9/23(水)は、ふくおかウォーキング協会 楽しいウォークで「秋の草野路、山辺の道を散策」コースを歩きました。
集合場所は、JR善導寺駅。善導寺駅は無人駅ですが、駅の待合室には、地元中学生が書いた善導寺周辺の見どころが描かれています。
9:30 スタート。このコースの一部は、くるめつつじマーチの40kmコースにもなっています。また、JRウォークでも時々歩いているコースです。
出発前、駅で降ろされたコンバインがこの田んぼに来ています。これから稲刈りでしょうか?
久大本線の踏切を渡ります。歩いていると彼岸花やススキを目にします。もう秋本番ですね。
久留米市と隣のうきは市はフルーツの産地です。
久留米つつじ園で休憩。
天満宮の横を通って「須佐能袁神社」へ。須佐能袁神社は、建久8年(1197)、筑後在国司草野太郎永平が建立したもので草野家代々の神社として大事にされてきました。
主神が素戔嗚尊(すさのうのみこと)、右の座に天照大御神(あまてらすおおみかみ)、左の座に菅原道真公の三座が祀られています。
現在の社殿、楼門は、明治19年(1886)に完成。本殿、拝殿、楼門が県文化財に指定されています。
また、社殿や楼門には、檜を用いた見事な彫刻が施されています。
草野の町は、江戸時代、久留米からの日田街道は山川町の追分で川辺道と耳納山麓へと向かう山辺道に別れ、草野はこの街道沿いの宿駅として栄えました。
この道沿いにある須佐能袁神社を中心に元禄八年(1695年)頃には長さ五丁、軒数百四十軒余りの様々な生業をもった民家が集まり、大変な賑わいでした。
草野の代表的な民家である「鹿毛家住宅」(県指定文化財)も江戸時代より醤油や櫨蝋製造(はぜろうせいぞう)、質屋などを営んでいました。
18世紀後半に建造された建物は町家としてはもっとも古いもので、かつては数十棟の蔵が屋敷内に建ち並んでいたといいます。
歩いていると、桜が咲いていました。これは、十月桜といって今頃から一月ごろまで咲きます。
下馬場(しもばば)古墳」は、6世紀後半に築造されたと推測され、直径は42m、高さは約5mの円墳です。現在は存在しない「薬師下北(やくししもきた)古墳」
「薬師下南(やくししもみなみ)古墳」などとともに、「吉木(よしき)古墳群」と呼ばれています。
内部には前室両側壁から玄室奥壁まで、ほぼ壁面全体に壁画が描かれており、奥壁には赤色の同心円文が数個、玄室左右両壁に同心円文や連続三角文、また玄室右壁中央部には舟と
思われる文様を見ることができます。使用された顔料(絵の具)は、赤色と青色が確認されています。
副葬品は不明ですが、墳丘からは円筒埴輪や顔に入れ墨をした男性埴輪、たすきをかけた女性埴輪などが出土しています。 (ご来福スポットより)
九州には、このような装飾古墳があります。筑豊の王塚古墳、菊池のチブサン古墳・・・・
先日この会で歩いた福岡県筑紫野市の五郎山古墳も装飾古墳でした。ここにも舟の形をした装飾があります。昔の人は、死者をこの舟に乗せて黄泉の国へつれていったのでしょうか?
素人の推理で申し訳ございません。
ふれあい農業公園に来ました。ここでは、貸農園があり、里芋の収穫が行われていました。
私も仕事をリタイア後は、農園を借りて野菜でも作ろうかと考えましたが、腰痛が再発するのではないかと思い、断念しました。
ゴールの善導寺駅が近づきました。スタート時のあのコンバインは、稲をすっかり刈り、次の田んぼに移っています。
このような高速のコンバインで刈ると早いでしょうね。私の父が農家の出だったので、私も子供の頃(確か小2~5ぐらいまで)稲刈りの手伝いに行きました。
鎌で稲を切ってまとめ、それを脱穀機にかける・・・この作業が2~3日かかっていたように覚えています。稲刈りにしても田植えにしても皆親戚が集まってしていましたね・・・・
コンバインの力は親戚何人分にあたるのでしょうかね・・・・・・
11:42 善導寺駅にゴールしました。今日のGPSです。
10月に入り気持ちのいい季節になりましたね。ウォーキングしていても少し汗ばむぐらいです。コロナ禍でなかなか遠くに遠征にいけませんが、今年は近場のウォーキングを楽しんでいます。