秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

閉業のお知らせ

質店は2021年8月に閉店いたしました。 昭和21年9月創業で75年間にわたりご愛顧賜りありがとうございました。

時輪曼荼羅(カーラチャクラ・マンダラ)だとわかった話

2015-03-13 | 旅・インド


2006年1月にインドのサルナートでこの曼荼羅を記念に買い、2回このブログで記事にしました。

2006-01-15 ビッグ ショッピング!

2006-09-15 大人のぬりえ






どっちが上なんだろうと気にはなりましたが、適当な額に入れて台所の壁に掛けました。
意味もわからず気にも留めず、しかし埃だけはふりつもる。
あれからもうすぐ10年。










たまたま調べ物をしていて、先月とうとう発見!
この曼荼羅が時輪曼荼羅(じりんまんだら)というものだと判明しました。

これぞチベット密教の究極であり、密教美術の精華らしいです。
手描きだとは聞いてましたが、よくよく見れば確かに丁寧で細かいし、金彩も使われてる。



「このマンダラの本質は『光』なのです」
「正しく描かれ、加持されたマンダラを見ただけでも、何劫にもわたって積み重ねてきた悪業を清めることが可能なのです」と、ダライ・ラマ14世が述べているらしいです。
『ダライ・ラマの密教入門--秘密の時輪タントラ潅頂を公開する』
ダライ・ラマ14世テンジン・ギャムツォ(1995/12)光文社

もちろん上記の本を確認したわけではなく、時輪曼荼羅というサイトに書かれてありました。
難しくってよくわかりませんが、このまま記録残さないとまたすっかり忘却のかなたになるので、せめてリンク貼って一部引用しておきます。


時輪曼荼羅
ダライ・ラマが行うカーラチャクラ灌頂の儀式においては、時輪曼荼羅は砂で地上に描かれ中心的な役割をはたします。
灌頂を受ける者はこの美しい曼荼羅を目の前にして、無知の暗闇から抜け出て生まれ変わったと感じるのです。

ダライ・ラマ法王日本代表部事務所 カーラチャクラ
カーラチャクラは「時輪」と訳され、「カーラ」とは時間を意味し「チャクラ」は存在を意味する。
あらゆる時間は存在の中にあり、あらゆる存在は時間の中にある。
本来、生きるものは全て仏性を有し誰でも仏となる可能性を持っている。


※追記
『灌頂』 とは 力を授ける という意味で、師が修行を積んだ弟子に対して行う秘儀ですが、カーラチャクラの灌頂だけは、唯一、一般に公開されています。

カーラチャクラの灌頂が出来るのはダライ・ラマだけ。
『世界平和の祈り』 として世界中で行っており、開催中は数万人の人が、ダライ・ラマのカーラチャクラの教えを聴きにいきます。
ダライ・ラマは、心の平和を分かち合うことの重要性を説き、
一人ひとりの心の平和が世界の平和につながる第1歩だと言われています。



実を言うと、この曼荼羅を額から出して撮影してたら、
案の定もぐちゃんやってきて


バチあたりませんように…


いよいよ最終回です。かいつまんだインドは、

2006-01-16 | 旅・インド
日本では、駅で電車を待ってると、携帯電話の画面を見ている若者がほとんどであることに、いつもすごいもんやなぁと感心しています。

インドでは、皆楽しそうにおしゃべりしていました。
デリーの官庁街のランチタイムは、外で円陣を組んでひなたぼっこ。
夜の田舎の道端では、焚き火を囲んでにぎやかなことでした。
他にすることがないからかもしれないけれど。

人間は人の間で暮らすから人間なんだし、
昨今のゲームなどに没頭しすぎて、引きこもる青少年が多いことに心が痛みます。

不易流行という言葉がありますね。
変わってはいけないことが大元にあって、その上で時代時代の流行があるということだと理解しています。

たぶん6000年同じ暮らしをしてるんじゃぁないかと思われるほどの暮らしぶりでした。
でも皆平和に暮らしているように見えました。
ストリートチルドレンだってそれなりに。

犯罪史上まれに見る事件が次々起こり、基幹産業の根本で信じられなくなった日本社会は、ほんとにインドより進んでいるのでしょうか?

たしかに清潔になれた日本人にはびっくりすることも多かったけれど、生きとし生けるものが皆、この地球上で共生するということは、自分だけが快適に暮らすということではないはず。

この地球で人間としてどう生きるか、という根元の哲学的な思想が広くあまねくいきわたっていて、ほんとは日本よりもっと先を行ってるんじゃぁなかろうかとも思われました。

食料自給率、日本は40%だけれど、インドは100%です。

牛を食べないのは狂牛病のことを昔から知ってた?
ベジタリアンが多いのは、肉食を避けて体内をきれいにすることが、生活習慣病から逃れる術だとわかってた?
スパイスを組みあわせたインド料理は、薬膳料理でもあって未病を防ぐ?

