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馬 鹿 の 崖

2013-12-01 08:27:37 | Weblog
景気を拡大させる

最大の推進力

になっていた泡沫経済



人知れず

一日で

潰してしまった

唯一の原因は

不動産融資の総量規制

という名で呼ばれる

政策の実施

であった


1989年10月に閣議で了承され

翌90年4月1日に施行されたこの政策が

土地に対する投機から

大量の資本を

海の藻屑と消し去った


この変化に当時気付いていた者は

極めて少ない

資産を保全したというケースは

とても 




土地投機に参画していた各種の事業者と

最終的に不動産を高値で掴まされた

無辜の消費者などが

ひとしく

犠牲となることを強いられた

その中には

金融機関の別働隊となっていた

いわゆるノンバンク

と呼ばれる主要な勢力も含まれており

土地という担保を前提に

一社を除く金融機関のすべてが

多かれ少なかれ

担保価値の目減り

という形の

損失を被った


都市銀行は国から資本注入を強制され

取り付け騒ぎを回避し

体力の回復を図ったのだったが

生き残るための措置として

合従連衡へと向かうレールに乗せられて

結果として現在のメガバンクが

四行

作られた


破綻したのは銀行のほか

証券会社

建設会社

商事会社

など多岐に亘っており

国の支援が受けられなかった

企業の多くが最終的に消え去った


銀行は不良債権を大量に抱え込み

保有資産の健全化を目指して

貸し出し先から

担保価値が減った不動産

の評価額以上の融資を

積極的に引き上げた

世に言う貸し剥がし

がこれである

貸し渋りという現象も並行して起きており

中小企業の経営者は

ダブルパンチをまともに受けて

それぞれが自死

する

という道を

一斉に選びとらざるを得なかった


一連の経過から判断する限り

中小企業経営者を抹殺したのは

不動産融資の総量規制を実施した

国会にこそ責任のある話であった


当初の五年間は

国民の殆んどが

バブル経済の崩壊を

まったく理解しておらず

そのことが

開いていた傷口を更に押し広げる

という経過を生みだしてもいた

価値の下がった不動産であることを知らずに

その期間に土地を購入した層は

資産デフレの洗礼を真っ先に受け

損失だけをただ抱え込む

という

最悪の結果を押しつけられたことに

やがて気付いた


資産デフレに続いて起きたのが

デフレスパイラルという現象だった

消費を生み出す筈の不動産購入者たちが

目減りした資産を抱えて

消費意欲を共通して失った


同じ時期

産業では雇用の流動化を図る必要に迫られており

企業は正社員の数を減らして

臨時採用の派遣社員へと切り替える動きを顕在化させていた

これも国会が引き起こした負の遺産のひとつ

大切な収入源を失った労働者たちは

劣化した労働環境への移動を余儀なくされ

収入の低下に伴って

少子高齢化の基礎が

その頃から作られるようになったのだった


企業は銀行からの機敏な融資が受けられず

固定費を削減して

内部留保を篤くする

という道を選ばざるを得なかった

正社員が減ると

固定費を圧縮する効果がすぐに得られる

最近では解雇特区という概念さえ

生み出されるようにすらなっている

それほどまでに

企業の経営を圧迫したのは

金融機関による融資を

円滑に確保できない金融システムを放置してきた

国会にこそ

最大の過誤があることだった

自覚を持たない者は

責任を取る意思を持つことすら

できない


企業はあらゆる変化に即応することができなければならず

そのためには常に予備の資金を

すぐに調達できる資本環境となっていることを

切望していた


そこで内部留保を積み増すことに勤しみ

手元流動性を潤沢にした結果

金融緩和を政府と日銀が実施しても

銀行融資をそれほど必要としない状況が

生み出されていたということになる話


ワリを食ったのは

納税者である国民だけだった

という実に粗雑な経過であった


国会から判断能力を奪ったのは

知識の量的拡大に特化した

教育の粗雑さ以外にはあり得ない

優秀な頭脳は

要りもしない知識に汚染されていったことにより

固有の脳機能が活かされることなく

無益な結果だけを

徒に積み重ねつづけるようになっている


どんなに優れた頭脳であったとしても

その使い方が悪かったのあれば

バカ

というしか他に適切な表現はない


大学に行くと馬鹿になる

と養老孟司が喝破したのは

そのことを指したもの


考える力を養ってこなかった教育が

さまざまな不具合を

今に生み出している

1000兆円を突破した国の債務総額の巨大さが

そのなによりの証拠だといえる


デフレ経済から抜け出そうとして

突出した規模の金融緩和に踏み切った

その結果過剰な円が為替市場へも流れ込み

ドルを買って

円の価値を引き下げる

という目的のために使われた

円安ドル高という現在の為替水準が復活し

輸入物価をその分だけ押し上げた


消費者物価は上がったものの

勤労者の所得水準にその影響は及んでいない

企業が内部留保に血道をあげているうちは

デフレ経済から抜け出すことが

要するにできない

ということなのだ

輸入物価はインフレ効果で高騰し

