山野颯想

山野走、山野歩、山野逍遥など、山野にかかわる事柄を中心に記載しています。

ほしだ園地(冬山用下着の効果は絶大)

2013年01月05日 | 山野走

Asa008

◆撮影:2007年1月1日、交野山頂にて

(暁光)

20121224日(月) 

『山野走』

<ほしだ園地>

[コースタイム]

[私市駅]64200→[星の里いわふね]→(かわぞいの路)→70333[ピトンの小屋]70700(さえずりの路)72136[やまびこ広場]72700(まつかぜの路) 74826[飯盛霊園・境界鞍部]75200(まつかぜの路) →[やまびこ広場]→(つつじの小路)→80605[展望スポット]81000→(つつじの小路)→(さえずりの路)→(管理道)→[ピトンの小屋]→(かわぞいの路)→84332[私市駅]

<冬山用下着の効果は絶大>

磐船街道入口に設置された「電光道路情報表示板・気温計」に往路でマイナス3℃、そして帰路ではマイナス1℃とあった。しかし寒気に震えることもなく、ほぼ一ヶ月振りの山野走を楽しむことが可能となったのは、20年以上も昔に使用した冬山用下着(オーロン)を上下身に着けたことに理由があった。

1128日に頭をもたげた腰痛を始め、頸椎痛、胃炎、頭痛、風邪引き、胸の痛みなどに加えて、12月上旬より到来した厳しい冷気に気負けし、走ることが出来ない精神状態に陥っていた。10日に掛かり付けの医者に行き、一向に治癒する気配が無い風邪引きを看てもらう。帰宅後頂戴した抗生物質を服用すると、その夜より明確に効果が現れた。また、気管支炎だろうと自身で診断していた胸の痛みについては、「肋間神経の痛み」「運動をする人はよく掛かる」「暫くで治る」と云う診断が下った。「医者に行き、風邪がこんなに簡単に改善するのなら、もっと早く行けばよかった」と後悔すること頻りであった。

我が家中で感染性胃腸炎が猛威を振るった。14日夕刻より嘔吐と下痢が我が家を襲った。先ずは、J太郎が体調を崩し、J子がJ太郎とK子を伴って我が家に泊った。次は上さんで、16日には食事が喉を通らない状態に陥ってしまう。次はK子で、16日夕食時に食べた物を突然戻した。その夜中、仕事より戻ったJ子も嘔吐し、結果として、僕と、自宅で独り暮らす娘婿だけが感染性胃腸炎から免れた。我が家から感染性胃腸炎が完全に姿を消したのは21日になってからだ。20日が過ぎるころより僕の腰痛は改善し始めていて、山野走を楽しむことを目的に私市に行きたいと思っていたが、感染性胃腸炎が我が家を完全に通り過ぎるまで自重するのが賢明だと観念した。

今朝、僕の身体を襲う寒気に我が精神は耐えられるだろうかと不安に思っていたが、冬山用下着の効果は絶大であった。ピトンの小屋に着くころには手袋なかの両手指先の毛細血管に温かい血液が届いていたし、走っている間、腰や膝は至極快調で違和感を覚えることはなかった。併しだ、走り終え京阪電車交野線に乗るとき、両膝と腰にかなりの疲労を感じていたのも事実だ。

森中の木々の殆どが裸になって、普段見ることが出来ない景観が次から次へと眼前に出現する。また、敷き積もった落葉の上を、僕の足で心地好い旋律を奏でながら駆けるのも大変気持ちが好いものだが、今の僕の足取りでは「サックサックサックサック」と云う心地好い旋律を奏でるという訳にはいかない。

コメント
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