座敷ネズミの吉祥寺だより

吉祥寺って、ラッキーでハッピーなお寺ってこと?
中瀬の吉祥寺のあれこれをおしゃべり。

芭蕉の句碑と 奇三さん

2010-08-29 | 奇三さん
『芭蕉の句碑を歩く』という本があります。(→アマゾンへ)

(今 私の手元には その本のコピーしかありません。

 吉祥寺の書庫の中には、たぶん この原本があるはずです。)



38ページから、「吉祥院の句碑」という項目があります。

この「吉祥院」というのは、われらが吉祥寺の事です(苦笑)。



ここに 昨日の芭蕉の句碑について 書かれています。






「江戸時代後期、この地にゆかりの三人の俳人が居た。

 南々(なんなん)、文子、奇三、という。

 中瀬の斎藤家の三兄弟として知られ、共に児玉逸淵の門下として 著名であった。

 奇三は 河田家に入って河田奇三、不知庵と名乗り、「南々発句集』、『去来伊勢紀行』、『七部集連句早見』、などの著作がある。

 この連句早見は良くできたものらしく、後に幸田露伴が常に愛用して離さなかったと言われる。」


と書かれています。







天保12年(1841年、水野忠邦が天保の改革を始めた年です!)に建立された句碑です。





なんとなんと、斎藤家と河田家は 奇三さんで繋がっていたんですね!



ということで、以前より宿題にしていました「奇三さん」についての記事の、
これは 第一ページ、ということで、よろしくお願いします。

調べれば 本が一冊できてしまいそうですので、
のんびり、ゆっくり、気にかけていきたいと思います。

(もちろん、本を書く気は、毛頭ありません!!! 汗)

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
奇三 (菜園す)
2010-09-04 00:57:01
この芭蕉碑は、奇三さんが建てたのですか、

ところで、「奇三」て、なんて読むのでしょうか。

はずかしながら、「きさん」としか読めないのですが・・・・
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菜園すさま♪ (座敷ネズミ)
2010-09-07 23:52:19
お返事が遅くなりました、すみません。
 
私たちも「きさんさん」と読んでおります。
塗装を職業となさっているO氏も 「きさん」と読んでらしたと思います。
名前をつけた方は「〇〇ぞう」と呼ぶおつもりだったかもしれませんが。
じゃあ、「何ぞう」だったのでしょうね?(苦笑)

句碑もふくめて よくわからない事ばかりです。
一度「ああ! そうか!!」 と思っても、すぐに忘れてしまいますし(汗)。
ひとつひとつ 確実にわかってから 記事にしていこうと思っています。
記事にしても きっと忘れてしまうとは 思うんですけれども。。。(大汗)。

久々の雨が降ってきました♪
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