夏休みの自由研究っていまだにある?夏休みの宿題の定番なのかしら。私の小学生時代を振り返っても、自由研究の宿題はあったと記憶している。毎年、どんな「研究」をしていたのだろう。何も覚えてない。こう見えて課題・宿題はきちんと提出する子供だったので、何かしら(のやっつけ仕事を)出していたのだと思う。
そして大人になって親になって子供が小学生になって夏休みがやって来ると、やはり自由研究の宿題はあり、親子ともども自由研究って何やればいいの?と頭を悩ませることとなった。
ある時(長男か次男か記憶は定かではないが)、息子が「お母さん。自由研究の宿題どうしよう。何やればいいと思う?」と泣きついてきた。8月も最終週だった。いくら大人だ、母親だといえども、よいアイデアがホイホイ出てくるわけもなく、「そうね、もう日にちも残り少ないしね。うーん。自由研究なんだから、やらない自由もある、とか言って提出しませんっていうのはどう?」と半ば本気で提案してみた。息子は、お母さんに相談した僕がバカだったというような顔で大きな溜息をついた。わ、まずい。母の面目丸つぶれ。あわてて「ウソウソ。一緒に考えよう。」と取り繕ったけど、今考えると「やらない自由もある」というのは、なかなか妙案だったのではないかな。(いいえ。テーマが自由なんですよっ!)
で、息子も大人になった、しかし孫はまだいないという夏休みの宿題とは無縁の現在、改めて考えてみた。
例えば、「自由研究をやらない・できない100の理由」なんてレポートを書くといのはどうでしょ。文章の練習にもなるし、相手を納得させるスベ(処世術?)も身に付くし、とってもためになる宿題になると思う。
例えば、「自由研究をやらない・できない100の理由」なんてレポートを書くといのはどうでしょ。文章の練習にもなるし、相手を納得させるスベ(処世術?)も身に付くし、とってもためになる宿題になると思う。
100はキビシイというなら、夏休み毎日1つずつ、40の理由を考える。
ふーむ。第1日目の理由は決まり。
夏休みの初日、せめて初日くらいはと思いノンビリと過ごしたため自由研究はしなかった。
そういえば。
走らない言い訳もツラツラ述べられるんだったわ、私。
もしかしたらと昔のブログをガサコソ探してみたら…
やっぱりあったあった、似たような日記。 →2007年9月3日 どんなもんだろう
10年も続けてると、おんなじような日記したためちゃうのね。