よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

山陽道(西国街道)を歩く(厚東~嘉川)5日目

2013-01-11 16:34:01 | 山陽道(西国街道)を歩く
1月6日
昨日家に帰り今日の分の地図を調べたりしていたら夜遅くなり翌日寝坊してしまった。
慌てて行く準備をし、前日のゴール地「厚東駅」に着いたのが10時ちょうどだった。

駅から厚東中学校の方に歩いていると中学校のグラウンド近くに「山陽道」の案内板がありました。
まだ新しかったので昨年ぐらいに建てられたのではないでしょうか。

その山道の山陽道を歩きます。途中草茫々とした所も通ります。
夏だったらマムシが出てきそうな所です。
  ※栗が落ちていました。
山道を下りると視界が広がりました。

先の方には看板が見えます。
近寄ってみると「どんだけ道」と書いてあります。
 
タレントのIKKOさんが以前「どんだけ~」と言って流行語になりましたが、横の山陽道の碑を見てみると
 この道は古代は山陽道、藩政時代は山陽街道、近代になって山陽国道と改称された。
 また地元では昔からどんだけ道と言っている。

お殿様が通ったから殿様道これがなまってどんだけ道になったのではないでしょうか。

この道は二俣瀬の辻堂まで約1km続いています。私たち以外には歩く人もいません。
    
下りると庚申塚があり、向こう側には大歳社がありました。

大歳社の横を通り瓜生野公会堂を経て街道は2号線に合流します。

丸山ダムの所で左折。ここには庚申塚と秋葉神社がありました。
  
二俣瀬の信号を直進。厚東川沿いに歩きます。この辺りは桜が沢山植えられています。桜のシーズンは綺麗でしょうね。

厚東川沿いの木田橋を渡ります。
すぐ見えるのが永山本家酒造。ここではNHK街道てくてく旅の原田さんが試飲されていました。
そういえば、厚狭でも永山酒造という酒蔵をみましたが、どちらも銘柄が「男山」、兄弟会社なのでしょうか?
  
二俣瀬小学校を過ぎ2号線「車地」に出ました。
国道の案内板には広島152kmと書かれています。まだまだ先は長いですね。

すぐ先の左側に「与助の首塚」があります。
               天保2年(1831)の百姓一揆で首謀者の一人として与助が斬首されました。

街道は山中宿に入ってきました。
この山中宿は上と下がありこのあたりは、下山中宿になります。
歩いていると倉庫のような建物の所に碑が建っています。よく見ると「山中宿本陣跡」。その先の奥には「薬師堂」があります。
   
旧家の横を通ると小さい川に出てきました。古い橋には庚申塚と三界万霊の碑がたっていました。
  
「三界万霊」を広辞苑で引いてみますと、一切衆生(しゅじょう)の生死を輪廻する三種の世界、即ち、欲界、色界、無色界、
衆生が活動する全世界を指す。
となっています。わかったようなわからないような感じです。

旧道を進むとまた2号線に出てきました。そこには「つるや食堂」があります。
時計を見ると12時少し前。お腹も減ってきましたしここで昼食とします。
  

お腹もいっぱいになりましたのでまたスタートします。
街道はつるや食堂の先を左折します。しばらく歩くとお地蔵様が見えてきます。
ここが「上山中宿」になります。
   
   
上山中宿を歩いていると「熊野神社」があります。
看板には山口県指定天然記念物「ツルマンリョウ」とあります。
境内を探してみますが見つけられませんでした。
  


極楽寺跡を通り旧道に入ります。
ここから山道になるのですが、山の方に行くと途中イノシシよけの柵(ワイヤーメッシュ)があり、中に入れません。
他から入っても柵があり入れません。仕方なく国道の方に廻ります。
  

お地蔵様を過ぎると山口市に入ってきます。
  
そのすぐ先には、両国国境の碑があります。この辺りが割子松峠です。
西長門国厚狭郡、東周防国吉敷郡と書いてあります。
    
国境の碑の先には「おいはぎ峠」という食堂があります。ネーミングがおもしろく写真に撮りました。
昔は追剥(おいはぎ)が出たのでしょうか?

更に国道を進むと嘉川(かがわ)の町に来ました。
橋の手前に道標があります。「あくす、とこなみ、中の村・・・・」?
あくすというのは阿知須のことでしょうか?宇部線の駅名ですがきっと宇部の方に向かう岐路でしょう。
  
14:00JR山陽線嘉川駅に到着。今日の街道歩きはここまでとします。

青春18きっぷも今日で5回分使い切ります。
折角だからここから新山口に行き山口線で湯田温泉に風呂に入りに行こうと思います。
どこでも途中下車できるから青春18きっぷはいいですね。


湯田温泉を出たのは17:00になっていました。

今日のGPS