謎が謎呼ぶ短歌の詠み方
時間をかけて周囲を探し、日本書紀までさかのぼり
多くの人の教えにより本日一つの結論にたどり着きました。
堂々川日本一の石積砂防の砂留、その砂留が崩落の危機に!
昨日の雨で又、砂留の内部の砂が流れ出し川は濁り、砂留を構成する石が落下している。

石が落ちて穴が開く

亀裂は数日前の5倍にも
早い時期に修理の対応がなされているから「あーだ、こうだと言うことなしに」
素直に「潼々谷餘滴」の解決問題に入ることが出来る。

この碑とある人の詠んだ歌について

裁判記録
「潼々谷餘滴」とは
明治26年に結審したこの地域の村々の境界を決めた裁判記録である。
その裁判記録では東の端がちょうどこの部分であると言う。
つまり堂々川の流れの中央部が境で結審している。
さて、歌の詠み方と歌の意味からこの場にあるのが妥当かを以下に検証する。
上の句
「安那の海は 彌砂の海と なりにけり
川とは見えず 埋る砂留」
この歌の出展は「西中條村誌」 作者「金尾直樹」で確定して良いと思う。
但し、歌の作者は90%「金尾直樹」と推定しているが
本人がある人と書いているから確定はできない。
推定した資料
①「安那の海は島とたヽへし シトミやま なみかせたヽぬ 月をみるかな」
金尾先生歌集の「福山八景」の中の一首が上記であり非常によく似ている。
②「西中條村誌」にも歌は多く挿入されているが他人の名前の場合はっきり記載されている。
どう見ても金尾先生作と思えるものはある人、誰か等と記載されている。
歌は普通『575 77』で作られる。
金尾先生の歌は初句はすべて 5文字であるから「安那」を「やすな」とは読めない。
しかも中の句も
「いやすなのうみと」の8文字も気になる。
「彌砂」を「いやすな」と読むか「やすな」と読むか
今でもある人は「いやすな」 地元のお年寄りは「やすな」と言われる。
字余りもありだが、この方の文章から見て
8文字ではなく7文字を選ぶ人だと思っている。
いつものようにこの歌に関する証拠写真を見てみよう。
彌砂砂留

彌田谷にある小さな砂留
当然上流は埋まっている
彌田谷から深水川に合流する地点

深水砂留が作る川原

深水古砂留が作る川原
歌の作者と推定している人の邸宅はここから100mほど下流
そして1kmを下らない平地の田圃はほとんど自分のもの。
こうして見ると歌の情景はまさしくここと思える。

現在も残る金尾邸の石崖
よしんば、堂々川がその対象とすると

5番砂留川原
五番砂留がそうだが二山も超えたこの場が明治時代の歌にはなりずらい。
又場面が変わって
23日御野小学校で学習発表会があり招待を受けた。
全校約350人の生徒が各学年にわかれてオペレッタや構成劇を披露した。

歌は広島県でもトップレベルで毎年表彰をされる。
6年生の構成劇の一幕には「堂々川今昔」が組み込まれ
砂留

潼々谷餘滴の歌を詠みあげた
堂々川で子供達がゴミ拾い、水質調査、勉強会等に参加したのが
受賞の大きな項目と新聞紙上では書かれているが
校長先生、学年の担任の先生他、ご父兄の皆さま(東京まで同行されたお母さん)
堂々川以外の多くの地元の人の支援があったからこそだが

文部科学大臣賞受賞
すばらしい功績を収めた。
改めて「おめでとうございます」申し述べます。
謎解きの答えであるが
「あなのみは やすなのうみに なりにけり かわとはみえず うもるすなどめ」
めでたく「575 77」で収まり明治時代の歴史がそのまま当てはまっている。
この読み方で「堂々川今昔構成劇」では詠んで貰うようお願いした。
この読み方については反対の方もあると思う。
ちなみにある冊子では
「やすなのうみは いやすなのうみに なりにけり かわとはみえず うもるすなどめ」
と振り仮名がうってあった。
それがどうした文句があるかと強引には言いません。反対の方、意見交換ををしたいです。
時間をかけて周囲を探し、日本書紀までさかのぼり
多くの人の教えにより本日一つの結論にたどり着きました。
堂々川日本一の石積砂防の砂留、その砂留が崩落の危機に!
昨日の雨で又、砂留の内部の砂が流れ出し川は濁り、砂留を構成する石が落下している。

