大河ドラマ『八重の桜』が ある意味、佳境に入っています。
会津が負けるところですね。
先週は 白虎隊が出陣しました。
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昨日の夕刊の大きな広告。「会津は負げねえ。」
ところで、皆さんは 中野竹子という人を ご存知でしょうか?
ドラマでは 黒木メイサさんが 凛々しく演じています。
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薙刀(なぎなた)の達人だったようです。
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もちろん、実在した人です。
ご本人も、なかなか凛々しい容姿だったようです。
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ここに詳しく書くつもりはありませんが、
(詳しくは → ウィキペディアへ。 でも、意外なほど、記述が少ない!)
幕末の女性として もう少し 知名度があってもいいかもしれません。
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私が 初めてその名を聞いたのは 高校生の頃でした。
祖母の口から 誇らしげに発せられた、「中野竹子さん」という名前。
聞いた事がない、と言うと、教えてくれました。
なんと言って教えてくれたのかは もう忘れてしまいましたが、
その中に「娘子軍」というのがあったのを覚えています。
「娘子軍(じょうしぐん)」という言葉も 初耳でした。
歴史は常に 勝者の側から作られる?
「朝敵」会津の女性の事は
歴史で取り上げられないのも 当り前だったでしょうか?
今 検索してみると「娘子隊」としてあるものもあるようですが、
祖母の言葉では、「娘子軍」でした。
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黒木メイサさんの中野竹子役についてのお話は
インタビュー記事になっています。
その終わりの方で 黒木メイサさんは
中野竹子さんは その生き方にきっと後悔はなかったと思う、
と言っています。
「私自身も、日々の生活のなかで
「ああしておけばよかった」とか「あれをやらなければよかった」と
思うことがなるべくないように過ごしているし、
もし自分の身に何か起こっても
それは人生のどこかで経験するべきものだと考えているので、
竹子さんも悔いなく ホントに目の前だけを見て
突っ走ったんだと思います。
だから、きっと竹子さんの人生は幸せだったんじゃないかな。
そうであったと信じたいですね。」
中野竹子さん。
祖母は、この名前に「さん」をつける事を忘れませんでした。
その言葉に 尊敬と誇りを感じた事を 今でも覚えています。
中野竹子さん。 享年 18。
辞世の句は
「武士の猛きこころにくらふれは 数にも入らぬ我が身なからも」。
大河ドラマをご覧になる時には、
幕末の凛々しいハンサムウーマンとして、
山本八重だけでなく、
中野竹子さんにも もう少し 注目して見てください。
黒木メイサさんの出番も 間もなく なくなるはずですが。
会津が負けるところですね。
先週は 白虎隊が出陣しました。
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昨日の夕刊の大きな広告。「会津は負げねえ。」
ところで、皆さんは 中野竹子という人を ご存知でしょうか?
ドラマでは 黒木メイサさんが 凛々しく演じています。
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薙刀(なぎなた)の達人だったようです。
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もちろん、実在した人です。
ご本人も、なかなか凛々しい容姿だったようです。
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ここに詳しく書くつもりはありませんが、
(詳しくは → ウィキペディアへ。 でも、意外なほど、記述が少ない!)
幕末の女性として もう少し 知名度があってもいいかもしれません。
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私が 初めてその名を聞いたのは 高校生の頃でした。
祖母の口から 誇らしげに発せられた、「中野竹子さん」という名前。
聞いた事がない、と言うと、教えてくれました。
なんと言って教えてくれたのかは もう忘れてしまいましたが、
その中に「娘子軍」というのがあったのを覚えています。
「娘子軍(じょうしぐん)」という言葉も 初耳でした。
歴史は常に 勝者の側から作られる?
「朝敵」会津の女性の事は
歴史で取り上げられないのも 当り前だったでしょうか?
今 検索してみると「娘子隊」としてあるものもあるようですが、
祖母の言葉では、「娘子軍」でした。
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黒木メイサさんの中野竹子役についてのお話は
インタビュー記事になっています。
その終わりの方で 黒木メイサさんは
中野竹子さんは その生き方にきっと後悔はなかったと思う、
と言っています。
「私自身も、日々の生活のなかで
「ああしておけばよかった」とか「あれをやらなければよかった」と
思うことがなるべくないように過ごしているし、
もし自分の身に何か起こっても
それは人生のどこかで経験するべきものだと考えているので、
竹子さんも悔いなく ホントに目の前だけを見て
突っ走ったんだと思います。
だから、きっと竹子さんの人生は幸せだったんじゃないかな。
そうであったと信じたいですね。」
中野竹子さん。
祖母は、この名前に「さん」をつける事を忘れませんでした。
その言葉に 尊敬と誇りを感じた事を 今でも覚えています。
中野竹子さん。 享年 18。
辞世の句は
「武士の猛きこころにくらふれは 数にも入らぬ我が身なからも」。
大河ドラマをご覧になる時には、
幕末の凛々しいハンサムウーマンとして、
山本八重だけでなく、
中野竹子さんにも もう少し 注目して見てください。
黒木メイサさんの出番も 間もなく なくなるはずですが。
さぞかし、凛々しいお心をお持ちだった事でしょう。
「会津の女は メソメソするな」とは、実家の母も言いそうな言葉です(苦笑)。
母の好きな言葉は「東北人の粘り」でした。
野球のルールを知らない母は、
連日テレビで高校野球を見る時期になると
東北の高校が出場した時に この言葉を聞く事だけを楽しみに
好きでもないテレビの音声を聞く事に耐えていました(笑)。
自分自身も ある事を 苦難に耐えて勝ち取ったと
東北人である事を誇りに思っていました。
夏の甲子園の真紅の優勝旗は 今年こそは白河の関を越えるかと期待されましたが、
残念ながら実現する事ができず、
そこは私も 少し残念に思っています(笑)。
母は 大震災の前に亡くなりました。
大好きな東北、わけても福島の苦難を見ずに逝けた事に
私はとても安堵したものです。
苦労は お金を出してでも しないでいたい、
関東で生まれ育った 似非東北人の私ですが、
よろしければ またコメントをお待ちしています。