ガンジス川、汚いイメージを持ってたけど、水に浮かんでいたのは、ヒンドゥの神様にお供えする花々だけだった。
空き缶もビニール袋も、ごみもなかった。
死体は火葬にして灰になってからガンジスに流すんです。
聖なるガンジスを汚すはずがなく、水で清めることを大事にしているんだから。

土に返る素焼きのカップでチャイを飲む、街角の人たち。
リサイクルということをどこの国よりも実践してたんだ。

喉もと過ぎれば熱さ忘れる、まさにその通り。
帰国して5日過ぎ、今はいいことばかり思い出されます。

結論「不思議の国インドは底知れない魅力あふれる国です」

過去と現在が混沌同居する街、デリー

2006-01-15 | 旅・インド
インド門から大統領官邸まで一直線に伸びたメインストリート、ラージパトゥ通り。1/26にインド政府主催の共和国記念パレードが行われるための準備が始まり、通りの両側に観覧席が設けられていました。

州によって異なる制服を身にまとった軍の隊列や、インド各州の代表団による民族衣装でのパレード、象やラクダの行列が続くらしい。

デリーは3000年の歴史があるそうです。
ムガール朝のシャー・ジャハーンが城壁で築いた中世さながらのオールドデリーは、リキシャに乗って見物しました。

午後からすぐ近くのニューデリーを車でまわりました。
近代化が進み、あちこちで地下鉄の工事も進んでいました。

昨夏ぐらいから、ロシア、ブラジル、インドとかに投資するファンドが出てきているのをこの身で実感。

インド悠久文明の旅は、最終日午後、国立博物館見学でしめくくり。
紀元前の躍動感あふれる石像に、当時の文明の高さがしのばれます。

混沌の世界インドには多くの史跡が残り、想像も及ばない文化が培われていました。
ほんの5日間でしたけど、衝撃強い、印象に残る旅でした。

もし機会があってまたインド行くことがあったら、
今度は宮殿列車に乗って、マハラジャの宮殿に泊まり、アーユルベーダのエステをうけて…

幸福の神様 ガネーシャ

2006-01-15 | 旅・インド
インドでは物事のはじめ「ガネーシャ神」にお祈りを捧げます。店を始めたり、神聖なる芸術、朝起きて…など全ての始まりに、成功・成就・安定を祈願するんだそうです。

画像は、アグラのパレスホテル、ロビー入り口に祭られていました。

前ページのお土産のガネーシャ、
右端は最終日デリーの国立博物館のショップで115ルピー(約330円)。
右から二番目はサルナートの木彫りやさんで、彫が悪いからと特別にまけてもらって2000円のを2個買いました。

先ほどネット検索したら1,500円で売ってました。
  そして


ビッグ ショッピング!

2006-01-15 | 旅・インド
国内外、団体旅行であれば必ず土産物屋さんに連れて行かれます。ここでツアー客が購入した金額の何割かがバックマージンとして、ツアー会社なり、ガイドにコミッションが支払われるのはわかりきったことです。

今回のツアーは二人きりでした。
この個人旅行、いい所もあれば悪い所もあるわけです。

普段は添乗員がカバーしてくれるあらゆる所のチップを、自分達で支払わないといけません。
枕チップ、トイレチップ、食事の際のチップ、だけで済まされず、ドライバーさんはじめサービスを受けた時にその都度。

そしてショッピング、トルコやエジプトなら絨毯や宝石、スペインなら象嵌細工、イタリアならベネチアンガラスetc

いつもならそうした高級店は、他のリッチな人に任せて時間をつぶすだけで済んだのに、今回は他に頼る人がいません。

お茶なんか出されると手ぶらで店を出にくい。
ガイドもしつこく薦めてくる。
きっとその日のノルマ金額、売り上げ金額があるんじゃぁないかと思うほど。

アグラでは、一番安いたった3ドルの布でできた象の飾りを5個買って、15ドルの買い物。
無理くり安いのを探し出すのは大変でした。
店主とガイドに、ビッグショッピング!と嫌味を言われました。

タージマハルに見られる象嵌細工やパシュミナのストールは買いませんでした。
この日のガイドの機嫌悪かったこと、この上なし。

ベナレスは、ヒンドゥ教徒の聖地だけでなく、ブディストの聖地でもあります。
お釈迦さんが初めて説法を説いたサルナートが4大仏跡の一つです。

ここで沙羅双樹の木彫りの瞑想中の釈迦坐像を買いました。
白檀は数万円のお値段で手が出ませんが、同じ値段の菩提樹とどちらにしようかは迷いました。

日本人は皆もっといいのを買いますよ~
お寺さんは宗教法人で税金で優遇されてるからお金持ちなんです。
私は貧乏な民間人で、一仏教徒でしかないからと断るのに一苦労。

この店でこの釈迦像と、ガネーシャ2個(画像右から2番目)、曼荼羅、数珠と5点で総額19,000円のお買い上げ。
(ガネーシャについては次ページで)

