11/26(土)昨日大阪遠征から帰宅し、今日は、「久留米つつじマーチ」参加の為、7:00車で久留米に向けて出発。
久留米ツツジマーチは、例年4月に開催されますが、コロナ禍で2020年から中止になり、今回3年ぶりの開催です。
それも春ではなく秋の開催で26日のみのワンデーで、すべて事前申し込みで当日受付はありません。
コースは、20kと10kのみの開催です。私は、20kにエントリーしました。
9:00 20㎞コースのスタート
コースは、いつもの久留米ツツジマーチと変わらず、高良川沿いに進みます。
この辺りから山道です。
例年ですと山の斜面にツツジがたくさん咲いているのですが・・・「あっ、何輪か咲いている!」
久留米つつじ森林公園が1回目のチェックポイント。
森林公園からの眺め
森林公園から下りていきます。
しばらく歩くと「柳坂曽根櫨並木」です。
18世紀後半から九州各地で櫨が栽培されるようになり、久留米藩でもこれを大いに奨励し、竹野郡亀王村(現田主丸町)の庄屋竹下武兵衛が享保15年(1730)頃に、藩内で
初めて栽培し、寛保2年(1742)には、国分村や西久留米村に植えられました。その時「松山櫨」「伊吉櫨」といった改良櫨が筑後一円に広がり、櫨は米に次ぐ主要産物として
藩の財政を潤すようになりました。
下記は、地元の山本小学校の児童がまとめたハゼの研究発表です。
ここに富有柿の直売所がありました。一盛1000円でしたが、多いので半分にして売ってくれました。ですが、何個かサービスしていただき、私のリュックは重くなりました。
歩いていると、JR九州の観光列車「或る列車」と遭遇しました。
道の駅くるめが2回目のチェックポイントです。ここでしばし休憩します。
休憩後再スタート 「太郎原一本杉之跡」の看板があります。南北朝時代、懐良親王と菊池武光の南軍と足利尊氏の北軍が戦った大保原合戦で亡くなられた死者を太郎丸の人達が
大事に弔い、ここに1本杉を植えました。この杉は、昭和31年(1956)の台風で倒木しました。
神代橋の近くに神代浮橋之跡の石碑があります。文永11(1274)年の元寇の際、この地域の有力者だった神代良忠が九州一の難所、筑後川神代に舟を並べて浮橋を作り、戦いに向かう肥後・薩摩勢などの大軍を渡したといわれています。
この浮橋が筑後川で初めて架けられた橋でした。ちなみに、江戸時代には「神代の渡し」として舟が運行。参勤交代路として当時の交通の要衝でした。
コースは、ここから筑後川の堤防沿いを歩きます。
河川道では、乳牛のセリが行われていました。
コースは、百年公園へ。
13:53 ゴールしました。参加者は、10k、20kコース含めて約1200人だそうです。
朝日新聞の記事 久留米でつつじマーチ:朝日新聞デジタル (asahi.com)
この日のGPS
この大会で日本マーチングリーグ30回達成の金メダルをいただきました。1回目から7年かかりました。
副賞は、久留米産の富有柿でした。