伝統ある英国のTANNOY IIILZで聴く、音楽の父J.S.バッハ音楽を知る喜び・・・

音楽好きのIIILZ Monitor Goldユニットの箱を改良して楽しむダメオヤジ金ちゃんです。

カール・リステンパルト(指揮)のバッハの演奏を先日アップしたが、筆者には実に心地よく聴こえて、他の演奏も聴きたく調べて見ることにしました。

2020年06月27日 | バロック音楽・オーディオ一般

バッハについて筆者は一番面白く興味深いことはやはり鍵盤楽器の演奏での説明が一番わかり易い説明になるであろうと思い簡単に述べさせて頂く、当然筆者はフォルテピアノの演奏は出来ないが説明はできる、例えばお子さんがピアノ練習をする場合は基本はバイエルから習いその過程を終了した練習生の多くははバッハの「インベンション」を教えることが多いと聞く、余りに単調すぎる曲に、
その辺りで習うことを止めてしまう場合が多いそうである、何故か?もっと浸し見やすい曲を希望しないかと思う、何故なら一般の音楽愛好家でもバッハを聴く曲の鑑賞を最初にインベンションから聴き出す人は少ないでしょう。

でもバイエル過程を終了練習生なら筆者が何故にバッハをと謎に思うは「インベンション」の良さを十分熟知するはずである、その当たりが趣味と勉学の違いではあるまいか?
バッハの曲は特に練習曲には、この様な基本的な曲作りは実に理にかなった教育者なんだと染み染み思った、バッハは偉大な作曲者の以前に教育者の顔があるように思う、その答えがインベンションの様です。

勿論筆者もバッハの鍵盤楽器の演奏はゴルドベルグ協奏曲が最初にレコードを購入した。でもしばらく聴くうちに、基本の演奏にインベンションを聴くようになる。冷静に考えればこの曲はやはり基本に思う、なぜならあまりにも単調過ぎ魅力に乏しいと思ってしまう事だ。



最初に戸惑うことは、良く聴くと右手も左手も全く同一の動きが基本になることが多く、説明は簡単だがこの演奏方法は相当難しそうである、バッハの特徴は右手も左手も全く同様に、鍵盤の演奏はる手の中で胡桃を包む様な感じで弾かなければならなく、それは何よりも調和した美しさに或るためと思う、それと同じ調子でのハ長調とト長調と、同時に弾き調和の美しさを引き出し、音は強弱もなく調和した音を求めるようである、指の高さと幅を一定してフォルテピアノを弾かなければチェンバロ演奏のバッハ独特の音の美しさは得られないことが分かるであろう。

未だ沢山の約束事が或るが、バッハの演奏はものすごく基本が大切で、それが出来なければ次に進めず、当然他の曲の演奏も同様で、声楽にも大規模なバッハの演奏にも独特の演奏方法があり、特に楽器演奏は当然モダン楽器より古楽器がバッハらしく演奏するのに適しているのかも知れないと思うは私だけなのであろうか?看板楽器の演奏は、基本インベンションから平均律、イギリス組曲、フランス組曲、そしてゴルドベルグ協奏曲と進むようです、そしてフーガの技法へと続くコレが第5変奏曲と言われる由来のようです。



当然次に進むに連れ基本が大切な演奏と進行を、基礎の動きが大切で間違えると次に進めない曲になっていると聞いたことがあることがバッハのバッハたる所以です、まるで数学の教科書のようである。

ここで一番当時と変化したのが同じ鍵盤楽器もフォルテピアノとチェンバロの音質の違いの差であろう、フォルテピアノは弦を叩き、チェンバロは弦を引っかく、この差は随分違いフォルテピアノでの演奏は腕は使わず指先で高さ、幅を調整して音を出すとバッハの指示した音質に近い音が響くと言われる、というのはチェンバロ演奏では鍵盤の叩く強さは音は変わらないが強打するれば次に進めない様に出来ている。

それと一番の違いはフォルテピアノで力強く叩く音とソフトに叩く音は違う、チェンバロの音は変わらない。それが答えなんです。続いてバッハの謎解きをすると判ることは、バッハの曲はこの様な進行が多く、まるで制約が多く当時は曲の売買で生活していた作曲家として一般には人気のない、特にバッハの楽譜は制約が多く教科書と言われる所以であろうそのため人気は無かったと言われる。



その様な違いによりバッハの鍵盤楽器の演奏方法は現在のフォルテピアノでの演奏は強弱をつけないソフトな演奏がバッハの解釈演奏に近く耳触りがよく聴こえるかもしれない。この様な技術演奏を子供さんに理解させることは難しい事のようです、そしてピアノ練習をやめてしまう、やめる前に素敵なイヴェンションの演奏を聞かすことが必要のことかも知れない。

但しこの週末に音楽を楽しむつもりで、筆者の虎の子の真空管300Bを使うSV-501SEとGOODMANS AXIOM 80のA.R.U付きの箱に10吋のTANNOYのユニットを移植したシステムで楽しむ、ゆったり響き渡り又涼やかな高音の調べは梅雨の鬱陶しさを忘れさせてもらえるようです、魅力ある演奏を楽しむことは実によく出来たユニットに思う。