石が落ちて穴が開く

亀裂は数日前の5倍にも
早い時期に修理の対応がなされているから「あーだ、こうだと言うことなしに」
素直に「潼々谷餘滴」の解決問題に入ることが出来る。

この碑とある人の詠んだ歌について

裁判記録
「潼々谷餘滴」とは
明治26年に結審したこの地域の村々の境界を決めた裁判記録である。
その裁判記録では東の端がちょうどこの部分であると言う。
つまり堂々川の流れの中央部が境で結審している。
さて、歌の詠み方と歌の意味からこの場にあるのが妥当かを以下に検証する。
上の句
「安那の海は 彌砂の海と なりにけり
川とは見えず 埋る砂留」
この歌の出展は「西中條村誌」 作者「金尾直樹」で確定して良いと思う。
但し、歌の作者は90%「金尾直樹」と推定しているが
本人がある人と書いているから確定はできない。
推定した資料
①「安那の海は島とたヽへし シトミやま なみかせたヽぬ 月をみるかな」
金尾先生歌集の「福山八景」の中の一首が上記であり非常によく似ている。
②「西中條村誌」にも歌は多く挿入されているが他人の名前の場合はっきり記載されている。
どう見ても金尾先生作と思えるものはある人、誰か等と記載されている。
歌は普通『575 77』で作られる。
金尾先生の歌は初句はすべて 5文字であるから「安那」を「やすな」とは読めない。
しかも中の句も
「いやすなのうみと」の8文字も気になる。
「彌砂」を「いやすな」と読むか「やすな」と読むか
今でもある人は「いやすな」 地元のお年寄りは「やすな」と言われる。
字余りもありだが、この方の文章から見て
8文字ではなく7文字を選ぶ人だと思っている。
いつものようにこの歌に関する証拠写真を見てみよう。
彌砂砂留

彌田谷にある小さな砂留
当然上流は埋まっている
彌田谷から深水川に合流する地点

深水砂留が作る川原

深水古砂留が作る川原
歌の作者と推定している人の邸宅はここから100mほど下流
そして1kmを下らない平地の田圃はほとんど自分のもの。
こうして見ると歌の情景はまさしくここと思える。

現在も残る金尾邸の石崖
よしんば、堂々川がその対象とすると

5番砂留川原
五番砂留がそうだが二山も超えたこの場が明治時代の歌にはなりずらい。
又場面が変わって
23日御野小学校で学習発表会があり招待を受けた。
全校約350人の生徒が各学年にわかれてオペレッタや構成劇を披露した。

歌は広島県でもトップレベルで毎年表彰をされる。
6年生の構成劇の一幕には「堂々川今昔」が組み込まれ
砂留

潼々谷餘滴の歌を詠みあげた
堂々川で子供達がゴミ拾い、水質調査、勉強会等に参加したのが
受賞の大きな項目と新聞紙上では書かれているが
校長先生、学年の担任の先生他、ご父兄の皆さま(東京まで同行されたお母さん)
堂々川以外の多くの地元の人の支援があったからこそだが

