14日(火)は朝から雲が覆っていましたので、湿度が高く感じられても涼しい一日でした。
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▽ 毎朝出勤前恒例の撮影は、パラグライダーの初級コースに行き、上空からの上生坂方面の黄金色の水田風景などを撮影しました。
上生坂上空からの風景
当村は、犀川沿岸の段丘地の水田で、春から秋にかけて緑色から黄金色へと染まってゆく風景を見ることができますが、古くは水源の確保に大変悩まされていました。
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水田開発は、永年に亘る村民の悲願だったのです。記録によれば、江戸時代より、犀川からの引き水を何度も計画しましたが、当時の技術では上手くいかず、失敗・中止の繰り返しでした。
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明治の末になると、機械力によって揚水ができるようになり、この地域でも、開田工事と併せて上生坂の『揚水ポンプ』が設置されました。しかもこれは長野県で初めて設置された農業用のポンプだったとのことです。
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当時の揚水ポンプの原動機は、蒸気機関による歯車伝導で、燃料には石炭を使い、吸水約4.2mを含め全揚程11.4mでした。この設置工事は大正元年10月に着手され、翌年6月5日、大勢の人々に見守られる中で試運転が行われ、当時の記録によると、試運転は大変劇的なものであったそうです。
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現在、生坂村では、13ヵ所の揚水機場が設置されており、犀川の水を台地の水田や畑に汲み上げることで、水稲や果樹などの栽培が盛んに行われています。昔から現在へと、古き良き農村を守る、地域の大切な一風景となっています。
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私は、朝礼後振興課関係の業務開札を行った後、前日一般質問の答弁書を提出した内容の再チェックと再質問への準備、閉会の挨拶の作成などを行いました。
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生坂村では、小学校でALT、振興課関係業務開札、議員研修会などが行われました。
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▽ 毎朝出勤前恒例の撮影は、パラグライダーの初級コースに行き、上空からの上生坂方面の黄金色の水田風景などを撮影しました。
上生坂上空からの風景
当村は、犀川沿岸の段丘地の水田で、春から秋にかけて緑色から黄金色へと染まってゆく風景を見ることができますが、古くは水源の確保に大変悩まされていました。
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水田開発は、永年に亘る村民の悲願だったのです。記録によれば、江戸時代より、犀川からの引き水を何度も計画しましたが、当時の技術では上手くいかず、失敗・中止の繰り返しでした。
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明治の末になると、機械力によって揚水ができるようになり、この地域でも、開田工事と併せて上生坂の『揚水ポンプ』が設置されました。しかもこれは長野県で初めて設置された農業用のポンプだったとのことです。
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当時の揚水ポンプの原動機は、蒸気機関による歯車伝導で、燃料には石炭を使い、吸水約4.2mを含め全揚程11.4mでした。この設置工事は大正元年10月に着手され、翌年6月5日、大勢の人々に見守られる中で試運転が行われ、当時の記録によると、試運転は大変劇的なものであったそうです。
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現在、生坂村では、13ヵ所の揚水機場が設置されており、犀川の水を台地の水田や畑に汲み上げることで、水稲や果樹などの栽培が盛んに行われています。昔から現在へと、古き良き農村を守る、地域の大切な一風景となっています。
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私は、朝礼後振興課関係の業務開札を行った後、前日一般質問の答弁書を提出した内容の再チェックと再質問への準備、閉会の挨拶の作成などを行いました。
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生坂村では、小学校でALT、振興課関係業務開札、議員研修会などが行われました。