*ことしは、「原爆関連の慰霊碑」「平和祈念関連碑」を紹介していますが、
この水害の碑は、(今日さきの時間に紹介した)”安村忠魂碑”と同じところ(旧安村役場跡)に建立されていますので、ここで紹介することにしました。
安佐南区相田の安村役場跡地(現在は相田集会所になっています)に建立されている「水害之碑」です。
碑根際の説明版によると
『大正5年9月6日夜半、雷を伴う豪雨がしきりに降り、安川は濁流となって堤防が決壊し、田畑や家屋は泥流に押し流され、小高い丘が谷になるようなさんじょうとなり甚大な被害を引き起こしました。・・・』とあります。
ここで(わたしが)注目したのは、
☆海外の移住者からのあたたかい義援金という部分で、碑裏を見るとそれぞれの機関や人々の義援金額が刻まれていました。
その中で、海外からの義援金が、当時としては大金である1,088円もあったことを知りました。
☆説明版には『災害の碑』となっています。水害も災害には違いありませんが、
碑面を見ると「水害之碑」と刻まれていましたので、説明板は碑銘を読み違えているように思います。
(安村)水害之碑
この水害の碑は、(今日さきの時間に紹介した)”安村忠魂碑”と同じところ(旧安村役場跡)に建立されていますので、ここで紹介することにしました。
安佐南区相田の安村役場跡地(現在は相田集会所になっています)に建立されている「水害之碑」です。
碑根際の説明版によると
『大正5年9月6日夜半、雷を伴う豪雨がしきりに降り、安川は濁流となって堤防が決壊し、田畑や家屋は泥流に押し流され、小高い丘が谷になるようなさんじょうとなり甚大な被害を引き起こしました。・・・』とあります。
ここで(わたしが)注目したのは、
☆海外の移住者からのあたたかい義援金という部分で、碑裏を見るとそれぞれの機関や人々の義援金額が刻まれていました。
その中で、海外からの義援金が、当時としては大金である1,088円もあったことを知りました。
☆説明版には『災害の碑』となっています。水害も災害には違いありませんが、
碑面を見ると「水害之碑」と刻まれていましたので、説明板は碑銘を読み違えているように思います。
(安村)水害之碑