文部科学大臣賞受賞
すばらしい功績を収めた。
改めて「おめでとうございます」申し述べます。
謎解きの答えであるが
「あなのみは やすなのうみに なりにけり かわとはみえず うもるすなどめ」
めでたく「575 77」で収まり明治時代の歴史がそのまま当てはまっている。
この読み方で「堂々川今昔構成劇」では詠んで貰うようお願いした。
この読み方については反対の方もあると思う。
ちなみにある冊子では
「やすなのうみは いやすなのうみに なりにけり かわとはみえず うもるすなどめ」
と振り仮名がうってあった。
それがどうした文句があるかと強引には言いません。反対の方、意見交換ををしたいです。
自然さんの住む地域は、文化水準が高い^^
謎解きが無事に出来てよかったですね。
575 77の韻を踏むと 個人的にもそこに到達する思いが強いです。
合唱するにもその方が自然体に思われ 小学生の心に何時までも残ると思いました。
今日的に言えば何事も答えはひとつではないという説の中 ひとつの答えが出ておめでとうございました。
そして受賞おめでとうございました。
いい成果が出て何よりに思います。
砂留めの石の修復を早く実施されるといいですね。
先週のNHKののど自慢は福山市でした。
自然さんも出られるのではと期待しましたが・・。
形あるものは何時かは壊れる。
堂々川砂留もいつかはその時期がやってきます。
長持ちさせるには手入れ次第ですね。
子供たちが大勢で合唱してますね、一つに纏める先生は大変です。
一生懸命歌う姿を見ると感動します。
久しぶりに大きな砂留めを拝見させて頂きました。
画像も大きくなり迫力もあります。
こちらでは見られない自然の美しさを知る事が出来有り難いです。
子供さん達の大合唱、綺麗な歌声が聴こえてくるようです。
毎年表彰される・・・練習の賜物でしょうね。
いつも楽しませてくださり有難うございます。
ついに謎が、解かれました。
自然を尋ねる人さま、
もやもやがすっきりされたのですね~!
潼々谷餘滴の歌を詠みあげる小学生の凛々しい姿に
感動です!!
風土の景観にあらためて気づかれて、幸せな6年生です!
彌砂砂留をしみじみとながめさせていただきました。
砂留の崩れがさらに、気になります。
一日も早く修復が行われますように祈ります。
≫「潼々谷餘滴」とは
明治26年に結審したこの地域の村々の境界を決めた裁判記録である。
きっと貴重な資料なのだと思います。
昔の本はこうぞで漉き、引っ張っても消して敗れなかった。
私も≪葛飾にかかわりのある文士≫永井荷風の、一片を区の講座で受講してきました。
とても面白かったです。
http://www.geocities.jp/hgonzaemon/dannchoutei.html
安那は郡名ですね。弥は「いや」とも読みますから、あながち間違いともいえませんが。地名のようですが地名も長いあいだで変化して行きます。
どう読むかああだこうだというのが楽しいですね。
先ずは謎解き
>「あなのみは やすなのうみに なりにけり かわとはみえず うもるすなどめ」
とても解り易いですね。納得です。
自然さん説、○○説、諸説あって当然ではないでしょうか?
二つ目
小学生の堂々川への取り組みが文部科学大臣・大賞受賞おめでとうございます。
立派な後継者ができる事間違い無しですね~^^;*/
研究熱心な自然を尋ねる人さんには、ホント頭が下がります。
まずは短歌の詠み方、結論に達したようでよかったですね。
ご自分の足で歩いて、ご自分の目で確かめながら結論に辿り着く。
これって、本当に素晴らしいことだと思います。
お疲れさまでした!
そして小学校の受賞、おめでとうございます!
自然を尋ねる人さんたちのお力も、
かなり大きかったのではないでしょうか・・・
子供たちの澄んだ歌声が、こちらまで届くようです。
雨はどのくらい降ったのでしょう?
少しの雨でも砂が流れ出し穴が空いて亀裂が大きくなるのは、心配ですね。
自然さんの解説をお聞きしていて
金尾直樹氏は、自分のことなのである人と言ったと私も思います。
そして、歌の読み方は「あなのみは やすなのうみに・・・」が音として綺麗で素直なので、そちらかと思います(^^)
自然さんもご幼少の頃から堂々川についていろいろ学ばれていらしたのですか?
子供たちの多くがこういう教育で、堂々川や自分の育っている地域に興味を持っていってくれるといいですね。