筑前福岡藩には、6筋あり、27宿の宿場が設けられ、
長崎街道に属するものが6宿、それ以外を21宿とよんでいた。
なかでもこの唐津街道には、10宿がありました。
【芦屋~海老津】
太閤水を通って高須中学校の方に行くと、坂道になった。
ここから芦屋町になる。
私は、遠賀川の向こう側が芦屋町と思っていたが、
明治時代芦屋村と山鹿村が合併して「芦屋町」になったそうだ。
このあたりは、昔の「山鹿」。
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左側に石碑が見える。「安徳天皇行在所跡」と書いてある。
裏側に説明文が書かれているんだが、裏にはプラフェンスがあり、読めない。
帰ってからネットで調べてみた。
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それによると
「寿永2年(1183)7月、平家一門は、安徳天皇を擁して九州太宰府へ都落ちしたが、
豊後の緒方三郎唯義の軍に追われ、悲惨な逃避行を続け、香椎、宗像を過ぎ、
山鹿兵藤次秀遠のお迎えを受け、山鹿で過ごされた。
のち、秀遠は、この地、大君の茶臼山に幼帝のために行在所を造営した。」
安徳天皇は、このあと四国の屋島に行き、最後は下関の壇ノ浦で命を絶たれた。
この造営所が今は「大君神社」となっている。野球グラウンドの横にひっそりと建っている。
旧山鹿村役場跡を通り、遠賀川に出てきた。
芦屋橋は工事中で、横に仮橋が建っている。
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橋を渡っていると、向こうから柴犬4頭を連れたご夫婦と出合った。
私も3年前まで柴犬を飼っていたから、柴犬を見ると可愛くて仕方がない。
頭をなでてやると、奥さんが、神社のパンフを持ってきて、
「うちのワンちゃん神社のパンフに載っているのよ。」と言ってパンフを見せてくれた。
七五三の時の写真だろうか、可愛い。胸には名札がついている。
芦屋町は、遠賀川河口港として発展し、「芦屋千軒、関千軒」と下関と
同じくらいの賑わいをみせていた.
地図を見ると橋を渡った左側に「芦屋釜鋳造跡」があるように書いてある。
探すけど解らない。100mぐらい行った所に人がいたから聞いてみた。
「あしや釜はどこでしょうか?」
その人向かい側を指差す。みると「銘菓あしや釜」となっている。
いや、お菓子じゃないんです。といってもう一度聞いてみるが、近くで犬が
吼えているのでその方の声が聞き取れない。
自分で探すことにした。
芦屋釜鋳造所跡は、橋のすぐ横の少し低くなっている所にあった。
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茶道をされている方は、ご存知かもしれませんが、鎌倉時代から名声を博し、
室町時代に一世風靡した茶の湯釜の名器。
現在、国の重要文化財指定の茶の湯釜の9個のうち8個が芦屋釜だそうです。
橋を直進すると、右側に「福岡藩焚石(ふんせき)会所跡」があった。
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裏の説明文を見るが、ブロックに挟まれ見ることができない。
先の芦屋釜もそうだったが、碑は建っているものの、すぐ横にブロックなどがあり、
読むことができない。まさしく「ブロックされた」という感じか。
「焚石」とは、石炭のことである。
遠賀川流域一帯で石炭の産出、販売が盛んになると、福岡藩は、これを
統制に乗り出した。1826年取引の認可と監視のため、会所を作った。
若松の「洲口番所跡」もこれと同じです。
会所跡を直進すると、大きな旧家が見えてきた。
一見、本陣跡かなと思われる建物だった。
見てみると、呉服屋さんだった。今でも営業されています。
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福田屋薬局の所をまっすぐ行った所に「蘆屋警察跡」その先に「筑前蘆屋宿場構口跡」
「大国座跡」「遠賀郡役所跡」などがある。
このあたりが、芦屋の中心部だったのだろう。
然し、本陣跡などはなにもない。
この芦屋は、遠賀川の物流拠点として江戸末期には、石炭の積み出し港として栄えたのだろう
