【農家のそばや羊蹄山・倶知安町】今年は、札幌市の姉妹都市・米国ポートランド市の学生らがやってきて、小生宅にインドア派の学生が1ヶ月ホームステイ(昨年はタイ)。とにかく現代人なのかスマホ&ゲームばかりやっていた学生だったI'm not interested in climbing(登山には興味がないようだ)。秋本札幌市長を訪問するDaiveらポートランドの学生ら。日本が大好きで日本語を学ぶために勉強しにきた。定山渓足湯月見橋中山峠。ここに羊蹄山を入れるのがポイントと説明米国青年、山や高い処が苦手のようで、水が好きというので京極のふきだし湧水で大量に水汲みさせるThis is a Mizunara tree・・・自然界興味ない「農家のそばや羊蹄山」の外国人対応メニュー。やまかけ蕎麦など面白い訳。大湯沼チセヌプリなど登った後よく利用する蘭越町・雪秩父男性の湯にはないが、女性湯には、泥パックで肌がツルツルになる泥風呂がある。まあ、よく食べるDaive。エビ、枝豆、サーモン好きらしい。学生連れには一番安くて美味しいスシローお土産でもらったフッド山のタオル。アメリカ・オレゴン州の最高峰Mount Hood3400m。独立峰で、オレゴン富士とも呼ばれるこの山、登山は簡単なのでお金と時間があれば、いつか登ってみたい参拝して清めよDaiveは約2ヶ月半も夏休みで、ホームステイ終了後は、東京や博多で遊んで帰国するそうだ。経済的に余裕のある家庭とか。冬休みは2週間。Daiveのように、アメリカは16歳以上なら車の免許を殆ど持っているようだ。帰国後、車の保険料などを払うためプールの監視員でバイトとか。日本は3度目で「日本人やさしい」「とても、親切」「安全、安心」「建物美しい」「蕎麦、寿司、美味しい」とのこと・・・酒呑めて、アウトドア派なら嬉しいのだが
【優しそうな植物園の剥製ヒグマ】【今年jyunさんが登山中に出会ったヒグマjr】【上空からの植物園】札幌の都心に残る緑のオアシス・・・北大植物園。年に1回は入園する。ハルニレ、ミズナラ、ブナなど巨木が園内のあちこちにある。鬱蒼とした林も残されているが、秋は落葉広葉樹林があるので素晴らしい景観となる。近年は、外国人の入園者が目立つ。お客さんを連れて案内高山植物園はトムラウシの8合目をイメージして造られた。登山道のようミヤマオダマキカナディアンロックガーデンクリンソウ・・・これはトムラにありませんエゾイタヤアカカシワエゾエノキサイカチカラマツサワグルミサワラシナサワグルミセイヨウムラサキブナドイツトウヒドイツトウヒトチノキハリギリ、センノキハルニレ、ニレハルニレミズナラプラタナスユリノキヨーロッパクロマツエゾクガイソウ運が良いとレブンアツモリソウが観られる。2000年より栽培実験を開始し開花に成功している
今年のセ・パ交流戦は、小生在住の札幌ドーム&楽天Koboスタジアム宮城に応援・・・観戦した試合全敗 青葉城鯉歌&鯉のまち札幌とはいかず・・・今季は開幕から5カード連続負け越しで、データ上の「優勝確率0%」、さらに、交流戦最下位となり、過去に交流戦で最下位となってしまった球団の「優勝確率0%」・・・しかし、データとは関係なく5月には、驚異のV字回復を示しているので、今年は、7月、9月の奇数月は連勝街道をばく進するでしょうさらに、これだけ負けたのに、巨人と1ゲーム差の2位ですコボスタの広島お好み焼きやけ食い日本酒(熱燗)もあるコボスタやけ酒負けてもチームを見守るファンです何度かの得点圏で誠也が打席で凡退することが多かった交流戦、チーム打率は12球団ワーストの2割1分9厘。気にしませんへこたれません28日からの再開リーグ戦で連勝・連笑しリーグ制覇に向け突き進め
【旧大成町太田(せたな町大成区太田)にある天狗岳】【小生手作り横断幕。手拭いにしたほうが良いというアイデアも】 20年以上いろいろとお世話になっている「一人歩きの北海道山紀行」のカリスマ登山愛好家sakagさんの道南全山219座完登ゴールの山となった太田・天狗岳(508m)に、お祝いを兼ねて札幌から駆け付ける。道南、道央地域を含め15名が同行。凄い人気だ。小生は全く知らなかった山で、参加者全員も未踏の山だったようだ。登山道はなく藪漕ぎ覚悟であったが、心強いメンバーばかりで意外と簡単に登れた。地元の人と話すsakag氏。地元のおばちゃん「集団の山菜取りか」「登山です」「山菜採り用の踏み跡は途中まであるよ・・・」「ありがとう」小生の大好きな道南の山仲間「チーム他力本願」の出陣ポーズ墓場まで明瞭。