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一度キレたらホトバしる

2008-06-10 11:01:35 | Weblog
電力会社に太陽電池で発電した電気を売っても、それでCO2を減らしたと思うのは錯誤。交流が貯めておけない電気であるということは、今や誰でも知っている、常識。太陽電池は直流の電流を生む。わざわざ交流に直して使っているのが、そもそも不合理。貯めておける電気を、わざと貯めておけない電気にしているのだから。

すべての電気製品がパソコンのように直流で動くようなものだったら、発電所にかかっている負担は随分と減っている。発電所の燃焼炉を止めてしまっても、消費地で電気を保存することができるようになっていたら、CO2を減らすのは簡単。電気を貯めておく製品は、いまならどこにでも転がっている。


貯めておけない交流がインフラになったため、電気を流しっぱなしにしていなければならなくなった。電流は流れてゆく先を自分で勝手に決めている。電圧の高い方から、より電位の低い方へ。抵抗の少ない道だけを選ぶしきたり。電気回路のおしまいとなる所にアースが用意されているのは、そこがゼロボルトで最も低い電位になっているから。すべての使われなかった電流は、最後の最後になって地球へと戻される。交流送電では、変電所ごとにアースへと落ちるラインが用意されている。業界で「接地系」と呼ぶ系統がこれ。電信柱でつながっているのは「非接地系」という種類。電流を導くのが電位ではなく、負荷になっている。ここが、ミソ。

太陽光発電が生み出した直流の電気は、交流となった瞬間に捨てられてしまう定め。電信柱の上にあるトランスからでている引き込み線のどこかで電気製品が動いていたら、太陽電池が生んだ電力は多少の役に立っている。引き込み線につながっている家庭で電気製品のスイッチが切られたら、電力会社の電気の方がより多く地の底へと落ちてゆく。

負荷が消えてしまうのだから・・・ 

ほんの一瞬の差。交流送電はそんな仕組みになっている。これが、交流の知られざる真の姿。節電は、捨てるための電流をただ増やすこと。軽くなるのは電気代のみ。クールビズでCO2を削減した事実は、ない。机上の数字を積み上げてみたところで、実際の温室効果が減るはずもない。

犯人はトランスの中にあるコイル。変圧するだけが能じゃない。電気を地の底に捨てているからこそ、電圧が勝手に上がったとしても簡単に漏電しなくなっている。
埃のたまっているコンセントに大きな電流(ドライヤー、掃除機)が流れると、そこから火がでて火事になる。そんなケースは数知れず。交流はちょっと流れにくくなっただけで、すぐにショートする実にキレ易い性格なのだ。プラスとマイナスがセットになって流れているのだから、無理もない。ご用心、ご用心。
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