よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

楽しいウォーク「愛称通り巡りと下り藤鑑賞」(福岡市博多区~中央区)

2022-04-24 08:37:09 | ふくおかウォーキング協会

4/20(水)のふくおかウォーキング協会の楽しいウォークは、「愛称通り巡りと下り藤鑑賞」でした。

集合場所は、博多区の出来町公園。ここは、旧博多駅があった所。(昭和38年12月に現在地に移転)

参加者は、47人。

9:30出来町公園をスタート。

 

承天寺通り】博多駅横の博多バスターミナルから承天寺までの通りです。

承天寺」開山の祖、聖一国師は、嘉禎元年(1235)宋に渡り、仁治2年(1241)に帰国。この時宋の文化を我が国に伝えました。代表的なものとして、うどん、そば、羊羹、饅頭の製法です。

また、博多山笠の起源は、仁治2年(1241)博多に疫病が流行したとき、聖一国師が施餓鬼棚に乗りそれを棒で担がせて祈祷して廻り、疫病を退散させたことに由来します。

 

承天寺通りは、承天寺迄。ここから博多の寺町(御供所町)に入ります。

聖福寺 開山は建久6年(1195年)に源頼朝から用地を受けた日本の禅宗の始祖・栄西禅師が行いました。当初は独立した臨済宗の寺院でしたが、聖福寺を建立した栄西が京都に上り建仁寺を

開山したため建仁寺派となります。その後、江戸時代に黒田長政の命により妙心寺派となって現在に至ります。

寺院には、玄洋社初代社長平岡浩太郎、福岡市初の首相広田弘毅、博多織の祖満田三右衛門の墓があります。

 

  

御供所町から大博通りを横切り櫛田神社へ。櫛田神社から「土居通り」です。冷泉公園には、たくさんの花が咲いていました。

  

土居通りから明治通り(国道202号)を横切り昭和通りへ。昭和通りから博多山笠の廻り止め地点である「石村萬盛堂」から須崎問屋街に入ります。

 

須崎橋から那の津通りへ。那の津通りは、千鳥橋から西公園下までの県道602号線です。

ここには、福岡市民会館、福岡県立美術館、地元の放送局KBC九州朝日放送などがあります。

  

魚市場で休憩後、魚市場信号から薬院大通までの1,8kmが「大正通り」。道路の一部が大正時代に築造されたことから大正通りになりました。

大正通り警固四つ角交差点より護国神社前までが、国体道路。ここには、ケヤキが約100本植えられていることから通称「けやき通り」と呼ばれています。

  

護国神社交差点から、「福岡城址」に入ります。

 

池には、亀が甲羅干ししていました。

 

福岡城址では、今、ツツジが満開です。

 

  

福岡藩祖「黒田孝高(官兵衛)」の家紋は、「藤巴紋」です。これは、官兵衛が荒木村重によって有岡城に幽閉されたとき、狭い牢屋から見えた藤の花によって孝高が勇気づけられたという

エピソードがあります。

  

11:30 舞鶴公園へゴール。

 

この日のGPSです。

ゴール後、城内の牡丹・芍薬園に行きました。ここは、黒田官兵衛が、晩年を過ごしたといわれる御鷹屋敷跡にあり、昭和55年(1980)に整備されました。牡丹・芍薬それぞれ約20種、

計約2000株の花々が4月~5月にかけて花を咲かせます。

  

 

 

  

八重桜もピークは過ぎていますが、まだまだ綺麗です。

 

ランチへ行く途中の街路樹。なんじゃもんじゃ(ヒトツバダコ)が咲いていました。