【コブシ、エンゴサク、ヒトリシズカ、ニリンソウ、ヒメイチゲ、エンレイソウ、ナニワズ、キバナノアマナ】特に気にしてはいないが、平成最後はM't Moiwa藻岩山へ
家族連れなど老若男女、大勢の登山者で賑わっていた
藻岩山麓の桜
藻岩山麓の木蓮
札幌岳から紋別岳
微かに増毛連峰
下界に下りて
北海道大学札幌農学校第2農場の牛
花の絨毯(農学校近く)
映画無料招待券をもらったので何を観るか悩んだが、結局・・・平成最後に観た映画は、「クレヨンしんちゃん・新婚旅行ハリケーン〜失われたひろし〜」
劇場映画27作目だ。キャッチコピーのとおり、「伝説の秘境、危機100発」「野原一家、愛の試練(ピンチ)」であった。笑いと涙・・・独りで堂々と観にいった
奧徳富岳(尾白利加岳)1346mの山頂から
山スキー日和だったが、災難続きの山行
山頂から滑走しようとしたらビンディング破損
赤色のデジタルカメラ紛失
背中等の鈍痛続く(CT検査結果待ち)
簡易GPS修理中
・・・しかし嬉しいことに、4月上旬に信砂岳で出会ったSさんらと山頂で再会し、固定バンドなどでビンディングを応急処置していただいた
やや快適な滑り
を楽しめた
デジカメ紛失のためスマホ撮り数枚しかない
648pあたりから群別岳
遠くに大雪山や十勝岳、夕張岳・・・
4月上旬に登った知来岳が眼下に・・・
ひときわ大きい暑寒別岳
登り8:00-13:00/
13:30滑り15:45
奧徳富岳(おくとっぷだけ)=尾白利加岳(おしらりかだけ)
1994年まで、この山は名前のない無名の山であった。空知管内新十津川町と石狩市浜益区(浜益村)の境界にある無名峰だったが、新十津川町内外の登山愛好者が奥徳富岳(おくとっぷだけ)と公募等で名付けた。命名理由は、新十津川の古名がトックであり語感がトップに似ている
徳富川の源流に位置
徳富岳の西奥に位置・・・などを上げている。個人的には、尾白利加岳(おしらりかだけ)派だが
浜益10名山の冊子
には、1956年頃から『尾白利加岳』と呼ぶようになった。1967年、日本百名山著のを深田久弥が雨竜沼から南暑寒岳に登り、増毛町に降りる際に『尾白利加岳』と付けたことに対し、素晴らしい山名と賞賛。画家で小説家の坂本直行氏も同じく褒めている。1950年発行の北海道谷と山には『ポン群別岳』の山名で載っている。国土地理院の地図上には標高点のみで山名表記も無いこともあり、地元山岳会を覗いては『無名山』とも呼ばれていた。1994年、新十津川町で山名公募が行われ、新しい山名として『奥徳富岳』と命名。幕末から現在まで『アアラ山』『尾白利加岳』『ポン群別岳』『無名山』『奥徳富岳』と5つもの名を冠し
、山容は群別岳に勝るとも劣らない風貌ながら、大地を俯瞰する様は何故か感傷を誘う。しかるに"尾白利加岳派"と"奥徳富岳派"が存在する」とある。
帰路の厚田の夕日
が素晴らしい
一等三角点▲厚別
札幌市内には一等三角点が7つあるそうだ。
札幌北端一等▲7.37m
札幌南端一等▲14.90m
月寒一等▲239.36m
札幌岳一等▲1293.04m
手稲山一等▲1023.12m
琴似山(三角山)一等▲311.07m
厚別一等▲20.04m
最後に残った▲厚別
小生宅からは遠距離で、最初どこにあるか分からなかった
まさか、こんなところに
目の前の公園で少年野球の練習を少し見て帰る
久し振りに、冬しか利用していない白旗山近くの自然歩道散策「なんじゃこりゃ~
」これまでの台風
などの影響で風倒木多すぎる
入口も
強引に攻めたが三角点どこ
ありました▲月寒
あちこち
帰路は倒木の少ないコースへ
札幌台&福寿草
色とりどりのエゾエンゴサク&ムラサキエンレイゾウ
札幌台291m
の周遊・・・潜ったり、飛んだり、横切ったり、まるでアスレチックのようで疲れた
上空から御嶽山や日本アルプスと富士山・・・現在はかなり雪解けが進んでいると思う
調子悪いときの低山徘徊シリーズ
西野市民の森・最高点の251峰(251m)
入口
フクジュソウ&ナニワズ&エゾエンゴサク&サッポロマイマイ
赤いエンジンカウル・・・スカンジナビア航空
視界の悪い251峰
藻岩山
二等三角点のある岸和田城のある猪伏山(いぶせやま)13.6m
岸和田城は別名・千亀利城(ちきりじょう)
小高い丘だった猪伏山(いぶせやま)に築城された
天守閣(展望台)から
「おじさん~あの山なあに
」
「金剛山かな・・・和泉山脈」。女性には声はかけられないが、子どもと外人にはよく話しかけれる
【裏昭和新山】
【昭和新山頂上からの有珠山&眼下の三松正夫記念館】
壮瞥町・NPO法人有珠山周辺地域ジオパーク友の会による昭和新山での登山学習会にN氏と参加。汗をかかない
軽登山は久しぶり
昭和新山398mは支笏洞爺国立公園内にあり国の特別天然記念物
普段は
危険防止のため入山規制が厳しく、一般の人が入山できる機会は年数回の登山学習会等のみ
有珠山の一部として常時観測火山に指定されており、自然環境を守る目的もあり、入山禁止となっている。山は私有地でもあり、学問・研究等の目的で特別に許可される
火山活動で山が生成する様子を記録したことで知られる故三松正夫氏の銅像
三松正夫氏の曾孫の靖志さんがガイド
火山誕生の様子を1枚の図面に記録(目線が一定になるよう支柱に釣り糸を張り、隆起の様子を克明に描いた画)したミマツダイヤグラムの説明を受ける。昭和新山の標高は408mから測量の度に低くなり、現在、398mである。冷えたことで山全体が縮小したようだ。いずれは緑の里山になるのか
「麦圃生山(ばくほせいざん=麦畑から山が生まれる)」という故三松氏の言葉
真っ直ぐに育っていないシラカバで「ど根性の木
」と命名=人生つらいことがあろうとも、生き抜けばやがていいことがあるという教訓の木。噴火によって枝が折れても頑張って生えてきたようだ。
登山口・・・8カ国語の看板
。近年、外国人の遭難や無許可入山があったため
いきなり綺麗なエゾシカの死骸
(死因は
)
地熱99.5度
洞爺湖と羊蹄山が素晴らしい
休憩(昼食)
地熱レンジのとうきび
風冷たいが地熱で心地よし
眼下に壮瞥町とオロフレ山など見える
頂上を瀬に昭和新山ポーズ
あっという間の頂上。独立峰の景観素晴らしい
遠くに駒ヶ岳&内浦湾
硫黄の花
6合目付近の花
ハハコグサはまだ黄色く咲いていない
オオイヌノフグリ(多分)小さくて分かりづらい
ネコノメソウ
真剣に説明を聞くN氏
裏新山で鮭ポーズ
サケに見えるかな・・・
ドローン撮影現場
高級なドローンは迫力と安定感ある
最後に新山ポーズ
三松正夫記念館で復習
壮瞥温泉
と隣の新山沼・・・お疲れ様でした・・・