3/3(水)緊急事態宣言が解除され、ふくおかウォーキング協会の楽しいウォーキングが再開されました。
再開後最初の教室は、「久留米の梅名所巡りウォーク」です。集合場所は、JR久留米駅。参加者は38人でした。
この日の久留米は、5℃でしたが、風が強く体感気温は0℃ぐらいでした。寒いです。
9:36スタート。先ずは「梅林寺」へ。
梅林寺は、九州の代表的な修行道場として知られる古刹で、また久留米藩主有馬氏菩提寺となった寺です。 寺の起源は、初代藩主豊氏が故地丹波福知山の瑞巌寺を移したもので、
父則頼の分霊をここにうつし、その法号梅林院から寺号を改めたものです。 本堂正面には浮彫りの扉を持つ唐門が優れた威容を見せ、裏に廻ると始祖を初め歴代藩主の霊廟や墓塔が、
静かな小松林の中に風格のあるたたずまいを見せています。
この寺宝は六百余点を数え、絹本著色釈迦三尊像(重要文化財)のほか、尾形光琳の富士山の図、長谷川等伯の屏風、狩野が描く襖絵なども収蔵されています。 隣接の外苑は、
梅林の名にふさわしく梅花が風情を競い、市民の憩いの広場として知られています。
<梅林寺外苑のウメ>
梅林寺は、その地に梅林があるので梅林寺と名づけられたのではありません。関が原の戦いで功を為した有馬豊氏公は久留米の土地を与えられ、当時有馬家の領土丹波篠山にあった
瑞厳寺(ずいがんじ)を移建し、その名を父則頼公の戒名「梅林院殿」にちなんで「梅林寺」としました。厳しい修行道場として知られ全国から多くの修行僧が集まる梅林寺ですが、
昭和33年開山和尚禹門玄級禅師(うもんげんきゅうぜんじ)350年遠諱(おんき)の記念事業の一環として筑後川沿いの一角を市民の人々が集まる公園として開放しました。
ブリヂストンの創業者・石橋正二郎氏を始め、多くの人々からご好意を受けましたが、現在の外苑の梅の木も当時市中の民家の庭先からの献木を受けたものだと聞きます。
平成20年には梅林寺開山和尚400年遠諱(おんき)、また、外苑設立50周年を迎え、益々多くの人々がこの地を訪れて下さる事を願ってやみません。(久留米観光サイトより引用)
例年ですと梅の花は、今が見ごろなんですが、今年は、梅の花の開花が早かったのか、もう散りかけていました。
梅林寺から筑後川へ。
筑後川沿いは、つつじの名所です。毎年4月に「久留米つつじマーチ」が行われるのですが、昨年同様今年もコロナ感染防止の為、昨日、中止との発表がありました。
全国的に人気のある大会ですが、コロナ感染防止の為でしたら仕方ないですね。
西鉄宮の陣駅が最初の休憩。
休憩後、再スタート。宮ノ陣神社へ。
「宮ノ陣神社」は、正平14年(1359)8月、後醍醐天皇の皇子である征西将軍宮懐良(かねよし)親王は、菊池武光、草野永幸ら宮方の軍勢を率い、南下してきた小(少)弐頼尚をはじめとする
足利方の大軍と大保原(現在の小郡市~宮ノ陣にかけて)において九州における雌雄をめぐり激しい戦いをひろげました。これが日本三大合戦の一つとして有名な大保原の合戦(クリックしてください)
(筑後川の戦い)です。その際、征西将軍宮がこの地に陣を張られたことが「宮ノ陣」の地名の由来ともいわれています。
これらの故事にちなんで高良神社宮司船曳鉄門が主となり明治21年(1888)に神殿を創建し、後征西将軍宮良成親王(懐良親王の甥)を祀ったのが宮ノ陣神社の始まりです。
のち同44年(1911)に懐良親王の霊を合祀しました。
境内には、「将軍梅」という懐良親王お手植と伝わる紅梅や皇族お手植えの松樹があり、三月上旬頃から遠い昔の思いを秘めて美しい紅梅が咲き誇ります。(案内板より)
宮ノ陣神社から高良川に向かいます。高良川左岸より石橋文化センターへ。
ここの梅ももう満開が過ぎました。
ここまで約9km、石橋文化センターで仮ゴールします。石橋文化センターまでのGPSです。
私達は、ここからJR久留米迄歩きました。全行程14kmでした。