現在三次市吉舎町の三次吉舎支所に建立されている「吉舎町原爆慰霊碑」です。
*この碑が建立された1983年当時は、双三郡(ふたみぐん)吉舎町(きさちょう)でした。
碑裏台座に碑文石が設置されています。
碑文は、森滝市郎のもので、
森滝は、1945(昭和20)年8月6日広島高等師範学校教員時代に爆心から4km地点で被爆、ガラス片で右目を失明しました。
1946年9月から治療、両眼失明の危機を回避 するためここ双三郡吉舎町の星田病院に1947年1月下旬まで入院したことでこの碑文記述者になったのでしょう。
森滝はこの間に「人類は生きねばならぬ」という根本命題のもと平和運動に邁進する決意(著「反核30年」に記述)したそうです。
(裕編集の)吉舎町原爆慰霊碑
(裕編集の)「原爆関連慰霊碑・平和祈念碑等」編
*この碑が建立された1983年当時は、双三郡(ふたみぐん)吉舎町(きさちょう)でした。
碑裏台座に碑文石が設置されています。
碑文は、森滝市郎のもので、
森滝は、1945(昭和20)年8月6日広島高等師範学校教員時代に爆心から4km地点で被爆、ガラス片で右目を失明しました。
1946年9月から治療、両眼失明の危機を回避 するためここ双三郡吉舎町の星田病院に1947年1月下旬まで入院したことでこの碑文記述者になったのでしょう。
森滝はこの間に「人類は生きねばならぬ」という根本命題のもと平和運動に邁進する決意(著「反核30年」に記述)したそうです。
(裕編集の)吉舎町原爆慰霊碑
(裕編集の)「原爆関連慰霊碑・平和祈念碑等」編
12月16日(安芸区のわが家付近)天候:くもり
(小雪舞うときあり)