1/8(土)ふくおかウォーキング協会の1月度例会は、「新春初不動尊詣りと淡紅梅」でした。
集合場所は、JR東郷駅。参加者44人。コースは、東郷駅~いせきんぐ宗像~マルキョウ~鎮国寺~宗像大社ゴールの約10km。
9:30スタート。しばらく歩くと右側に「いせきんぐ宗像」があります。
いせきんぐ宗像(田熊石畑遺跡)は、宗像市内を流れる釣川の中流域に面する微高地上(標高12m)にいとなまれた弥生時代中期前半(紀元前2世紀)頃を中心とする集落遺跡です。
平成20年(2008)、宗像市教育委員会による発掘調査が行われた結果、日本の国の成り立ちを知るために重要な遺跡として平成22年2月22日に国史跡の指定を受け、平成27年4月に
宗像市田熊石畑遺跡歴史公園、愛称「いせきんぐ宗像」としてオープンしました。※いせきんぐとは、遺跡をもじった造成語ではないでしょうか?
宗像市内を流れる釣川沿いは、縄文時代(約6500年前)には、入海でした。やがて海は引き、釣川と姿を変えてきます。古代の宗像人はこの入海や河川を通じて玄界灘を行き来し、
朝鮮半島や列島各地と密接な交流を行い独自の地域文化を作り上げてきました。遺跡からは、弥生時代中期(紀元前2世紀)の有力者の集団墓である区画墓(墳丘墓)や貯蔵穴(地下式の穴倉)、
それを守る環濠、倉庫と考えられる堀立柱建物、竪穴住居などがあり人々が暮らす集落と死者の眠る墳墓の両方が確認されています。
建物群の規模やその整った配置から古代豪族「宗像氏」との関連性も注目されています。
いせきんぐ宗像の少し先には、「摩利支神社」があります。今回はパスしましたが、摩利支天というと、仏教の神様では?
神社の由緒を調べると、古い縁起によりますと、御創建は朱鳥五年(690年)、時の宗像大領の秋恵氏が、郡の中央の地の東江郷(現在の東郷)に天地創造の神『天之御中主大神』
『葛城一言主神』を奉齊し、後に勝運、勇武の神(摩利支明神)『摩利支神社』と称しするようになったのが始まりとされております。
天之御中主大神(あめのみなかぬしのおおかみ) 造化三神の一柱、古事記に登場する最初の神様。 葛城一言主神(かつらぎひとことぬしのかみ) 古事記では一言主と表記される神様、
凶事も吉事も一言で言い放つ託宣の神。
釣川を渡り、釣川沿いに歩きます。途中マルキョウでトイレ休憩。
上釣橋を過ぎます。
鎮国寺の長い階段を上ります。
鎮国寺は、弘法大師(空海)は、第16次遣唐使船で入唐の砌、大暴風雨に遭遇されました。この時危難を救わんが為、海の守護神宗像大神をはじめ諸仏菩薩に祈誓を込められたところ、
浪間に不動明王が示現されました。右手に持たれる利剣で波を左右に切り払われると、荒れ狂う風波は瞬く間に静まり、無事唐土に着くことが出来たのです。
首都長安(西安)において、青龍寺の恵果阿闍梨から真言の秘法を授かり、大同元年(806)に帰朝された弘法大師は、まず宗像大社に礼参されました。その時、屏風山に瑞雲が
棚引くのを観られ、奥の院岩窟において修法を始められたところ、「この地こそは鎮護国家の根本道場たるべき霊地」とのお告げをこうむり、一宇を建立し、屏風山鎮國寺と号されました。
「真言秘密の大法を伝え得たるは、危難をお救い下さった不動明王のお蔭に他ならず」と謹刻し祀られたのが、現在護摩堂に安置されている秘仏身代り不動明王立像です。
国の重要文化財に指定されており、毎年4月28日に御開扉して柴灯護摩供(火渡り)を営みます。
また、宗像三柱の御本地仏として、大日如来、釈迦如来、薬師如来の三尊を刻み、本尊と定められました。(鎮国寺HPより)
鎮国寺は、淡紅梅、熱海桜が綺麗なスポットとして有名です。
まだ蕾の状態でしたが、来月上旬には開花すると思われます。下の写真は昨年2月初旬の鎮国寺の淡紅梅と熱海桜です。(左が熱海桜、右が淡紅梅です)
メジロもおいしそうに蜜を吸っていました。
鎮国寺を下り、ゴール地の宗像大社に向かいます。
途中の川端橋は、まだ工事中でした。橋には、地元の小学生が描いた川端橋二十二景がありました。
11:45 宗像大社へゴール。バスの時間があれば宗像大社にお詣りに行こうかと思いましたが、東郷駅行きのバスの時間は、11:58
これを逃すと1時間後ですのでバス停へ向かいました。
今日のGPSです。
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