設置の説明板には次のようにあります。
『1889年に築港された宇品港は、日清・日露戦争を契機に、1945年まで主に旧陸軍の軍用港として使用されてきました。
その中心的役割を果たしてきたのが、1902年に軍用桟橋として建設されたこの六管桟橋です。
この六菅桟橋は戦争中は多くの兵士を送り出した一方、多数の無言の遺骨の帰国を迎え、広島の歴史を見守ってきた貴重な証言者です。・・・』

2003年撮影時の軍用桟橋モニュメントです。
2015年訪ねた時に石積みのモニュメントの形が(最初の画像のように)変わってベンチ風になっていましたので、家族づれが休んでいました。
(裕編集の)軍用桟橋(六管桟橋)
『1889年に築港された宇品港は、日清・日露戦争を契機に、1945年まで主に旧陸軍の軍用港として使用されてきました。
その中心的役割を果たしてきたのが、1902年に軍用桟橋として建設されたこの六管桟橋です。
この六菅桟橋は戦争中は多くの兵士を送り出した一方、多数の無言の遺骨の帰国を迎え、広島の歴史を見守ってきた貴重な証言者です。・・・』

2003年撮影時の軍用桟橋モニュメントです。
2015年訪ねた時に石積みのモニュメントの形が(最初の画像のように)変わってベンチ風になっていましたので、家族づれが休んでいました。
(裕編集の)軍用桟橋(六管桟橋)
11月9日(安芸区のわが家付近)天候:はれ