最近は暑さの為頭髪を後ろでしばり、お団子頭で過ごしている。写真で捉えるとさすが黒色の髪は少なく、ほぼ白髪と相成る。益々歳を感じるがこのスタイルは省エネで大変涼しく過ごすことが出来る又襟元がスッキリして良い塩梅である。



カール・リステンパルト(指揮)(Karl Ristenpart)1900年1月26日、ドイツの港町キール生まれの指揮者。
1967年12月24日リスボンにて没。ベルリンのシュテルン音楽院で学び、ベルリン・オラトリオ合唱団の指揮者として活動を開始する。32年、15名ほどの弦楽奏者を中心にリステンパルト室内管弦楽団を創設し、定期コンサートを開催する。戦後の46年にベルリンRIAS室内管弦楽団と合唱団を組織し、モンテヴェルディからストラヴィンスキーに到る幅広いレパートリーで、演奏と録音を行なう。

50年のバッハ没後200年には、カンタータの連続演奏会を開き、アグネス・ギーベルやフィッシャー=ディースカウらとの親交を得た。53年からザールブリュッケンのザールラント(ザール)室内管弦楽団の指揮者に就任、高い評価を受けた。

バッハやモーツァルトの権威のような印象が強いが、ザール放送の番組のために演奏した作曲家は230人を超え、その内の半数は同時代の作曲家であった。ことは以前述べたが彼がザール室内管弦楽団設立は: 1953年10月1日-ドイツ、ザールブリュッケンのザール室内管弦楽団(= SCC)は、1953年10月1日にカール・リステンパルトによってザールイ(ドイツ)に設立された当初18人のミュージシャン(そのうち10人はベルリンからの移民)による弦楽器アンサンブル(5/4/5/3/1)でした。1962年にザールブリュッケンの新しいラジオ局(ドイツ)に転送されました。1968年から1972年にアントニオジャニグロによって実施されました。1973年7月にザールブリュッケンラジオ交響楽団と合併。



カール・リステンパルト(指揮)のザール室内管弦楽団(室内管弦楽団)の演奏はバッハを楽しむのは10吋のTANNOYの IIILZをGOODMANS AXIOM80(A・R・U付)の箱に移植の音が朗々と鳴り正にピッタリなんです。

リステンパルトのバッハのカンタータ29曲、10時間超!若きフィッシャー=ディースカウも参加!auditeがまた素晴らしい音源を復活してくれました。
ドイツの名指揮者、カール・リステンパルト[1900-1967]がRIASに録音したバッハのカンタータ集です。


リステンパルトは第二次世界大戦後、1952年までベルリンで活躍、様々な種類の音楽をRIASのために演奏しましたが、中でも評判だったのがバッハのカンタータ集でした。リステンパルトのバッハは、明るく温かみの広がる優しさに溢れたもの。しかし1960年代に厳粛で禁欲的なバッハが広まったこと、そしてリステンパルトが68歳を目前に亡くなってしまったことで、「知る人ぞ知るバッハの大家」になってしまいました。

しかし21世紀の現在から聴きなおすと、明るさを湛えたリステンパルトのバッハは、むしろ今日の演奏様式に近い、優れた演奏だったように思われます。今回、10時間を越えるリステンパルトの録音が世に出たことで、彼の評価の再検討が迫られるのではないでしょうか。それほどの充実した演奏の記録です。

見事に蘇る・・・・『バッハ:カンタータ集』 構成数 | 9枚


  「最愛のイエスよ、私の憧れよ」BWV32
アグネス・ギーベル(S)、ワルター・ハウック(Bs)
 1951年12月10-11日
  「イエスは12人の弟子を呼び寄せて」BWV22
 カルロッテ・ヴォルフ=マタウス(A)、ヘルムート・クレプス(T)、
 ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(Br)
 1950年2月15-16日
  「主イエス・キリスト、真の人にして神よ」BWV127
 ゲルトルート・ビルメレ(S)、ヘルムート・クレプス(T)、
 ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(Br)
 1950年2月13日
  「キリストは死の縄目につながれて」BWV4
 1952年3月17-19日
  「天は笑い、大地は喜ぶ」BWV31
 リロ・ロルヴェス(S)、ヘルムート・クレプス(T)、ゲルハルト・ニーゼ(Bs)
 1950年3月9,20,21日


  「しかしその同じ安息日の晩に」BWV42
 エディト・ベルガー=クレプス(S)、イングリト・ロレンツェン(A)、
 ヘルムート・クレプス(T)、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(Br)
 1950年4月11日
  「私が去るのはあなた方のためだ」BWV108
 イングリト・ロレンツェン(A)、ヘルムート・クレプス(T)、
 ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(Br)
 1950年4月17,18,27日
  「信じて洗礼を受ける者は」BWV37
 リロ・ロルヴェス(S)、イングリト・ロレンツェン(A)、
 ヘルムート・クレプス(T)、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(Br)、
 1950年4月18,24,27日
  「あらゆる人の心には反抗的で臆病なものがある」BWV176
 ゲルダ・ラマーズ(S)、カルロッテ・ヴォルフ=マタウス(A)、ゲルハルト・ニーゼ(Bs)
 1950年5月3,6,8日


