よっちゃんのおててつないで

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2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

「新田原~行橋」花を求めて(福岡県行橋市)

2014-06-11 22:14:00 | JR九州ウオーキング

6/07(土)JR九州ウオーキングのパンフに「官兵衛、九州最初の居城〈馬ヶ岳城〉」とあり、興味津々で集合場所の「新田原(しんでんばる)駅」へ。

 

   

歩いていると民家のお花が綺麗に咲いています。ウオーキングをしているといろんな花に出会えて楽しいですね。そういう私もウオーキングする前は、花の名前なんかまったくの無知でした。

今では、少しぐらいは花の名前がわかります。これもウオーキング効果なんでしょうか?

このコースは、民家にいろんなお花が咲いていてそれを楽しみながら歩きました。

この木は何という木なんでしょうか、「なんじゃもんじゃ」みたいに白い花が咲いています。

    

豊津物産直売所「国府の郷」に来ました。ここではウオーキング参加者に地元産のお米が(1合)サービスで配られました。

  

この「国府の郷」がある所は、京都郡(みやこぐん)みやこ町になります。福岡にあって「京都郡(みやこぐん)」というのが不思議でしたが、景行天皇の時代、熊襲が背いたため征伐すべく、天皇自ら

西に下り、筑紫(この時代、九州は筑紫と呼ばれていた)に入り、豊前国長峡県に行宮(かりみや)を設けたところから、京(みやこ)と呼ばれるようになったそうです。

直売所では、「官兵衛弁当」がありましたので、即購入しました。おにぎりの部分が、官兵衛の兜になっていました。

   

国府の郷の横には、豊津国府跡があります。

国府とは、奈良時代の日本は、中央集権的な国家体制が整えられました。九州では、豊前、豊後、筑前、筑後、肥前、肥後、日向、薩摩、大隅の9国(注:現在九州と呼んでいるのは、この9国から起因する)と

壱岐、対馬、多褹(たね)の3島で構成され、これらの国、島を統括する機関として「大宰府」が設置されました。

豊前国は、現在の北九州市から大分・宇佐までの地域で、これらの地域における政治、行政の中心としての役割を果たしました。

中央政府から国司が派遣され、国司は、租・庸・調などの税の徴収をはじめとする国内政治にあたる他、軍団を統括する権限も与えられました。

  

    

国府跡を過ぎると、民家の庭先に「泰山木(たいざんぼく)」が咲いています。花が大きく盃に似ている所から、大盃木=泰山木になったとも言われています。

スモークツリー(けむりの木)は、綿菓子みたいですね。

   

   

 豊前国分寺は、奈良時代聖武天皇勅願(741)により、全国60余国に設置された国立寺院です。国家の平安を祈る道場であったが、同時に又、豊前国の学問や文化の中心としての重要な役割を果たしていました。

天正年間(1573~92)、大友氏の兵火で焼失しましたが、江戸時代の元禄年間にほぼ復興。三重塔は明治29年に建立されたものです。
塔の高さは23.5m、九州に3箇所しかない塔です。

   

国分寺には、赤い蓮の花、もみじに実がついていました。

   

みやこ町花菖蒲園にやってきました。この花菖蒲園には、3000株1万本の花菖蒲が咲いています。6/7は、夜会で人形浄瑠璃などの公演も予定されています。

   

   

アジサイも満開です。このアジサイを見ているとキリギリスでしょうか、カメラを近づけると触角が動きました。

   

豊津街道から行橋(ゆくはし)市に入ります。この行橋市、明治22年(1889)行事村、大橋村、宮市村の3村が合併して出来ました。名前の由来は、行事村の「行」、大橋村の「橋」をとってつけられたそうです。

しばらく歩くと「正(しょう)八幡宮」が」あります。この神社の祭神は、応神天皇、神功皇后、比売大神です。宇佐八幡宮と同じですね。

また、行橋~別府間100kmウオークの出発点でもあります。正八幡宮でも花菖蒲が満開でした。

 

