ウィリアムのいたずらの、まちあるき、たべあるき

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データの経済学(データバブルの到来)

2009-05-18 16:50:00 | Weblog

 この前書いたクラウドとユビキタスの関係をそろそろまとめたほうが、よくね?のつづき。

 前の話は、クラウドとユビキタスが発展すると、どこで処理するかという技術的な問題はなくなってきて、最終的には、どこで計算して、データをもつのが経済的か?という話になるってことだった。

 で、ここで問題なのだが、そもそも、データを持っていることが、経済的に理にかなうことか?という問題が出てくる。




 経済的に考えると

  データが生み出す価値  > データを保持するのにかかる費用

 のときに、データを持っているのが意味があり、データ保持にお金がかかれば、持っている意味はないということになる。

 たとえば、4月10日、午前8時20分に、中央線四ッ谷駅からウィリアムのいたずらが乗車した
 というデータがあったとしよう(架空データです。8時20分は、いつも、「まいにち中国語」を聞いてます。

 このデータ、何年間も保持しているとすると、CDまたはハードディスクに入れたり、それなりの費用がかかる。
 で、このデータが、なにかを生み出すかというと・・・なんか分析したときには役立つだろうけど、さして今重要でない。
 そーすると、データが生み出す価値は、データマイニングとかすれば価値があるかもしれないけど、まあ、そんなに価値はないデータだ。

 一方、年金を収めたデータなんていうのは、価値がある。そのデータがなくなったら、年金の調査をしなくちゃいけないし・・・
 そー言うデータは、是が非でも保持しないといけない。ただし、すぐに出てくる必要はないかもしれない。




 こーやって考えると、データには、価値を生み出すもの、保存しなきゃいけないものと、そうでないものがある。

 ここで問題なのは、爆発的に増えている動画データだ。
 そのうちの一部は、価値あるデータだが、著作権違反のデッドコピーの価値ないデータ(オリジナルさえあればOK)なんていうデータや、だれーもみてない動画データなどもある。

 このようなあまり価値のない動画データが急速に増えると、そのデータを保持しておくためのディスクがひつようになる。
 結果として、データが生み出す価値以上に、データ保存のために投資しないといけなくなる。

 これをデータバブルとよぼう。

 これの問題は、

  データが生み出す価値  < データを保持するのにかかる費用

 なのだから、データが増えて、どんどん投資しても、その投資を回収できる見込みがないことだ。

 しかし、そのような価値ないデータ(ごみデータ)は、どんどん増えていく。いつかは爆発することだろう。




 この問題は、錯覚しやすい

 というのも、クラウドにデータを追いやってしまうと、データがなくなったような気がする(いや、クラウド上にデータはあるんだけどね)
 記憶媒体が安くなったら、データ保持費用が下がるので、どんどんデータを入れていいような気がする(けど、ものには限度がある)

でも、それは、「データを保持するのにかかる費用」が安くなったというだけで、安くなった分、データを生み出してしまえば、また変わらなくなる。

次回は、このデータの経済性という視点から、クラウドについて、捉えなおしてみたい。



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