9月12日 第2次発掘調査見学会 雨で中止
その変わりは10月3日 13時から御野公民館で説明会が行われる。
多分福山市の学芸員Hさんも関係されているから現地説明も期待できそう。
雨で中止にもかかわらず、もし説明会があったらと仕事帰りに現地へ行った。
そこには広島から来られた人もおられたのでS学芸員さんの特別な計らいで説明をして貰えた。1次調査のときは説明前にブログ掲載は禁止されていたが今回は許可してもらえた。

9月10日の中国新聞記事

全体地図

詳細地図
今回も興味があったから
早くから撮影ご遠慮下さいと言われながらかくれ撮り

8月16日

8月24日

お宝画像
記録を残していた。
さて、本日の現地は

ここから先は写真を見てもらうだけ




本日もらったパンフから
御領遺跡は南北1.4km 東西1.6km に広がる遺跡で
遺跡の北側は備後国分寺があり、古代山陽道の通過地点でもあった。
南は高屋川の氾濫域近く、東は上御領まで続き、西は堂々川氾濫域の下流と予想される。
時代は縄文時代後期後半頃(約2000年の前)の円形住宅跡1軒他、
弥生時代の井戸1基、溝状遺構1条他、古墳時代の竪穴住居跡6軒等が確認できた。
この地は太平洋戦争前後に瓦の材料の粘土採取がおこなわれており遺跡の上部が多少壊されていたようだ。
又今回の調査では弥生後期の堀にかけた橋脚の1部と見られる木材もみつかり
当時の土木技術水準を示す資料で全国的にも貴重だ。
こうして中身を見ていくと現判明では中国地方最大規模の弥生集落の可能性が出てきた。
この遺跡ももうすぐ国道486号の下に埋もれる。
我々が住むこの神辺町下御領にこんな遺跡が埋っていたなんて!
この縄文、弥生のロマンを何らかの形で残すことはできないだろうか。
世が世であれば堂々川ホタル源氏と呼ばれる可能性のある人から提案したい。
その変わりは10月3日 13時から御野公民館で説明会が行われる。
多分福山市の学芸員Hさんも関係されているから現地説明も期待できそう。
雨で中止にもかかわらず、もし説明会があったらと仕事帰りに現地へ行った。
そこには広島から来られた人もおられたのでS学芸員さんの特別な計らいで説明をして貰えた。1次調査のときは説明前にブログ掲載は禁止されていたが今回は許可してもらえた。

9月10日の中国新聞記事

全体地図

詳細地図
今回も興味があったから
早くから撮影ご遠慮下さいと言われながらかくれ撮り

8月16日

8月24日

お宝画像
記録を残していた。
さて、本日の現地は

ここから先は写真を見てもらうだけ




本日もらったパンフから
御領遺跡は南北1.4km 東西1.6km に広がる遺跡で
遺跡の北側は備後国分寺があり、古代山陽道の通過地点でもあった。
南は高屋川の氾濫域近く、東は上御領まで続き、西は堂々川氾濫域の下流と予想される。
時代は縄文時代後期後半頃(約2000年の前)の円形住宅跡1軒他、
弥生時代の井戸1基、溝状遺構1条他、古墳時代の竪穴住居跡6軒等が確認できた。
この地は太平洋戦争前後に瓦の材料の粘土採取がおこなわれており遺跡の上部が多少壊されていたようだ。
又今回の調査では弥生後期の堀にかけた橋脚の1部と見られる木材もみつかり
当時の土木技術水準を示す資料で全国的にも貴重だ。
こうして中身を見ていくと現判明では中国地方最大規模の弥生集落の可能性が出てきた。
この遺跡ももうすぐ国道486号の下に埋もれる。
我々が住むこの神辺町下御領にこんな遺跡が埋っていたなんて!
この縄文、弥生のロマンを何らかの形で残すことはできないだろうか。
世が世であれば堂々川ホタル源氏と呼ばれる可能性のある人から提案したい。
立派な遺跡が出ましたね。
考古学的に特に土木技術は類が無いので貴重価値がありそうですね。
このまま埋めてしまうのも勿体ない気もします。
いずれかの方法で観られるようになると良いですね。
自然さんのお力で何とか頑張って下さい。
それこそ男のロマンです。
↓の記事 蜂の一撃チクリと痛かったようですね。
それにしても不法投棄・・嫌がらせんみたいですので 警察に届けるべき行為です。
こんな三桁国道を整備する必要性がそもそもあるのでしょうか?
雨だったので行きませんでしたが、こうしてみると、縄文~弥生時代の住居跡があったとは、貴重な資料となるのでしょうね。
工事がストップしている486号線の延長作業はその発掘調査のあとまた再開して井原まで続くんですね。
神辺町下御領の遺跡、・・・・・・。
縄文、弥生のロマン、・・・・・・。
いいものですね。
大切に保存したいものですね。
2000年前なら弥生時代の初め頃と思いますが、出土物はどんなものがあるのでしょう?
神辺町は遺跡の多いところのようですね。
何故そこに多数が住んだのか、地の利に興味があります。
橋脚?どれ位の川幅で、またどれ位の道幅の橋がかかっていたのか知りたいですね。
以前にも拝見して書きましたが、調査が済んだら国道の下に埋もれるとは残念なことですね!!!
保存させる方向での提案、市民や文化人の声はお上に届かなかったのでしょうか?
調査が進んで大規模な遺跡なら三内丸山のように永久保存になるかも。三内丸山は総合運動場の工事現場からでした。吉野ヶ里も開発現場からでした。
もうウン十年前ウチの近くの高速道建設現場で遺跡が出てウチの奥さんが日雇いで働きました。小さな移植ゴテで気が遠くなるようなちまちました仕事をしていました。
興味湧きます。
そんな古い橋跡が残っている遺跡、初耳です。
古代から自然さんのあたり、
人が住みやすい地域だったのですね。
そこに古代の人々が生活していたという場所に立つと、
どんな心持ちがするものなんでしょう。
…国道になる。残念です。