活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

活版印刷と最初に出会った土地「加津佐」

2006-11-01 13:47:18 | Weblog
 口之津から加津佐に向かいます。島鉄のかわいい電車でも、海岸線を走る路線バスでもあっという間です。
 この加津佐こそ、日本ではじめて、金属活字を使った「活版印刷」が行われた土地であり、日本の印刷文化史の上では、いわば、「聖地」といっていいところです。
 長崎で本木昇造が金属活字の鋳造に成功した1870年(明治3)に先き立つこと279年、1591年(天正19)に、ここで「サントスの御作業の内抜き書」、ポルトガル風ローマ字つづりの日本文ですから、[Sanctos No Gosagveno Vchi Nuqigaqi]が印刷されたのです。

 ところが、いまとなると、400年以上昔のことですから、加津佐の町の人でも、この史実を知らない人が多いようです。
 目標は「天辺の丘」、円通寺跡を抜け、教育委員会がたてた「セミナリヨ、コレジョ跡」の説明板を読んで、さらに坂道を登ります。やがて、視界が開けて、頂上らしきところにたどり着きます。
 まわりは、じゃがいも畑ですが、眼下に橘湾、右手に男島と呼ばれる岩戸山、左手に女島山と呼ばれる海に突き出た二つの島が目に飛び込んできます。
 おそらく、400年前はうっそうと樹木に取り囲まれて、海からそそりたつ崖の上であったことは容易に想像できます。ここに、ひっそりと、世間の目を忍んで、
ドラードたちが作業をする印刷場があったのです。
 
 じゃがいも畑に踏み込まないようにして、私は日本で活版印刷と最初に出会った土地に、いつまでも佇んでいました。

 
コメント
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