1/19(水)ふくおかウォーキング協会の楽しいウォークは、「とこてく糸島」でした。
「とこてく糸島」とは、糸島の特色のある地域を”歩いて“めぐるウォーキングコースです。いろいろなコースがありますが、今回は、「史跡とパワースポット地」を歩くコースです。
史跡とパワースポットコースは、4,4kmですのでこれに補足したコースを作りました。
集合場所は、JR一貴山(いきさん)駅。参加者32名。
一貴山という地名の由来は、一貴山集落にあった古代寺院「夷魏寺(いきじ)」が転化したものと言われています。夷魏寺は、駅から南側の山手の方にありました。
今朝は寒く、朝の気温は-2度でした。蛇口にはツララ、畑は霜が降りていました。
今日のコースは、JR一貴山駅~銚子塚古墳~神在神社~神石~ラポール~浜の園公園~マルキョウ~JR筑前前原駅 の約10km。
9:30ウォーキングスタート
銚子塚古墳は、JR一貴山駅の北100メートル、二丈田中字大塚に位置する一貴山銚子塚古墳(いきさんちょうしづかこふん)は、墳丘(ふんきゅう)の全長が103メートルで、糸島地方最大の
前方後円墳です。4世紀後半に築かれたものと推定されており、国の史跡にも指定されています。発掘調査が、昭和25年(1950年)に福岡県教育委員会と日本考古学協会を中心に行われ、
糸島高校の生徒も多数調査に参加しました。
後円部墳頂(こうえんぶふんちょう)のほぼ中央からは、全長3.4メートル、幅1.4メートル、深さ0.8メートルの竪穴式石室(たてあなしきせきしつ)が発見されました。
石室(せきしつ)の中央には木棺(もっかん)が納められており、多くの副葬品(ふくそうひん)が埋葬当時の配列を保ったまま、ほぼ完全な状態で出土しました。
その中でも特に注目を浴びたのは、10枚の青銅製(せいどうせい)の鏡でした。鏡は、棺(ひつぎ)のふちに鏡面を内に向けて立てかけられており、方格規矩四神鏡(ほうかくきくししんきょう)と内行花文鏡(ないこうかもんきょう)が1面(中国製)ずつ頭部付近に置かれ、8枚の三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)(日本製)が左右の側縁(そくえん)に各4枚ずつ
置かれていました。方格規矩四神鏡(ほうかくきくししんきょう)には鍍金(ときん)(金メッキ)が施されており、国内でも数面にしか見られない珍しいものです。
現在、銅鏡など出土品の大半は、京都大学総合博物館に収められていますが、木棺材片、棺内から出土した水銀朱(すいぎんしゅ)の一部など資料の一部が糸島高校附属郷土博物館にも収蔵されています。(糸島市HPより)
銚子塚古墳の横には、国登録有形文化財の「椛島家住宅」があります。椛島家住宅は、元々は二丈田中の大地主であった「満生(みついき)家」の住宅でした。
現在のJR一貴山駅(当時は北九州鉄道)は、満生家の所有地から収穫された米を博多へ運び出す為に満生家の寄付により作られたものと言われていますので、満生家が如何に財力があったかが
想像されるでしょう。また、糸島地方最大の前方後円墳「国史跡・一貴山銚子塚古墳」とは敷地を接しており、満生家の方々はこの古墳を先祖の墓という意識をもち、
庭の一部として管理してきました。
登録された建造物は、明治30年頃に建てられた主屋や、蔵、門、塀などです。南門に入ると正面に主屋と庭門及び塀、左手に古墳、右手に庫院(旧納屋)があり、納屋の東壁に連続して
東門・北門及び塀があります。区画された中で主屋、庭門及び塀、庫院を見ることができ、南門及び塀とともに上質な景観を創り出しています。主屋は2階建で間口が広く、
玄関がなく農家のニワと共通する前庭など、江戸時代の民家の特徴を残しています。主屋の随所には、当時の建具職人、左官職人、絵師の技術の高さが伺える細工が施されるなど、
当時の地主層の民家における前近代と近代の上質な特徴を併せもち、糸島地方における民家建築の流れを汲んだ近代的な和風建築の好例として、高く評価されています。(糸島市HPより)
現在は、僧侶の椛島氏が所有し、納屋を臨済宗富貴寺として使用されています。
見学後再スタート。神在(かみあり)神社へ向かいます。
神在(かみあり)神社は、神功皇后がこの地に紫雲がたなびくのを見て、「此処には、神が在られる」と言われたことから「神在」の地名が起こったという。
神社には、天と地を守る神が祀られており、拝殿横の埴安社には、大きな足形石がお祀りされています。
当初は、牧の天神山にあって優れた神徳により人々が集まり、村が出来盛んに信仰されていましたが、戦国時代、激しい戦乱の中で祭りは途絶え、社殿は荒廃しました。
戦乱が終わり、世の中が落ち着いた寛文4年(1664)村の有力者が小さい社を今の宮所神社に建立しました。更に、宝永4年(1707)社殿などを再建し相殿左に菅原社、右座に六社天神を
祀りました。更に天神山に祀られていた、埴安命(はにやすのみこと)を合祀して現在の神在神社になりました。
※福岡地区のうどんの名店「牧のうどん」は、この「牧」という地区にあるうどん屋 ⇒ 「牧のうどん」になりました。
埴安社の「足形石」。大きさは、50cmぐらいあるでしょうか?私の足のサイズの倍です。
神在神社脇道から「神石(しんせき)」に向かいます。
これが「神石(しんせき)」です。宇宙から降ってきたような巨石がポッカリ開いた竹林の中で竹の一本一本に光を放っている気がします。まるで竹林の中にヒヨコが「ど~ん」と
座っているかのような「神石」の名に相応しい巨大なパワーを感じることができます。(とこてく糸島より引用)
巨石は、外回り16m、高さ4m。かつては、土の中に埋まったいたそうでミカン畑にするため掘り返したところ巨石が出てきたそうです。
巨石の周りには、勾玉も出たといわれています。また、「鬼滅の刃」の聖地としても有名になっています。
神石から下りてきます。
浜の園公園で休憩後、西宮神社に向かいます。岩本西宮神社は、元和6年(1620)唐津初代藩主寺沢志摩守広高が創建。蛭子命、大国主命、事代主命、市杵島姫命を祀っています。
境内には、紅梅が咲いていました。
マルキョウで休憩
休憩後再スタート。この辺りは、唐津街道です。郡境石は、福岡藩と志摩郡荻浦との境です。当時荻浦は大分・中津藩の飛び地でした。
荻浦神社は、御祭神は、天照皇大神、国常立尊、豊受姫神、菅原大神
昔は老松神社と言った。一説には十六天神、また豊満神、山王神の相殿であるとも言う。明治5年11月3日村社に定められる。
美咲が丘から筑前前原駅に向かいます。駅近くの笹山公園は、糸島市の桜の名所です。3月末の楽しいウォーキングのコースに入っています。
11:33 JR筑前前原駅にゴールしました。
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