◆撮影:2008年6月30日、くろんど園地(睡蓮池辺り)にて
2012年6月26日(火)
『山野走』
<私市駅~飯盛霊園・往復>
[私市駅]6:20:00→[星の里いわふね]→(かわぞいの路)→6:37:58[ピトンの小屋]6:41:00→(さえずりの路)→7:53:24[やまびこ広場]7:57:00→(まつかぜの路) →7:13:35[飯盛霊園・境界]7:16:00→(まつかぜの路) →[やまびこ広場]→(管理道)→[おねすじの路]→(管理道)→[ピトンの小屋]→(かわぞいの路)→7:59:16[私市駅]
<ハグロトンボ>
磐船街道入口に設置された「電光道路情報表示板・気温計」に往路でプラス20℃とあった。因みに帰路では21℃。天空には白の絹雲と絹積雲があり、駆けるとき、ひんやりとした風が我が身体を叩いた。
今年初めてハグロトンボに出合った。“かわぞいの路”で二匹のハグロトンボに出合ったのだが、“かわぞいの路”であっても、いつも限られた処、陽射しがあまり届かないなんとなく薄暗いところ、しかも途の直ぐ傍を川が流れ、川面が途にもっとも近づく処、なかでもそれは、桐の大木が並んでいる辺りのように思える。ヒラヒラ、ヒラヒラとしなやかに飛ぶ漆黒のハグロトンボに出合うとき、僕はいつも何故か夏を想う。
それから間も無くして我が脳裏に二つの映像が蘇った。一つは次女と歩いた奥穂高岳から西穂高岳への稜線、二つ目は長女と歩いた白馬大池から白馬岳へと続く稜線であった。槍穂高縦走は次女が中学一年生の夏のことであった。それは間の岳の下り、西穂高岳へと続く岩稜上の景色であった、身長が1.5mに満たない次女は岩稜を跳ぶように歩いていた。二つ目の白馬岳へと続く稜線、それは間違いなく白馬大池を出て暫く後にこれから向かう小蓮華辺りのなだらかな山容を眺めた景色であった。今は亡き長女と歩いた、僕にとってはけっして忘れえぬ白馬の夏山であった。それは彼女が小学六年の時であったのだが、我が脳裏中に何ゆえか彼女の姿はなかった。
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