最初は藪漕ぎ。所々踏み跡あり。巨樹所々に。藪マイスターjyun氏。既に疲労気味。大田神社眼下に。早すぎたか、後者グループを何度か休憩して待ちます。森林浴最高頂上5m前でsakag氏に先頭を譲りお祝い準備「チーム他力本願」hiro氏の横断幕。どこかの事務所で見たような紙質頂上にあった明治中期の北海道庁測量標石。北海道地図の作製のために行われた測量の基準点として設置された標石かな。北海道開拓を物語る貴重な資料。標石には「北海道廳」とあるが「明治○○年○月」は見あたらなかった。昨晩飲み過ぎて吐く・・・いや掘っているところです下山。チーム他力本願」が用意したケーキ凄い乾杯して食べますご馳走様でした皆様、お疲れさまでした【Sakag氏HPから引用】
上記の219座とは、道南山域(黒松内低地帯より南)の国土地理院発刊の1/25000の地形図に山名の記載されている山である。
おまけ。前日、道南に用事があって宿泊した熊石の桝井旅館。愛嬌のある美人な女将さんで料理もいい知り合いからの日本酒差入れで、熊石の夜を満喫翌日、二日酔いのままよく登ったと思う
松浦武四郎の東西蝦夷山川地理取調図 北海道150年記念ドラマ「永遠のニシパ 北海道と名付けた男 松浦武四郎」が道内で先行放送されたので観たが・・・まあよく探検家の松浦武四郎を含め測量家の伊能忠敬など先人らは、道内の不明瞭な悪路、山道など、道なき道を歩いたものだと感服する。登山の藪漕ぎでも大変なのに・・・北海道の名付け親である幕末期の探検家・松浦武四郎(1818~88年)が蝦夷地(えぞち)と呼ばれた道内各地を巡り、アイヌ民族との交流を描いている。ニシパはアイヌ語で「大切な人」の意味。道内各地の記録を取りながら歩いた苦労が伝わるドラマだったが、後味は決して良くないドラマだったような気がする。アイヌ民族を抑圧した松前藩や商人を告発し、アイヌと共生の思想に目覚め、新しい国を造ろうとしたのに、アイヌ民族と心を通わせた武四郎を、よく思っていない松前藩などから命を狙われる。松前藩らの圧政に憤る武四郎の無念さをドラマで痛感した。政府を辞職した後に雅号としたのは、皮肉をたっぷりこめた「馬角斎」(ばかくさい)だった・・・なるほど昨年(2018)は探検家・松浦武四郎の生誕200年と、北海道命名150年が重なっている。松浦武四郎は、蝦夷地に関する著作を数多く残している。道内の山にも登っている。羊蹄山=公刊本「後方羊蹄(しりべし)日誌」安政五(1858)年3月18日。石狩岳(大雪山)=公刊本「石狩日誌」安政四(1857)年6月23日。雌阿寒岳=公刊本「久摺日誌」安政五年(1858)年5月8日。摩周岳(カムイヌプリ)・西別岳=公刊本「久摺日誌」安政5年(1858)年5月18日にカムイヌプリ(摩周岳)、翌7日に西別岳。日高・観音岳=戊午日誌巻外「東部登武智志」安政5年(1858)年7月24日・・・まだあるようだが
【天塩川付近には武四郎の記念碑があるので今度ゆっくり訪ねてみたい】
松浦武四郎の生涯
1818年(文化15) 伊勢国一志郡須川村(現・松阪市小野江町)に生まれる ※伊能忠敬が亡くなる
33年(天保4) 突然家を出るが、江戸で見つかり連れ戻される ※天保の大飢饉
34年(天保5) 全国各地を巡る旅に出る
38年(天保9) 長崎で大病を患い、出家して僧となる
42年(天保13) 朝鮮半島へ渡ろうと対馬まで行くが、鎖国で諦める
43年(天保14) 故郷へ戻り、ロシアが南下する危機から蝦夷地の調査を決意
45年(弘化2) 初めて蝦夷地に渡り、太平洋岸を歩いて知床岬の先端に到達
46年(弘化3) 2回目の蝦夷地調査で樺太に渡る ※米国の使節ビッドルが浦賀に来航
49年(嘉永2) 3回目の蝦夷地調査で国後島や択捉島などを訪問
54年(安政元) 宇和島藩の依頼で下田にいたペリー一行の様子を調査 ※日米和親条約
56年(安政3) 4回目の蝦夷地調査で箱館から宗谷、樺太を訪問 ※米国総領事ハリス着任
57年(安政4) 5回目の蝦夷地調査。上川、天塩地方を回る
58年(安政5) 6回目の蝦夷地調査で海岸線と十勝、釧路、日高地方を探索 ※日米修好通商条約、安政の大獄
69年(明治2) 開拓判官に任命され、「北海道」の名前や郡名の基となる案を考える ※東京遷都、戊辰戦争終結
84年(明治17) 高野山の骨堂に抜けた髪や歯を納め、近畿地方を旅する ※松方デフレで不況
88年(明治21) 東京・神田の自宅で亡くなる