国人のイメージする極楽浄土というのがそういう感じなのねと得心した次第です。
【総括】
ということで唐僧一行の長い旅もようやく終わったわけですが、取り敢えず原典通りに話を進めるという方針が悪い方向に出ちゃったなあと…… 『西遊記』は四大奇書の中でも一番原典通りにやってはいけない作品なのではないかという印象すら受けました。
なるべくアレンジを加えずに原典通りにやるという方針になったのは、おそらく数年前に日本の香取慎吾主演のドラマ『西遊記』が原典を尊重していないということで、大陸で猛烈なバッシングを受けたことが影響しているのではないかと思われます。しかし実際のところ、中華圏のいつもの『西遊記』、すなわち「大鬧天宮」の話が全体の半分近くを占めていたり、唐僧や八戒が決してメインキャラではないドラマの方が見ていて面白いですよね(´・ω・`)