顔ははっきりとした記憶はないが、この時期「タチアオイ」の咲く頃に思い出す、昭和20年の終戦までを、学童集団疎開で、この地で暮らした、空襲が激しさをますなか、神戸を逃れ難駅から黒い列車に乗せられ、木炭バスにゆられどんどん山の中へ、心細さのの先にこの地があった、四方を山に囲まれ一面に広がる田畑以外なにもない、”あの山の向こうはもう京都なんだ”と先生に教えられた、山を開墾する日々、遠く親元を離れた子達にとって過酷な戦時下の生活、なにひとつ楽しい思い出もないのに、なぜか懐かしい、人に連れられて行く旅に終始した者には、一人旅は冒険、しかし、今年はぜひ、萌え出ずる若葉の季節、ひとり旅に出よう。<平成13年5月30日の新聞の投稿から>
年をめされたご婦人が訪ねてこられた、うつろな記憶、その地を探してあげた。
たいそう喜んでいただいた。
見渡す風景は、むかしのまま、四方の山々の緑、田植えの済んだ水田は、穏やかな光を放つ、今、この地で暮らしておられる神戸の方とのつきあいが多い・・。
<今日の写真 信州軽井沢の白樺で彫りました>
年をめされたご婦人が訪ねてこられた、うつろな記憶、その地を探してあげた。
たいそう喜んでいただいた。
見渡す風景は、むかしのまま、四方の山々の緑、田植えの済んだ水田は、穏やかな光を放つ、今、この地で暮らしておられる神戸の方とのつきあいが多い・・。
<今日の写真 信州軽井沢の白樺で彫りました>