滅却心頭火自涼(心頭滅却すれば火もまた涼し)と言う句は「風林火山」で有名な甲斐の武田信玄が帰依した僧快川国師戦国時代から安土桃山時代にかけての臨済宗妙心寺派の名僧です。
この暑い夏に精神的有名な快川国師のこの恵林寺再住にあたって、信玄は寺領を加増して迎え、恵林寺を自らの廟所と定めました。以後、都を目指しての征西の途中における信玄の早すぎる死(1571年:天正元年)に至るまで、快川国師と信玄とは深い信頼と友情に結ばれた親密な関係にありました。
珈琲にまつわる最も興味深く奇妙なエピソードの中には、J.S.バッハ:「コーヒー・カンタータ」関して知られるエピソードがあります。バッハの生産性が高かったのは、彼が一日に30杯以上ものコーヒーを飲んでいたことが理由だと考えられます。広く知られているように、バッハはおよそ300曲ものカンタータを作曲し、そのうち「僅か」194曲だけが生き残りました。これらのほとんどは宗教的なもので、日曜日の宗教的な集会で演奏されることが目的とされていました。あまり知られていないのは、バッハがいくつかの世俗的なカンタータを作曲したということです。そのほとんどは失われてしまいましたが、そのうち一つは残っています。バッハが楽長として在任中のライプツィヒ市の人々の間で人気が高まっていた珈琲についての曲で、珈琲中毒の女性の話題に焦点を当てており、風刺的かつ一般的な内容であったため、非常に高い名声を得ました。
何も精神的な事を述べた言葉であると感ずる。この暑い夏に淹れたての熱い珈琲を頂きながら、この句を思い出し頂く。本日の銘柄は筆者の定番の一つでもあるゴールデンキャメルと言うブレンド物である。マイルドで大変飲みやすく癖もなく実に良い塩梅である。
美味しい珈琲の抽出には欠かせない豆の渋皮を削除とあまりに細かな粉の削除は渋みが減少する肝である、これは儀式と称しているが、挽いた珈琲を少しのお湯で良く「蒸らし時間」1分程度と入れる温度が肝である様に思う抽出時の淹れ方はゆっくりお湯を落とす事が肝心でもある、後味の良い美味しい珈琲を頂く事にも定番の緻密な手順がある様です。
豆知識になるがアイスコーヒーについて調べると意外な事が判る、アメリカでは「冷やしたコーヒー」iced coffeeかcold brew coffeeと言われ最近一般化して様で、特にスタバ等でiced coffeeかcold brew coffeeとして一般化され米国でも今や人気になっているそうである、この冷やしたコーヒーは日本人は涼を求め昔から夏はアイスコーヒー(関西ではレイコ)と言われているそうである。勿論紅茶にも同様に本場英国より昔からアイスティーを楽しんでいたそうである。
筆者は今まで何度もこのジャズピアニストの事は紹介しているが、以前から疑問があり、演奏が美味いのか?レコード時の録音が優れているか?それとも、ピーターソン独特のピアノの低音の深みのある音は楽器のせいなのであろうか?など素人が考える隠れた秘密を探って見た。
オスカー・エマニュエル・ピーターソン(Oscar Emmanuel Peterson、1925年8月15日 - 2007年12月23日)は、カナダのジャズピアニスト、作曲家。名手であり、史上最も偉大なジャズピアニストの一人と考えられているピーターソンは、何と200を超える録音をリリースし、8 つのグラミー賞を受賞し、レコーディング アカデミーから生涯功労賞を受賞するなど、数多くの功績を残しています。賞と栄誉を獲得しました。彼は60年以上にわたるキャリアの中で、世界中で何千回ものコンサートを行ってきました。彼はデューク・エリントンから「キーボード界のマハラジャ」、単に「O.P.」と呼ばれていました。