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心配していた雨は、今にも降り出しそう。
地図では、まっすぐ行くと芦屋小学校があると書いてある。
学校は、突き当たりにあった。
松林に囲まれ、自然豊かな学校だった。
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街道は、自衛隊芦屋基地の中を行くようになっている。
いくらなんでも基地の中を通ることはできない。
ここは、かっちゃんさんの通り、県道に出る。
雨がポツリポツリ降り出した
ここでアクシデント。
私の右足に「豆」が出来てしまった。
私の歩くスピードが鈍る。
それとは知らず、家内は、雨を気にしてか、急ぎ足。
家内との差は広がるばかり。
なんと言う薄情な家内なんだろう。
亭主が豆で苦労してるっていうのに・・・・
そして「早く行くよ。雨が降って来よろうが・・・」
仕方なく、家内に向かって、
「ちょっと待ってん。豆ができたけん、ちょっと休もうや」
こんな時、現代のお茶屋の「コンビニ」が見つからない。
芦屋競艇場近くにコンビニがあった。
私のDバックには、救急絆創膏、シップ薬、包帯、正露丸など
常に入っている。ここですぐ豆の手当て。
粟屋バス停に出てきた。
自衛隊芦屋基地から来た街道はここにつながっていた。
空は暗くなり、雨は本降りになってきた。
近くの工場の軒先を借り、ポンチョとスパッツを装備する。
岡垣町に入った。
海老津駅まではもう少し。
持ってきた地図もぬれてきた。
5時25分。今日のゴール地点「海老津駅」到着。
今日の歩行距離約33km。
途中、雨が降って岡垣町の見所はパスしたが、
何とか無事、「唐津街道」初日を終わることが出来た。
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本日の交通費
博多~戸畑 JR@1、250
戸畑~若松 船代@100
海老津~博多 JR@750 計2,100円
昼食代 店名 カレーハウス「たべった」
家内 「石釜カレー、グリルチキン焼きカレー」
私 「石焼カレー 、オムレツカレー」
単価各@840
長崎街道に属するものが6宿、それ以外を21宿とよんでいた。
なかでもこの唐津街道には、10宿がありました。
【芦屋~海老津】
太閤水を通って高須中学校の方に行くと、坂道になった。
ここから芦屋町になる。
私は、遠賀川の向こう側が芦屋町と思っていたが、
明治時代芦屋村と山鹿村が合併して「芦屋町」になったそうだ。
このあたりは、昔の「山鹿」。
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左側に石碑が見える。「安徳天皇行在所跡」と書いてある。
裏側に説明文が書かれているんだが、裏にはプラフェンスがあり、読めない。
帰ってからネットで調べてみた。
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それによると
「寿永2年(1183)7月、平家一門は、安徳天皇を擁して九州太宰府へ都落ちしたが、
豊後の緒方三郎唯義の軍に追われ、悲惨な逃避行を続け、香椎、宗像を過ぎ、
山鹿兵藤次秀遠のお迎えを受け、山鹿で過ごされた。
のち、秀遠は、この地、大君の茶臼山に幼帝のために行在所を造営した。」
安徳天皇は、このあと四国の屋島に行き、最後は下関の壇ノ浦で命を絶たれた。
この造営所が今は「大君神社」となっている。野球グラウンドの横にひっそりと建っている。
旧山鹿村役場跡を通り、遠賀川に出てきた。
芦屋橋は工事中で、横に仮橋が建っている。
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橋を渡っていると、向こうから柴犬4頭を連れたご夫婦と出合った。
私も3年前まで柴犬を飼っていたから、柴犬を見ると可愛くて仕方がない。
頭をなでてやると、奥さんが、神社のパンフを持ってきて、
「うちのワンちゃん神社のパンフに載っているのよ。」と言ってパンフを見せてくれた。
七五三の時の写真だろうか、可愛い。胸には名札がついている。
芦屋町は、遠賀川河口港として発展し、「芦屋千軒、関千軒」と下関と
同じくらいの賑わいをみせていた.
