◆撮影:2013年1月1日、交野山頂にて
(初日)
2013年1月11日(金)
『山野走』
<くろんど園地>
[コースタイム]
[私市駅]6:36:00→[月ノ輪滝]→[すいれん池]→6:58:53[くろんど池]7:16:00→(くろんど池コースの道)→(さわわたりの路)→(そよかぜの路)→7:28:19[展望台]7:32:00→(管理道)→7:51:41[キャンプ場]7:56:00→(管理道)→(やまごえの路)→8:09:31[水舞台]8:11:00→8:17:09[草原広場]8:19:00→[すいれん池]→8:39:06[私市駅]
◆所要時間:2時間03分06秒
<贅沢していると心底思う>
我が家の10畳余りの食堂兼居間のエアコンを昨年12月上旬になって買い替えた。それは従来のものとは違って冷房だけでなく暖房にも利用できる便利なものであった。買い替えた理由は、既に15年間以上も使用しているクーラーが一昨年夏よりかなり調子が悪かったのと、それ以外にもう一つ大きな理由があった。
それは、近隣に住むJ子が二人の子供を連れてやって来て、二人を母親に預けて仕事や用事を済ませるために出掛けることがしばしばある。暖房は従前ガスストーブを使用していたのだが、「子供達がストーブに触れないかと心配でたまらない」と上さんが嘆いていた。上のJ太郎は兎も角、一昨年の大晦日に誕生したK子がハイハイで激しく動き回るため、食事の準備をしているときなどは上さんの眼が届かないことが生じてしまう。また、完璧でない上さんの眼では尚更だ。色彩が無く濃霧がかかったような状態の弱視の上さんの眼では、瞬時のなかで部屋の隅々まで確認することは不可能だろうと思うからだ。
森中を駆けるとき、昨晩の上さんとの会話を思い出していた、それは暖房にかかわる内容であった。エアコンが動く食堂兼居間に這入るとき、「つくづくと贅沢していると心底思う」と僕は言った。僕が物心ついた頃、それは昭和30年ごろのことだと思うのだが、我が家の暖房器具は炭がいこる火鉢一つ切りであったと記憶する。当然お風呂も自宅に無く、布団中を温めるのは“湯たんぽ” であった。上さんからも同様の話があった。夏、蚊帳中で寝たこと、ブーンと高い音をたてて廻る鉄製のプロペラ扇風機が一台きり、台所は畳の部屋より一段下りた土間にあった。現在より当時は気温が低かったにもかかわらず、今のような暖かい衣類も無かった時代に、父母や祖母はどのような服装をして冬をやり過ごしたのだろうか。などと、様々な当時の何も無い生活を想い出していたのだが、「それが普通の生活やったから」と云う上さんの言葉で想い出話は終了した。
展望台から見る遠景を層積雲が覆い、金剛葛城の峰は雲の向こうだが、頭上には一点の雲も無い。層積雲の上に輝く朝陽があった。最後まで快調に走り続けた。