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中区:中島地区原爆被災説明板

2020年02月08日 08時30分44秒 | 被爆建造物等
中区中島町の平和記念公園内を通る旧西国街道沿いに建立されている「中島地区原爆被災説明板」です。
※爆心地から約100m~700mという至近距離の位置でした。
(※「原爆被災説明板」が広島市により市内各所に45基設置されています。)

『(1945年8月6日米軍による原爆投下の前)被爆前の広島市の繁華街だった中島地区の残り香は、現在の平和記念公園にはなにも残っていないと云えるではないのでしょうか。
この中島地区原爆被災説明板の画像中央は、1899年に住友銀行広島支店として建てられ、被爆当時は(貿易商の)藤井商事が入っていたレンガ造2階建の建物でしたが(画像でお解りのように)原爆で破壊されました。・・・・』

「(1899年7月竣工)煉瓦造2階建・被爆当時「藤井商事」です。
遠くに「(現在の原爆ドーム)広島県産業奨励館」が写っています


現在、(平和記念公園として整備された)ここを訪れた外国観光客に原爆が公園に投下されよかったのではと云われたという話を聞いたことがあります(が)。
この地区は江戸時代から、西国街道沿いの繁栄した地区で、原爆投下前までは広島市の繁華街だったところなのです。

広島への原爆投下は、一発の原爆で敵国にどのくらいの被害(犠牲者)を与えられるかとの作戦でもあったのです。
それは、休み明けの月曜日の(夏の日の)朝の朝礼をしているか仕事にとりかかっている(±はあったでしょうが)8時15分、
米軍機エノラゲイは(日本軍が玉砕した)テニアン島から計算された6時間30分もかけ原爆を投下したことでもわかります。

(裕編集の)中島地区原爆被災説明板

2月8日(安芸区のわが家付近)天候:くもり

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