「キング・オブ・インサイド・スイング」と呼ばれています。 ピーターソンはサム・ジョーンズ、ニールス=ヘニング・エルステッド・ペダーセン、ジョー・パス、アーヴィング・アシュビー、カウント・ベイシー、ハービー・ハンコックとデュオで活動した。彼は、レイ・ブラウンとハーブ・エリスとのトリオが、パフォーマンスやスタジオ録音にとって「最も刺激的」で生産的な環境であると考えた。 1950年代初頭、彼はブラウンとドラマーのチャーリー・スミスとともにオスカー・ピーターソン・トリオとして演奏を始めた。その直後、スミスの代わりにナット・キング・コール・トリオの元メンバーであるギタリストのアーヴィング・アシュビーが加入した。スウィングギタリストだったアシュビーはすぐにケッセルに取って代わられた。彼らの最後の録音であるオン・ザ・タウン・ウィズ・ザ・オスカー・ピーターソン・トリオはトロントのタウン・タバーンでライブ録音されており、3人の奏者間の音楽的理解だけでなく感情的な理解も示されている。も大きく表示されています。ピーターソンは、1975 年から 1997 年まで生涯に 8 回のグラミー賞を受賞しました。
ピーターソンが愛してやまないベーゼンドルファーのピアノメンテナンスも王道を極めているそうであり、彼の練習後の床は飛び散った汗の跡が地いている話は実に有名である。その様なオスカー・ピーターソンが愛してやまないと言われたピアノの記事を紹介します。
1970年代末、ウィーンで行われたコンサートでピーターソンは、プロデューサーのノーマン・グランツに、「ちくしょう、ノーマン、このピアノは何処まで行こうっていうんだ? 俺もこんな楽器を手に入れなきゃ!」と呼びかけました。この瞬間、ベーゼンドルファーピアノとの深い友情が芽生えたのです。ピーターソンは個人的に選んだベーゼンドルファーコンサートグランド290インペリアルに特別な思いを持っていただけでなく、ウィーン・ムジークフェラインの黄金ホールで、ベーゼンドルファーの創立175周年を記念して開かれた『ウィーンの夕べ』でも演奏しました。2002年ピーターソンは、栄えあるベーゼンドルファー・ライフタイム・アチーブメント賞(生涯功労章)を受賞しました。オスカー・ピーターソン・シグネチャーグランドは、ピーターソンの遺産を管理するオスカー・ピーターソン遺産管財人の協力を得て製作されたもので、200から214VCのサイズを選ぶことができ、12台の限定モデルとなります。それぞれのピアノには、ピーターソンのロゴであるライオンと、サインが入った『コレクターモデル』の銘板が付いています。また1台1台に冊子『オスカーから、愛を込めて』と、ピーターソンの自宅スタジオで大切に使用されていたそうです。
次にあの重厚な低音のピアノ調律に関する注意事項も説明されたいました。
1.共鳴箱の原理
ピアノの原理は、響板だけが音の生成に関わっているわけではないという点から、バイオリンのボディと非常によく似ています。ケースの芯は、内側の形状に沿って曲がるよう、ベーゼンドルファーの職人が独自の手法で溝を掘った、厚さ10ミリの柾目材でできています。これはベーゼンドルファー独自の方式です。キーを押すと、組み合わせたスプルース材の集合体に音響が伝わり、ピアノ全体が一つの共鳴箱になって、ピアニストの演奏に応えます。ベーゼンドルファーの際立って豊かな音色、輝きを放つサウンドはこうして作られます。このような複雑な構造は、ウィーンの伝統的な工法の一面を表しています。
2.繊細なピアニッシモから力強いフォルテッシモまで
ベーゼンドルファー・グランドは、最高レベルのコントロール能力を持っています。アーティストと技術者が共同で開発したベーゼンドルファーのアクションは、独自の仕様に基づいて製作されています。このアクションが、精緻な演奏から生まれる、素晴らしいアーティキュレイションを伝える役割を果たします。演奏をコントロールする力です。
3.昔ながらの砂型鋳造
ベーゼンドルファーでは、砂を使用する伝統的な手法でフレームの鋳造を行っています。フレーム材はオーストリアで製造され、工場の屋外で6か月間休ませます。弦には20トンの張力がかかりますが、休ませることにより、鋳造過程で生じる歪みを解消し、弦の過大な張力に耐えることができるようになります。安定性がより一層高まります。
4.独自の低音弦
低音弦はすべて、ベーゼンドルファー独自の方法で巻き上げています。鋼弦を芯にして、1層あるいは2層の銅線を巻き付けています。慎重に巻き上げた弦は、豊かな響きとぬくもりあるベーゼンドルファーピアノならではの低音を生み出す大切な要素です。
5.1本ずつ弦を張る
弦は職人が一本ずつ結び目を作り、ピンブロックに張ります。それによって、時間と共に調律が安定し、何よりも調整しやすくなります。
