よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

三日月山遊歩道から旧唐津街道を往く(福岡市東区)

2021-03-12 15:13:50 | ウォーキング

3/10(水)のふくおかウォーキング協会の楽しいウォークは「三日月山遊歩道と旧唐津街道を往く」でした。

集合場所は、JR香椎駅東の香椎駅東公園。参加者は47名。

  

9:30 ウォーキングスタート。如意論寺は、禅体験ができます。

 

JR香椎線の鉄橋の横を通ります。

 

県立香椎高校です。今日は、高校入試が行われています。香椎地区は文教地区で高校が県立3校、私立2校、大学が福岡女子大、九州産業大学と2校あります。

香椎高校の正門には、黒門が建っています。

旧制香椎中学校の「黒門」は、同中学校の創立者・第4代太田清藏氏が、東京にあった奥州中村藩の流れを汲む旧相馬子爵邸を買い取った際、その表門であった「黒門」を

旧制香椎中学校初代校長・長沼賢海氏が譲り受け、昭和18年に学校の正門として移築したものである。長沼校長は「東に東大の赤門あり、西に香椎中学の黒門あり」として

中学のシンボルとし、建学の士気を高め、門に「西海第一校」の額をかかげようとした。創立は太平洋戦争の時期と重なったため、門の移築は容易ではなかったようだ。

ようやく移築された門も台風などのために倒壊した。

 旧制中学の卒業生を中心とする同窓会会員の中から、中学のシンボルであった「黒門」を現高校に復元し、在校生の士気高揚にも役立てたいと募金活動が行われてきた。

そして、平成8年の校舎大改築完成と創立75周年記念に合わせて「黒門」を復元することになった。(香椎高校HPより)

尚、香椎高校の校歌は、作詞火野葦平、作曲古関祐而だそうです。

 

香椎高校を過ぎたあたりから少し上り坂になります。

 

宅地造成の工事でしょうか、また新しい町ができますね。

 

長谷(ながたに)ダム竣工記念広場に着きました。多々良川につくられた長谷ダムは、下流の水をくみ上げて貯水する全国でも珍しいタイプのダム。このダム湖、

三日月湖(みかづきのうみ)のまわりを1周するコース。湖の北東側には桜の名所、長谷ダムふれあいロードがあります。

 

広場には、桜の木もあります。蕾も大きくなっていました。JR九州ウォーキングコースにもなっていますが、私、ここを歩くのは初めてです。

  

 

三日月山霊園の先から遊歩道に入ります。

  

急こう配の所を下りていきます。まるでオルレのコースみたいです。

  

10分ぐらいで下ってきました。

 

三日月山から立花山への縦走コースもあるそうです。

 

下原のバス停を折り返し、ゴールの香椎駅に向かいます。

 

九州産業大学付属九州高校の所からは、旧唐津街道です。

  

香椎駅から北へ7~800mの所に兜塚(かぶとつか)があります。

説明文によると、兜塚(香椎宮飛地境内)

この兜塚は、香椎宮の御祭神、神功皇后がこの地で兜をお着けになったとも、この地に兜をお埋めになったとも伝えられている神域です。

また、ここにある二つの石には、次のような物語が残されています。「享保(1716~1735)の頃、この塚から発掘された兜の形に似た松化石を博多の医師萩野玄庵が

運び去り庭石としたが、玄庵の死後、子玄伯が父の墓石とした所、祟りにより一家悉く急症に罹り死亡せり。よって近隣の者等、神の祟りを恐れて、文化元年(1804)夏の

頃再び香椎に運び来り、不穢(けがれ)を除かん為に海浜(現在の香椎宮頓宮下辺り、昔のお汐井取場)に置いてあったものを二百余年余りの後、昭和元年(1926)に至り

この塚に返したものであり、今一つの石は、寛保年中(1741~3)上ノ府(新宮町)源四郎という者、玄庵が持ち去ったのを惜しみ、花崗岩に彫んで塚上に納めたものである。

(香椎宮旧記に依る)」このように様々な物語が兜塚には、残されています。古くから神域として伝えられているこの地を侵すことのないようにしましょう。

 

境内には、寒緋桜が咲いていました。

 

11:28 香椎駅にゴールしました。

 

今日のGPSです。