今年は例年に比べ雪が少ないそうだ、と言ってたら日本海側はドカ雪!
でも早咲の梅の花は咲基久しぶりにカメラを持ち出し沈胴式標準電動ズームレンズ
LUMIX G X VARIO PZ 14-42mm / F3.5-5.6 ASPH. / POWER O.I.S.に
マクロコンバージョンレンズを付けて春の匂いを撮って見ました。
春模様です・・・・
現在は回復していますが、最近の寒さは実に凄い、急に寒くなりすっかり筆者も風邪で病院通い・・・・
山の様な薬を頂き、静養しています・・実に暇なのである。
最初は本も読む元気もありませんでしたが 少し良くなると、先ずは本など・・・・
今の悩みは拙宅のパワーアンプはどれが最適であるか? 今のアンプがいいのか、
管球のアンプが心地よく聴けるかが知りたいですね!
でも管球の球の音の安定度合いが無いので、球により音が違うために良い球を見つけるのも至難の業かもしれない。
現在筆者はLINN LK100と
Aurex SC-M15/SC-M15KをBTL接続でモノラルパワーアンプとして使用していますが 臨場感と言う点に於いては、
LINNが優れ、単純の音はAurexが綺麗ですので、
ラルフ・カークパトリック 独特のあのパラパラ感の音はAurexが優れ、
ボブ・ファン・アスペレン等はLINNが臨場感があり、優位である。
全く難しい問題ですが、これがオーディオの醍醐味かも知れません、
癖のあるアンプも興味はあるが、それはスピーカーを変えて場合で、
現在はなるべく癖の無い癖のアンプが良いかも知れません。
よく聞く音楽は圧倒的にバッハのチェンバロ曲がおおくなっております。
基本になるCembalo(チェンバロ:ドイツ語)は、Harpsichord(ハープシコード:英語)、
Clavecin(クラヴサン:フランス語)、Clavicembalo(クラヴィチェンバロ:イタリア語)とも呼ばれることがあります。
チェンバロの起源は明らかではありませんが、1397年に書かれた書物にチェンバロについて記載されていることから、
少なくとも600年以上の歴史があるものと考えられます。 バロック時代(1600~1750年)の全盛期には、
宮廷音楽に用いられ、とても華やかに時代を彩りました。
しかし18世紀末になると、ピアノの発明と急速な発展により、チェンバロの人気は衰えていきます。
ラルフ・カークパトリックの事を考えて見ました。
Bach / Ralph Kirkpatrick, 1959: Prelude and Fugue in C major (BWV 846) - WTC Book 1
カークパトリックの鍵盤技巧やそのレパートリーは完璧なものであった。著名な演奏家も含め、
一体何人のハープシコード奏者が真にクラヴィコードをマスターしていたと言えるだろうか?
そして何人がリストのロ短調ソナタについて演奏会レベルの解釈を施すことが出来ただろう。
カークパトリックはそういったハープシコードを時によっては三台所有していたが、
その中の一台はかつてフルッチョ・ブゾーニの所有 になるものだった。
現在それらのうち二台は、ドルメッチの1932年製クラヴィコードとともに、
彼が1940年から失明で引退を余儀なくされた 1976年 まで教壇に立っていたイェール大学の楽器コレクションに収まっている。
残念なことに、大部分はモダン・タイプの楽器によってなさ れており、これが故に、
今やピリオド楽器の音に慣れ親しみかつそれを信奉する若い世代が録音で彼の演奏を鑑賞する妨げとなっている。
フォルテピアノの場合 について言えば、カークパトリックはもっと不運な状況にある。
ウィーン古典派の音楽を現代のコンサート・グランドピアノで演奏することに困難を憶えた彼 は 、
とある天才的技術者が製作した見るからに合成ものの「ハンマークラヴィア」を手なずけようと十年を費やした挙げ句、
モーツァルトの生誕二百周年に敬意を表して(と彼は皮肉まじりに表現している)1956年にこれを完全に諦めている。
これらの著作、およびバッハの手になる全ての鍵盤作品および選び抜かれた七十五曲の
スカルラッティ・ソナタを含む 彼のハープシコードおよびクラヴィコードによる録音は、実に豊かな遺産である。
筆者が初めてアルフィーフレコードで聴いたBWV 988の印象は、