上記の様に明記されていました、なるほど「いい音、いい音楽」を奏でるは簡単ではないと思われる様です。三位一体とならなければ・・思わず納得する。
ピーターソン愛用のピアノと言えば勿論ベーゼンドルファー ピアノ – 1980 年代と 2000 年代、一部の演奏は 70 年代以降。 ヤマハ – アコースティックとディスクラビア。 1998年から2006年までカナダで使用(ツアーとレコーディング) スタインウェイ & サンズ モデル A (現在はロサンゼルスのヴィレッジ スタジオ) – 1940 年代から 1980 年代までのほとんどの演奏と一部の録音。 Baldwin Piano - 米国で演奏および録音されました。 C. Bechstein Pianofortefabrik Piano – ヨーロッパで演奏および録音されました。 ペトロフピアノ - ヨーロッパでの演奏。
クラヴィコード – ジョー・パスのアルバム『ポーギー・アンド・ベス』より Fender Rhodes Electric Piano - いくつかの録音。 シンセサイザー – いくつかの録音。 ハモンドオルガン - いくつかのライブパフォーマンスといくつかの録音。 ボーカル – 一部のライブパフォーマンスと一部のレコーディング。
オスカー・ピーターソン(Oscar Peterson) の作品「Night Train (ナイト・トレイン)です。それで、メンバーは、オスカー・ピーターソンがピアノ、レイ・ブラウン(Ray Brown) .がベース、エド・シグぺン(Ed Thigpen)がドラムスとなっております。そうそう、これは、オスカー・ピーターソンの単独名義ではなくて、彼のトリオの作品です。1962年の作品です。
筆者のお勧めはオスカー・ピーターソンのキャリアで最高のメンバーと言われる“ザ・トリオ”によって吹き込まれたロング・セラー・アルバム。「C・ジャム・ブルース」は外せない名曲でもある、「我が心のジョージア」「昔は良かったね」などの人気スタンダードに加え、ピーターソン畢生のオリジナル曲「自由への賛歌」の感動的名演を収録。
オスカー・ピーターソン 「ナイト・トレイン」(Oscar Peterson "Night Train”)1962年
1.Night Train
2.C Jam Blues
3.Georgia On My Mind
4.Bags' Groove
5.Moten Swing
6.Easy Does It
7.Honey Dripper
8.Things Ain't What They Used To Be
9.I Got It Bad And That Ain't Good
10.Band Call
11.Hymn To Freedom
Oscar Peterson(p)
Herb Ellis(g)
Ray Brown(b)
Ed Thigpen(ds)
ナイト・トレイン』は、1963年にヴァーヴ・レコードからリリースされたオスカー・ピーターソン・トリオのアルバムです。このアルバムには、ジャズ、ブルース、R&B スタンダードに加え、ピーターソンの最も有名なオリジナル曲の 1 つである「自由への賛美歌」が含まれています。オスカー・ピーターソンのピアノに加えて、レイブラウンのベース、エド・シグペンのドラムスと、つまり"ザ・トリオ"と呼ばれた最高のメンバーによる絶頂期の演奏が見事な録音で捉えられている。
それと今回試しに静電気 除去 チューニングパーツのレプトンパワーチップスを接点回復剤につけ暫く放置し、オーディオ機材の接続部品に塗布し試聴する、僅かではあるが音質に安定度が増した様に感じた、音質に若干だが筆者のIIILZ Monitor GoldユニットにGOODMANS AXIOM 80の箱に入れたスピーカーから以前より重みが増し安定感が随分良くなった様に感じた。確かにオスカー・ピーターソン の演奏は他のピアニストと比べ重厚感はあり昔から聴いているが、今回CDでの視聴ではあるが実に具合が良く感じた。ブラボー!
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