夕方、大学時代の友達から共通の友達が亡くなったという知らせがあった。亡くなった友達は難病を患っていた。毎年年賀状をご実家に宛てて出していた友人に、お母様から、去年の10月に亡くなったという内容の葉書が届いたそうだ。
ずっと、「どうしてるかな。入院してるのかな。」と気にはなっていた。でも、衰えた自分を見せたくないと思ってたであろう友人は「見舞いに来るな。連絡してくるな。」と頑なに私たちを拒絶していた。
暮れに忘年会で集まったときも「どうしてるかしら?」と今日連絡をくれた友達と話していたのだ。
闘病生活は7年以上になるのかな。
「よく頑張ったね。」と言ってあげたい。
合掌
以下、彼に関する昔の日記
■2004年11月の日記
落ち込みました。しかも他人のことで。大学時代の友人(男性)からのメール。重篤な難病に罹ってるというカミングアウト。夕方メールにざっと目を通し(長文だったのです)、すぐに犬の散歩へ。暗くなった公園で不覚にも涙がこぼれた。かわいそうという同情の気持ちではない。あまりにも淡々とした語り口だったし、彼自身が病気を受け入れてるような内容だったので、彼の大きさというか、ある種「神様」のような偉大さを感じてしまった。
告知(病名確定)までに時間があり、本人はいろいろ調べてある程度覚悟が出来ていたとあった。
彼は独身で、現在ご実家暮らし。ご両親にはまだ打ち明けていないようだ。自身がパニックになってもいい状況なのに、両親を気遣う…ああ、なんて事だろう。
比較的、家が近い数人の友人に知らせてくれた。今後、援助してもらう可能性もあるからって。
いったい私に何ができるんだろう。
自分の非力さにまた涙・・・
■2007年3月の日記
(第1回湘南国際マラソンの完走記)
後半をアップせぬまま、1週間が経ってしまった
なにをモタモタしてるのか…なんだけど、後半、ある思いが胸に込み上げてきて、ウルウル してしまった。その“思い”を、どう表現するか、そもそも、アップするべきか迷っていてぐずぐずとしていたわけ。
今も、書こうと思うと、涙が出てきてしまう。
困ったなあ。
そのウルウルポイントを省いて、アップすれば済むことなんだけど、時間が経つにつれ、レース自体のこと、実際経験したことは、記憶が薄れてきているというのに、それに反比例するかのように、その“思い”の方が、大きく膨らんできちゃった。
鵠沼在住の友人。
難病発病前は、ジムに通い、筋トレもいていた。ランニングもしていた。
この年(2004年)の6月に会った時、「今度、月例湘南に行くからね。」 と私、言ってたのだ。05年明けてから、本人が、「会いたくない。メールもよこすな。」 と言い出し、連絡をとっていない。今、どんな病状なのか、どのくらい運動能力が残っているのか、私は、全く知らない。車椅子で出歩くこともあるんだろうか?入院して寝たきりなのだろうか?
湘南国際マラソンの後半、最後の最後で、鵠沼あたりを通る時、沿道に車椅子の彼がいるんじゃないか、もしかしたら、見てるんじゃないか、って探してた。やっぱり、見つからなかった (いなかった) けど。
もし、そんな大変な病気にならなかったら、きっと走ってたよね、地元だもん。そう思うと、健康で元気に走れる自分が、もう、ありがたくて、ありがたくて涙が溢れてきた。
そして、去年の秋、自ら命を絶った女友達のことも思い出した。
「フルマラソンなんて、よく走る気になるわねえ。楽しい?」 と笑って言われたんだった。
走ってます!私、走ってます。走るの嫌いって言っても、走ってます。
彼らに、恥じることのない人生を送らなきゃ、そんな大それたことを考えながら走ってた。彼らの分も走らなきゃ、元気に走らなきゃって。
この自分の日記を読んで、今年も走ることをやめずに、頑張ろうと思った次第。