  

行橋市歴史資料館では、「官兵衛展」が開かれていました。

行橋と官兵衛というのは、あまり結びつきがないのでは?と思っていましたら、

天正十四(1586)年七月、秀吉は九州攻めを始めます。官兵衛は秀吉に先立って九州に入り活躍します。

天正十五(1587)年に秀吉も自ら遠征軍を率いて九州へ上陸し、同年三月二十九日には馬ヶ岳城に入り二泊します。

天正十五年五月には島津氏が降伏し九州攻めが終わります。

同年七月、官兵衛は秀吉から豊前六郡(京都郡、仲津郡、築城郡、上毛郡、下毛郡、宇佐郡の一部)を与えられました。

官兵衛は中津城に移るまで、馬ヶ岳城を居城とし領内の統治を行いました。

また、官兵衛の家臣「後藤又兵衛」は、黒田長政が筑前福岡の藩主となってから、益富城の城主に任命されますが、事情があって福岡藩を出て浪人となります。

 

浪人となった又兵衛は小倉藩に身を寄せ、現在の行橋市の今井に一時期滞在しています。当時又兵衛が食事に使った膳が今井の西福寺に残っています。

 

又兵衛は小倉藩を離れる際、地元(現在の行橋市沓尾)の有力な庄屋であった守田家に自分の槍を残していきました。官兵衛の息子「長政」とは、あまり仲が良くなかったみたいですね。

  

官兵衛展を出て、行橋の商店街を通りゴールの行橋駅には、13:20にゴールしました。

   

このあと次のウオーキングの為、JR筑前岩屋駅に移動しました。

 

 

 

 

 

   

 

 

 


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7 コメント

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Unknown (あすか)
2014-06-12 11:49:57
今回は沢山の花々を観ながら癒しのイベントとなりましたね。先日私もヤマボウシと云う花が咲いているところを観ましたが、始めは何と云う花か解りりませんでした。

菖蒲で思いだすのが以前のSNSでの「アジサイでショウブ」でした。懐かしい!
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あすかさん (よっくん)
2014-06-12 13:59:31
コメントありがとうございます。
アジサイで菖蒲ありましたね。それも東西対抗戦でした。
結構本気で戦っていました。(^O^)
今度の土曜日は、見返りの滝のアジサイを見に行って来ます。
デジブックでの公開となりますので宜しくお願いします。
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Unknown (kumasan)
2014-06-12 22:15:52
豊津は家内の憧れの地であります。
唱歌・「庭の千草」や「埴生の宿」の作詞者として有名な
里見義(さとみ ただし)の故郷だからです。
また戊辰戦争のあと、会津藩の子弟7名が、豊津の優れた藩校に学んだことも、会津と豊津の繋がりを物語っています。
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新田原は来年の楽しみに (ぼくちゃん 相棒)
2014-06-12 23:26:53
こんばんわ 

戸畑を歩いたので、新田原は今年は歩かなかったのですよ(さすがに、ダブルは無理でした
ブログを読んで、歩いた気分になりました
官兵衛弁当、美味しそう 
やっぱり私は、花より団子かな  
沢山のお花を楽しむ事ができました
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kumasan (よっくん)
2014-06-13 13:53:48
埴生の宿の里見義さんは、豊津でしたか?
知りませんでした。あと庭の千草も作詞されていますね。
高校と言うと、育得館ですね。
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ぼくちゃん&相棒さん (よっくん)
2014-06-13 14:08:27
ポイント2倍ということで来ました。
行橋、みやこ町は初めて歩きました。
民家には沢山のお花が植えてあり目の保養にもなりました。お薦めです。
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ようこそ我が故郷へ (もりちゃん)
2014-06-18 19:31:06
 私は豊津で生まれ、育ちました。国分寺でよく遊んでいました。馬ケ嶽も何度か登りました。田舎の香りたっぷりだったでしょう!!私が子供の頃は町に信号機がありませんでした。
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