  「飢えた人にあなたのパンを分かち与えなさい」BWV39
 ゲルダ・ラマーズ(S)、イングリト・ロレンツェン(A)、
 ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(Br)
 1950年5月17,22日
  「天は神の栄光を語る」BWV76
 グントヒルト・ウェーバー(S)、イングリト・ロレンツェン(A)、
 ヘルムート・クレプス(T)、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(Br)
 1950年5月19,22,23日
  「私には憂いが多くある」BWV21
 ゲルダ・ラマーズ(S)、ヘルムート・クレプス(T)、
 ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(Br)
 1950年5月23,25日, 6月2日
  「見なさい、私は多くの漁師を使いに出し」BWV88
 リロ・ロルヴェス(S)、イングリト・ロレンツェン(A)、
 ヘルムート・クレプス(T)、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(Br)
 1950年5月30日, 6月3,13日
  「主である神が私たちのもとになければ」BWV178
 イングリト・ロレンツェン(A)、ヘルムート・クレプス(T)、
 ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(Br)
 1950年6月20日, 7月14日
  「私の心は血の中で泳ぐ」BWV199
 グントヒルト・ウェーバー(S)
 1950年7月8日
  「キリストと関わる者だと名乗るあなた方よ」BWV164
 グントヒルト・ウェーバー(S)、アンネリース・ヴェステン(A)、
 ヘルムート・クレプス(T)、ワルター・ハウック(Bs)
 1952年8月27日
  「自ら高ぶるものは」BWV47
 アグネス・ギーベル(S)、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(Br)
 1952年6月4,5日
  「私は喜んで十字架を担ごう」BWV56
 ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(Br)
 1950年2月21日


  「美しく装いなさい、おお愛する魂よ」BWV180
 アグネス・ギーベル(S)、イングリト・ロレンツェン(A)、
 ヘルムート・クレプス(T)、ワルター・ハウック(Bs)
 1950年10月9日
  「深い悩みの底から私はあなたへと大きな声で言う」BWV38
 アグネス・ギーベル(S)、イングリト・ロレンツェン(A)、
 ヘルムート・クレプス(T)、ワルター・ハウック(Bs)
 1950年10月16,17日
  「偽りの世よ、私はお前を信用せぬ」BWV52
 アグネス・ギーベル(S)
 1950年9月7,8日
  「目覚めよと、声が私たちを呼んでいる」BWV140
 グントヒルト・ウェーバー(S)、ヘルムート・クレプス(T)、
 ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(Br)
 1951年11月2,5日
  「争いが起こった」BWV19
 グントヒルト・ウェーバー(S)、ヘルムート・クレプス(T)、ワルター・ハウック(Bs)
 1950年9月1,5日
  「主である神は太陽であり盾である」BWV79
 アグネス・ギーベル(S)、ローリ・ライル(A)、
 ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(Br)
 1950年10月23,25日
  「さあ消え去れ、陰鬱な影よ」(結婚カンタータ)BWV202
 アグネス・ギーベル(S)
 1951年6月2日
  「神の時は至高の時」BWV106
 ヨハンナ・ベーレント(S)、イングリト・ロレンツェン(A)
 ヘルムート・クレプス(T)、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(Br)
 1950年6月15,17,26日
  「主よ、あなたのお望みのように、それを私に届けてください」BWV73
 マリー=ルイーゼ・デニッケ(S)、ヘルムート・クレプス(T)、
 ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(Br)
 1949年10月25日
テレマン:「私は、私の救い主が生きていることを知っている」TWV 1:877(旧バッハ偽作 BWV160)
 ヘルムート・クレプス(T)
 1950年3月15日
【演奏】 カール・リステンパルト(指揮)
    RIAS室内管弦楽団、RIAS室内合唱団、RIAS少年合唱団
【録音】 1949年-1952年
    録音時期:1950年3月15日

上記カンタータのYouTube配信はありませんがカール・リステンパルト(指揮)の代替えの演奏を貼り付けました。


後はこのエンクロージャーの特徴を最も表す音を楽しむのは、カンタータの演奏が一番に思う、若い頃のディートリヒ・フィッシャー=ディースカウの声も新鮮です。確かにⅢLZのオリジナルの箱で聴いていた頃と違い音に厚味が加わり正に自然の弦楽器の自然な低音も醸し出す、良く聴けば若干低域がだぶつき気味に聴こえるソフトもあるが、この様な鳴り方のするスピーカーは今の時代には珍しく、正しく特に高音に独特の凄む癖の強いビンテージの10吋のTANNOYのユニットを聴いてしまうと、病的は麻薬要素がある音なのかも知れない。
現在ではこの様な音のするユニットは珍品と言う名が相応しい、筆者が思うは昔の古い音源は実に懐かしい味のある音が聴けることは最大の特徴かも知れない。しかし短所もあるJAZZは独特のリズムで、音にキレのある鳴り方をするオリジナルの箱が良く鳴る。

余り近づいては行けない音に触れるようである。ブラボー!

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