『大明風華』第43~52話まで見ました。
即位10年、宣徳帝が病没。若微が生んだ祁鎮は言葉が喋れず、骨が弱く立って歩くこともできません。後継の座が危ぶまれたところで土壇場で立ち上がって言葉を発し、皇位をガッチリつかみます。すなわち英宗です。
皇帝になってからの英宗は病弱設定も何のその、祖母の張太皇太后に甘やかされ、幼くして暗君としての資質を示し始めますw
そして成長した英宗。もう母親の言うことも聞きません。
幼い頃からのお気に入りの宦官・王振。若くして蓄財に励み、後輩の宦官や大官たちを「幹児子」にして朋党を形成し、朝政にも影響力を発揮し始めます。
そして北方では太皇太后の弟の張克倹がコネ人事でモンゴル族との互市の責任者として派遣されるも、現地で略奪、殺人などの横暴を働き、エセン・ハン配下の女戦士・其木格によって捕らえられ、モンゴル族の総意により処刑。
英宗は大叔父の敵討ちとばかりに、50万の大軍を動員してオイラートへの親征を敢行。これはもう止められないと、孫若微も「勝てなくても見識は広められるだろう」と観念し、親征を承諾します。いや、修学旅行とかじゃないんですから……
そして英宗は王振から彼の故郷の話を聞いて興味を持ち、その故郷の村に立ち寄ろうと進軍ルートを変えたところ、隙を突かれてオイラートに急襲され、其木格の捕虜となります。いわゆる「土木の変」です。ちなみに王振ですが、オイラートに包囲された際に「このままだと皇上に諫言してもオイラートに徹底抗戦してもどっちにしろ死ぬ。ならばいっそ」とヤケクソになった将軍・陳文栄によって、英宗の目の前で撲殺されました。
事態を知った孫若微は、取り敢えず胡善祥所生の祁鈺(後の景泰帝)を引き取りますが、妻ともども母親に手荒く扱われっぱなしでどうにも頼りない……
その一方で若微は重臣の一部や皇族を南京に退避させ、自身は楊士奇ら「三楊」、于謙といった重臣たちとともに紫禁城に居残り、オイラートとの徹底抗戦に臨みます。無気力となった英宗を捕虜として引き連れ、紫禁城に迫るオイラートに対し、明軍は紅衣砲と山東からの援軍によって侵攻を食い止めますが、皇帝の不甲斐ない姿に将兵の士気の低下は避けられず、若微は于謙から重大な決意を迫られ……
即位10年、宣徳帝が病没。若微が生んだ祁鎮は言葉が喋れず、骨が弱く立って歩くこともできません。後継の座が危ぶまれたところで土壇場で立ち上がって言葉を発し、皇位をガッチリつかみます。すなわち英宗です。
皇帝になってからの英宗は病弱設定も何のその、祖母の張太皇太后に甘やかされ、幼くして暗君としての資質を示し始めますw
そして成長した英宗。もう母親の言うことも聞きません。
幼い頃からのお気に入りの宦官・王振。若くして蓄財に励み、後輩の宦官や大官たちを「幹児子」にして朋党を形成し、朝政にも影響力を発揮し始めます。
そして北方では太皇太后の弟の張克倹がコネ人事でモンゴル族との互市の責任者として派遣されるも、現地で略奪、殺人などの横暴を働き、エセン・ハン配下の女戦士・其木格によって捕らえられ、モンゴル族の総意により処刑。
英宗は大叔父の敵討ちとばかりに、50万の大軍を動員してオイラートへの親征を敢行。これはもう止められないと、孫若微も「勝てなくても見識は広められるだろう」と観念し、親征を承諾します。いや、修学旅行とかじゃないんですから……
そして英宗は王振から彼の故郷の話を聞いて興味を持ち、その故郷の村に立ち寄ろうと進軍ルートを変えたところ、隙を突かれてオイラートに急襲され、其木格の捕虜となります。いわゆる「土木の変」です。ちなみに王振ですが、オイラートに包囲された際に「このままだと皇上に諫言してもオイラートに徹底抗戦してもどっちにしろ死ぬ。ならばいっそ」とヤケクソになった将軍・陳文栄によって、英宗の目の前で撲殺されました。
事態を知った孫若微は、取り敢えず胡善祥所生の祁鈺(後の景泰帝)を引き取りますが、妻ともども母親に手荒く扱われっぱなしでどうにも頼りない……
その一方で若微は重臣の一部や皇族を南京に退避させ、自身は楊士奇ら「三楊」、于謙といった重臣たちとともに紫禁城に居残り、オイラートとの徹底抗戦に臨みます。無気力となった英宗を捕虜として引き連れ、紫禁城に迫るオイラートに対し、明軍は紅衣砲と山東からの援軍によって侵攻を食い止めますが、皇帝の不甲斐ない姿に将兵の士気の低下は避けられず、若微は于謙から重大な決意を迫られ……
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