労働賃金はデフレ効果で低迷しつづけている


銀行がノンバンクに資本の供給を続けてきたということが

バブル経済の推進力になっていた

債務保証として機能していたものが

不動産価格は絶対に下がらない

とする土地神話


国が第一次量的緩和に踏み切るまでに

銀行へと債務保証を与えておく仕組みづくり

を急いでおきさえすれば

金融システムの健全化は

概ね保たれていたことだろう


中小企業の経営者が

身罷るようなことが集中することもなく

産業の推進役となって

日本経済を引っ張っていくことは

その後も

一貫して可能となっていた


政治判断にみられるこの拙さというものが

バブル経済を潰し

資産デフレに過ぎなかったものを

真性のデフレへと発展させた


量的緩和を三次に亘って導入しても

銀行が

市中に融資を増やすことができていなければ

資本は金融機関と株式市場へと

集中的に流れ込む

株価の上昇が長期金利を引き上げた原因となったことから

緩和マネーで運用域を拡大することができた政府系ファンドが

株価水準の安定化を図って

売り圧力をかける

という正反対の役割を担う事態になっている

まことに皮肉なことである


緩和マネーが株式市場へと流入すれば

株価は上がって

低い金利の債券から

利幅の大きい株券への乗り換えが顕在化する

民間による公債の売却は

債券価格を引き下げ

その金利をより高いものにする


政府と日銀とが

緩和マネーという力学的なエネルギーを生み出し

為替市場で円安ドル高を誘導させると

株式市場では輸出産業の株が買われて

株式相場は一段と高くなる

高くなりすぎた市況は長期金利を引き上げることから

同じ緩和マネーの一部が

政府系投資ファンドの手によって

加熱した株式相場を

安定化させておくためのブレーキを

かけさせる

という次第


アベノミクスの本質は

アクセルを踏み込むその一方で

同時にブレーキをかけて

経済的な力動効果を制御する

という態のもの


アクセルとブレーキを同時に踏むのだから

燃費がかさんで排気ガスが増え

ただ温室効果ガスだけが

その濃度をいたずらに高めていく

つまり損失にしかならないことを

国を挙げてやっている

ということになる話だったのである


頭の悪い者たちは

どこまでいっても

バカのまま

国が被った結果の責任は

そのバカども

すべて



引き受けさせるようにしなければならない





※1
日本のバブル経済は85年秋、ドルの通貨価値が上がりすぎたアメリカにより、G5の各国がこぞってドルを一斉に売る、という為替市場への協調介入を実施したことに淵源を発していた。その合意を成立させた場所がブラザホテルだったことから、後にプロザ合意と呼ばれ、その後経済史を彩る一因として一般化した。ドルを売って円が買われるようになったため、日本市場に大量の外貨が押し寄せ、それが円転されて土地に対する投資に使われた。日本の土地は絶対に値下がりしない、という土地神話が当時社会通念となっており、それが投資を投機へと変えていった。
そのプロセスで建設業界や不動産業界などに率先融資していたのがノンバンクだったのであり、銀行が土地取引の表にでることなく、陰で流動性を供給することにより、投機行為から外れたところで巨利を得ていた。銀行は表向き個人の住宅購入の窓口となっており、裏ではノンバンクに土地を仕入れさせるための融資に圧力をかけていた。業者が土地に対する仮の需要を作り出し、消費者が実際の需要を形成するという構図である。仮儒が実需を引っ張ることで、土地投資は投機へと進展し、ついには不動産投資に関する融資に上限を設ける、という結果を政府自らが産み落とすに至った。資本が回らなくなった投機筋は手持ちの資産を一旦処分してからでなければ、新たな仕入れを行うことができなくなり、土地価格の上昇はこれにより漸く鎮静化した。だが、バブル経済のメカニズムが途切れたことを知らされていなかった大勢の国民が、その後も土地やマンションを購入するようになっていた。これが有効需要を創出することになっていなかったことから、失われた20年という不毛な時代が日本の経済史に残された。この間の経緯について有効な説明が未だにどこからもなされていない。バブル経済の発生と崩壊のプロセスを知らなければ、その後のデフレ経済の発生機序を理解することは無論できない。問題の所在を調査しないまま、2%のインフレターゲットを設定し、大量の資本を銀行に流し込んだ量的緩和で、有効需要の創出ができる筈もなく、国民は血税を無効な需要を創出する目的で、損失だけを徒に膨張させる政策を有難がっているという始末。無知ほど不幸なものはない。あたまの良い人ほど、その使い方に於いて無知なのだ。これは教育の欠陥が招いた粗末な結末の一つに過ぎない。バブル崩壊とデフレ経済の出現に関して、この程度の内容は新聞を読んでいれば、誰にでも分かっていたことだった。国の劣化という現在の状況は、教育の弊害によってまさしく引き起こされたものに相違ない。

※2
問題というのは、この程度の簡単な説明をすることすらできない識者で、日本が占められているというそのことにある。認識能力のない者が経済政策を立てている。これほどおそろしい行為は、他にあるまい。経過と結果との関連を注意深く見ていれば、おそらく瞭然たるものがあった筈のこと。国の借金と温暖化とが、これまで一向に止まろうとしなかった訳である。
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