J. S. Bach - Goldberg Variations BWV 988 (Ralph Kirkpatrick, harpsichord)
何ともパラパラした感じの、まるで「インディカ米」みたいだな音です。
音それと他の演奏と音質が違い当にパラパラ演奏なんですが、何度も聴く内に一つ一つの声部が完全に対等平等で、
いくつもの線が絡まりあって音楽を構成していく様は実に見事であり、聞いていて一種の生理的快感さえ覚えます。
ラルフ・カークパトリック 詳しいことは分かりませんが、
おそらくこの演奏で使っているチェンバロは、 ランドフスカがプレイエル社に作らせた「モダン・チェンバロ」だろうと思われます。
世間では、「ランドフスカ・モデル」とよばれるこのチェンバロは、
鋼鉄製のピアノのフレームにチェンバロの機構を入れたもので、最近はいたって評判の悪い代物です。
聞くところによると、このモデルはコンサートホールでも使えるように音を大きくしただけでなく、
クレッシェンドやディクレッシェンドもできるという「お化けシステム」だったようです。
ですから、ランドフスカによるバッハの録音を聞いてみると、音色はチェンバロでも音楽の作りは旋律と伴奏という感じで、
かなり粘りけのある演奏の風情です。
カークパトリックはそのランドフスカの弟子ですし、
さらに歴史的なチェンバロの機構が研究され本来のチェンバロが復刻され出すのは60年代以降ですから、
おそらく間違いないと思います。 しかし、演奏の雰囲気は師であるランドフスカとは随分と異なります。
この背景には、間違いなくグールドの影響があると思います。
グールドが56年に発表したゴルドベルグ変奏曲が与えた影響は絶大なものがありました。
右手が旋律、左手が伴奏で、ボソボソと精神性重視の「面白くない」演奏をするのがバッハの伝統だったところに、
まさに誰も考えつかなかったようなバッハ像を提示したのですから。
グールドのバッハの特長は、それぞれの声部に主従関係を持ち込まずに、
それぞれを対等平等に響かせて、それぞれが絡まり合って進行していく音楽の構造を描ききることでした。
10本の指が対等平等の力を持ってすべての音をクリアに響かせるバッハは躍動感に満ちていました。
おそらく、カークパトリック先生はそのグールドの演奏を聴いて思ったはずです。
ピアノでそこまでできるなら、チェンバロならもっと凄いところまでいけるぞ!!
確かに、59年にカークパトリックが録音したパルティータと、グールドが57年に録音したパルティータの5番・6番を較べると、
そのパラパラ感の徹底ぶりは明らかです。
特にパルティータ6番の「Toccata」等を聞き比べると、同じ音楽とは思えないほどにグールドの方がロマンティックで粘りけがあります。
もちろん、カークパトリックは徹底的にパラパラしています。
ただし、70年代にグールドが録音したフランス組曲と、57年に録音したカークパトリック先生のフランス組曲を聴いてみると、
同じくらいパラパラしています。 グールドはバッハだけでなく、
どの作曲家の作品を取り上げても対位法的に分析しなければ気が済まないピアニストでした。
そして、晩年に近づきテンポが遅くなるほどにパラパラ感はいっそう強くなります。
しかし、同じようなことでも、それをピアノを使って実現するのと、 チェンバロを使って実現するのとでは、
その困難さには大きな違いがあったようです。
「ピアノを使ってバッハを演奏するのは曲がりくねった細い道をパワステのない車で運転するようなものだ」
と語ったのはグールドではなかったでしょうか。
確かに、チェンバロを使ったカークパトリック先生の演奏では実に軽々と一つ一つの声部がクッキリと浮かび上がってきます。
録音もかなり優秀です。もしかしたら、マイクをチェンバロの中に突っ込んで録音したのかもしれません。
ただ、あまりにもパラパラしすぎているので、頭の中で音楽の姿を把握するのに「努力」が必要です。
それに較べると、 グールドの演奏からは、適度なパラパラ感の背後からはっきりとバッハの声が聞こえてくるような気がします。
そして、私の頭が古いからなのでしょう、後年のパラパラ感の徹底したフランス組曲よりは、
ある程度粘りけのあるこの60年代前半頃までの演奏の方が好ましく思えます。きっと、私の頭が古いのでしょう。
今後益々チェンバロ演奏を聴くと思いますがラルフ・カークパトリック、ランドフスカ当の古い演奏を聴くと思います。