活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

本木昌造と平野富二

2008-01-12 13:24:25 | 活版印刷のふるさと紀行
 これが長崎造船所の史料館です。レンガ造りの建物は、明治・大正・昭和と、時代とともに風雪の道をくぐり抜けて来た厚みがあります。
 その日、私は史料館を出てかねてから気になっていた場所の探訪をしました。

 一昨年公開の映画「7月24日通りのクリスマス」で大沢たかおと中谷美紀が辿った長崎港や造船所を俯瞰できる道をどうしても探したかったのです。
 多分、映画はイイとこどりですからここに間違いはないと思いながら、グラーバー園の裏手でエスカレータカラエレベータに乗り継いで、「鍋冠山展望台」目指して、息もタエダエで坂道を登っていきました。

 ふたたび、本木昌造と平野富二の話ですが、二人の接点は製鉄所の前に、本木が船長、平野が機関手として乗り込んでいたヴィクトリア号の時代があったのです。

 とにかく、平野富二は本木からバトン・タッチした活版印刷事業を大きくして、
東京に進出、やがて神田佐久間町にあった「長崎新塾出張活版所」を築地に移し「平野活版所」から「東京築地活版製造所」まで発展させるのです。

 それだけではありません、彼は「印刷」よりも、いまの石川島播磨の前身、平野造船所、東海汽船の前身も興しています。印刷機械の製造も手がけていますし、「築地体」の完成にも貢献しています。それでいて、没年が47歳とは、いまのわれわれには、信じがたい生き方ではありませんか。
コメント (1)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする