
広島市佐伯区五日市町大字上河内の河内公民館駐車場に移設されている「天工人其代之(てんこうはひとそれこれにかわる)」碑です。
『天工人其代之・碑(新道改修之碑)
水内方面への道は、川坂・荒谷・河内峠・白川を通り、曲がりくねり人馬が通れるだけの険しい山道でした。
水内の三村の陳情と村民労働奉仕の末、明治37(1904)年八幡川沿いに馬車の通行できる新道が完成しました。
人民の苦労を「天に代わって人が作った」と讃え、明治40(1907)年5月河内村が建立しました。
.
撰文を記した人物が漢学者というものの、なんでわざわざ水戸(茨城縣)の人物に依頼したのであろうか?との疑問がおこると思うのですが、
題を揮毫した江木が広島県知事を勤める前の1896年に茨城県知事だったことで江木が推薦したのではと思ったのですが。
(裕編集の)天工人其代之・碑
『天工人其代之・碑(新道改修之碑)
水内方面への道は、川坂・荒谷・河内峠・白川を通り、曲がりくねり人馬が通れるだけの険しい山道でした。
水内の三村の陳情と村民労働奉仕の末、明治37(1904)年八幡川沿いに馬車の通行できる新道が完成しました。
人民の苦労を「天に代わって人が作った」と讃え、明治40(1907)年5月河内村が建立しました。
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撰文を記した人物が漢学者というものの、なんでわざわざ水戸(茨城縣)の人物に依頼したのであろうか?との疑問がおこると思うのですが、
題を揮毫した江木が広島県知事を勤める前の1896年に茨城県知事だったことで江木が推薦したのではと思ったのですが。
(裕編集の)天工人其代之・碑
3月12日(安芸区のわが家付近)天候:くもり、13.9℃、58%