写真はサンデー毎日緊急増刊号
見開きページ全面の写真は衝撃的だ
テレビ画像で見たことのあるような映像だが
写真でみるとあらためて津波の恐ろしさが増す
経済が沈んでしまうから自粛はよくないといわれ
だから踊れといわれても その気にはなかなかなれない
東京新聞の震災被災者の記事をネットで読んだ
「もう泣きません」といっているのが救われるが 切ない
その記事は↓
17歳一人でも泣かない 大家族6人不明、妹を葬送
東日本大震災で宮城県気仙沼市の高校三年、
三浦美咲さん(17)は両親と二人の妹ら七人の家族を失った。
一家で残ったのは自分だけ。市内の親戚宅で生活しながら、
思い出の物を探しにがれきと化した家に通う。
悲しみの底から三週間余り。
「前を向こう」と自分に言い聞かせている。 (佐藤夏樹)
三月十一日の震災発生時、
美咲さんは市内のショッピングセンターにいて難を逃れた。
揺れが来て津波に襲われるまでの短い間、
携帯電話で母の美江子さん(41)とメールを交わした。
「(自分は)大丈夫」と送ると、「どこにいたの?」と返ってきた。
ショッピングセンターにいたことを伝えた。それきりになった。
両親と二人の妹、祖父母と曽祖母の家族全員が
津波にのまれたらしいと聞かされた。
自分がおかしくなるぐらい泣いた。
叔母(47)の家に身を寄せた。
数日後、中三の妹美穂さんが遺体で見つかった。
残る六人は安否が分からない。
自宅に行ったが、跡形もない。周りの家も木くずになっていた。
母と妹と一緒に滑り台で遊んでいる写真が見つかった。
昨年、家族で牧場に行った時の一枚だ。 両親の婚約指輪、妹のランドセルもあった。
母のブレスレットは手首に巻いた。 涙が込み上げる。思い出がよみがえる。
父芳弘さん(43)はイチゴ農家。「家を継いでくれ」とよく言われた。
管理栄養士になる夢があり、渋った。「妹が跡取りになればいい」。
手伝いを頼まれても断った。「お父さん、ごめん」と今、謝る。
母は料理が上手だ。でも、照れくさくて「おいしい」と言えなかった。
「素直に伝えれば良かった」と悔やむ。最後のメールは消さないでいる。
六歳の妹美輝ちゃんは、美咲さんに懐いてそばを離れなかった。
「みーちゃん」と呼ぶ声が今も聞こえる。
二つ違いの美穂さんとはささいなことでけんかした。
「受験生なんだから勉強しなさい」と叱ることもあった。
自分と同じ高校を受けた。被災後に合格発表があった。
後輩になっていた。
美穂さんを二十一日に火葬した。
翌日に中学校の卒業式があった。代理で卒業証書を受け取った。
叔母さんは温かくしてくれる。友達は励ましの言葉を掛けてくれる。
カレンダーは四月になった。「もう泣きません。家族に顔向けできないから」
(東京新聞)