東区山根町の聖光寺に建立されている「大石内蔵助父子・供養墓」です。
※現在は、墓苑内から移設整備され説明板が設置されています。
設置の説明板には、
『討ち入りの後、赤穂浪士の中で唯一生き残った寺坂吉右衛門が広島を訪れ、討ち入り成功を広島藩に報告したといわれています。
この際、持ち帰った大石内蔵助親子の遺髪を浅野家の菩提寺・国泰寺に葬って欲しいと申し出ましたが、彼等が罪人であるため、瑞川寺(いまの聖光寺)に葬られることになりました。』
2006年交流ウォーク時に墓苑の中にこの大石親子の供養墓が建立されていることを教わりました。
2009年交流ウォークで訪ねたとき山門を入ってすぐの所に移設されていました。
ことし久しぶりに撮影しましたので、編集頁を更新しました。
(裕編集の)大石内蔵助父子供養墓(移設後)
※現在は、墓苑内から移設整備され説明板が設置されています。
設置の説明板には、
『討ち入りの後、赤穂浪士の中で唯一生き残った寺坂吉右衛門が広島を訪れ、討ち入り成功を広島藩に報告したといわれています。
この際、持ち帰った大石内蔵助親子の遺髪を浅野家の菩提寺・国泰寺に葬って欲しいと申し出ましたが、彼等が罪人であるため、瑞川寺(いまの聖光寺)に葬られることになりました。』
2006年交流ウォーク時に墓苑の中にこの大石親子の供養墓が建立されていることを教わりました。
2009年交流ウォークで訪ねたとき山門を入ってすぐの所に移設されていました。
ことし久しぶりに撮影しましたので、編集頁を更新しました。
(裕編集の)大石内蔵助父子供養墓(移設後)
3月16日(安芸区のわが家付近)天候:はれ
当時は命を賭してでも事を遂行した時代だったのですね。
お正月に家族揃って映画館に赤穂浪士を観に行った覚えがあります。
幼かったので討ち入りの意味を理解できず母に聞いていました。
墓石が時の流れを感じさせてくれます。
現代ならば大石親子は犯罪人となるのでしょうね。
明治6年に仇討ち禁止令が出される前だから可だからいまだ美談として語られているのでしょうね。
しかし、当時も本家であった浅野藩は犯罪人とみていた。
後に、世間で美談とされてきたので、あわてて大石の三男を広島藩で召し抱えることになったほどです。
http://yutaka901.fc2web.com/page9zz115c.html
プーチンは戦争犯罪人には違いないとわたしも思いますが、
その行為が中国(習近平)にも当てはまり、日本の非核三原則では国を守れないという、昨日みたプライムニュースでの桜井さんの発言、日本にも核兵器をという考えには賛成できませんね。