地図を見ると橋を渡った左側に「芦屋釜鋳造跡」があるように書いてある。
探すけど解らない。100mぐらい行った所に人がいたから聞いてみた。
「あしや釜はどこでしょうか?」
その人向かい側を指差す。みると「銘菓あしや釜」となっている。
いや、お菓子じゃないんです。といってもう一度聞いてみるが、近くで犬が
吼えているのでその方の声が聞き取れない。
自分で探すことにした。
芦屋釜鋳造所跡は、橋のすぐ横の少し低くなっている所にあった。
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茶道をされている方は、ご存知かもしれませんが、鎌倉時代から名声を博し、
室町時代に一世風靡した茶の湯釜の名器。
現在、国の重要文化財指定の茶の湯釜の9個のうち8個が芦屋釜だそうです。
橋を直進すると、右側に「福岡藩焚石(ふんせき)会所跡」があった。
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裏の説明文を見るが、ブロックに挟まれ見ることができない。
先の芦屋釜もそうだったが、碑は建っているものの、すぐ横にブロックなどがあり、
読むことができない。まさしく「ブロックされた」という感じか。
「焚石」とは、石炭のことである。
遠賀川流域一帯で石炭の産出、販売が盛んになると、福岡藩は、これを
統制に乗り出した。1826年取引の認可と監視のため、会所を作った。
若松の「洲口番所跡」もこれと同じです。
会所跡を直進すると、大きな旧家が見えてきた。
一見、本陣跡かなと思われる建物だった。
見てみると、呉服屋さんだった。今でも営業されています。
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福田屋薬局の所をまっすぐ行った所に「蘆屋警察跡」その先に「筑前蘆屋宿場構口跡」
「大国座跡」「遠賀郡役所跡」などがある。
このあたりが、芦屋の中心部だったのだろう。
然し、本陣跡などはなにもない。
この芦屋は、遠賀川の物流拠点として江戸末期には、石炭の積み出し港として栄えたのだろう
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心配していた雨は、今にも降り出しそう。
地図では、まっすぐ行くと芦屋小学校があると書いてある。
学校は、突き当たりにあった。
松林に囲まれ、自然豊かな学校だった。
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街道は、自衛隊芦屋基地の中を行くようになっている。
いくらなんでも基地の中を通ることはできない。
ここは、かっちゃんさんの通り、県道に出る。
雨がポツリポツリ降り出した
ここでアクシデント。
私の右足に「豆」が出来てしまった。
私の歩くスピードが鈍る。
それとは知らず、家内は、雨を気にしてか、急ぎ足。
家内との差は広がるばかり。
なんと言う薄情な家内なんだろう。
亭主が豆で苦労してるっていうのに・・・・
そして「早く行くよ。雨が降って来よろうが・・・」
仕方なく、家内に向かって、
「ちょっと待ってん。豆ができたけん、ちょっと休もうや」
こんな時、現代のお茶屋の「コンビニ」が見つからない。
芦屋競艇場近くにコンビニがあった。
私のDバックには、救急絆創膏、シップ薬、包帯、正露丸など
常に入っている。ここですぐ豆の手当て。
粟屋バス停に出てきた。
自衛隊芦屋基地から来た街道はここにつながっていた。
空は暗くなり、雨は本降りになってきた。
近くの工場の軒先を借り、ポンチョとスパッツを装備する。
岡垣町に入った。
海老津駅まではもう少し。
持ってきた地図もぬれてきた。
5時25分。今日のゴール地点「海老津駅」到着。
今日の歩行距離約33km。
途中、雨が降って岡垣町の見所はパスしたが、
何とか無事、「唐津街道」初日を終わることが出来た。
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本日の交通費
博多~戸畑 JR@1、250
戸畑~若松 船代@100
海老津~博多 JR@750 計2,100円
昼食代 店名 カレーハウス「たべった」
家内 「石釜カレー、グリルチキン焼きカレー」
私 「石焼カレー 、オムレツカレー」
単価各@840
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