マノジは上機嫌だった。

インドでヨガ

2006-01-15 | 旅・インド
ヨガ行者が片手を一生挙げてるとか、ずぅ~と片足立ちだとか、テレビなんかではよく見ます。インド行ったらどこかでお目にかかれるのかと思ってました。

中国では朝の公園で大勢の人が太極拳をやってますもんね。
でも残念なことにどこでもそういった姿にはお目にかかれませんでした。

せっかく本場のインド行ったことだし、
きれいなホテルのロビー片隅には、他に誰もいなかったから、ヨガしてきました。

ホテルの従業員は振り向きもせず、羽ばたきで壁の埃を取っていました。

この旅の見聞録と話はそれますが、
インドでB型の占める割合は41%、(日本22%)
*参照/昭文社・なるほど世界知図帳2005・世界の血液型分布

インドや中央アジアの平原はB型の比率が高いそうです。
柔軟さ、臨機応変さなどの遊牧民族としての資質が、そのまま現在のB型の性格に反映されているとも言われてるそうです。
私はB型です。

一方つれのタニはA型です。
A型は日本でも38%と最大比率で、さらに40%を超えるのは北米、欧州。
Aが多い地域は、見通しが悪く入りくんだ複雑な地形の所。
そういった環境で生き抜くには、細やかな気配りと慎重さが求められ、それがA型の特徴的性格なんだとか。

おまけで、O型について、
ボリビア93%、グァテマラ95%、メキシコ84%と、中南米のインカやアズテックなどの古代文明はO型単一民族。
人類発祥の地とされるアフリカもO型比率が高く、たとえばナイジェリアで52%
原始時代、病原菌や寄生虫に対して抵抗力の強いO型人間が生き延びてきたんだと。

変わり者とされるAB型、日本は9%で少ないように見えますが、世界第3位なんだって。
一番はイラン10%、インド9%、中国8%となってました。

しかしあれだけの人口をかかえる中国やインド、
果たしてどこまで調べているのやら…
アフリカだって南米だって、文明の届かない奥地にはいっぱいいるはず。

マノジはバラモンだった

2006-01-14 | 旅・インド
ガンジス川の沐浴風景を観光する小舟に乗るインド人ガイド、Mr.マノジ。

彼はカースト制度の一番上階級のバラモンであることを誇りにしています。

ドライバーやレストランのボーイさん達にヒンドゥ語で話すとき、オーラがたってます。

往来の激しい道を渡るとき自分だけさっさと渡ります。

迷路のような町の中を歩く時、牛の糞を踏まないよう下を見ながら歩くうちらを忘れて、ポケットに手を入れて後を振り向くことも無い。

エレベーターも、荷物をかかえてオタオタしてるうちらをほったらかして、先におりるので、目の前で扉が閉まりそうになります。

入り口の扉を押さえて、アフターユーなんて先に行かせてくれることもない。
時にはうちらが扉を押さえてどうぞ~、なんて。

上記の数々のガイドとしてあるまじき態度については、
最後のディナーの時、こんこんと注意しました。

だってマノジはぜんぜん悪気ないんだもん。
だってバラモンなんだから。

マノジはデリー大学出身ですから、頭はいい。
計算は速い、記憶力は抜群、インド商人さながら。

でもガイドコミッション目当ての計算高さがうざかった。

寝台列車の恐怖

2006-01-14 | 旅・インド
たぶんインドでもセレブ?お目目くりくりの2歳ぐらいの女の子の洋服はかわいくてきれいし、赤ちゃんを抱っこした女性のサリーやストールも上等そう。

私達の指定席にすでに座っていたのは、
30歳前のお母さんと乳幼児2人、そしてお母さんの妹と弟、見送りに来ていた夫らしき人、他にもまだ2人ほど窮屈そうに座っていました。

この愛くるしい女児のおかげで気持ちがだんだん落ち着いてきました。
むさくるしいおっさんと同席だったら、もっとパニクってたかも。

向かい合った3段寝台、もし日本なら大人6人が定員です。
が、ここはインド。

70cmほどの幅のベッドに大の男が二人、頭を逆さにして寝るインドです。

ベッドのおおかたを占めた荷物で、寝るスペースが無くなった人は、向かいのベッドに足を伸ばして、胴体は通路の宙に浮いて、まるで橋でした。

3段の真ん中が指定の親子に、一番下を譲り、
私達は中段でまるで「おかいこさん」のように這いつくばって寝ました。

やっと自分のスペースを確保できてもプライバシーが全く無い!
カーテンはありません。
ベッドの柵もありません。

アウシュビッツへ向かう列車よりましやろ、とお互いになだめすかしあい。

案の定インド国鉄のシーツや枕カバーは、煮しめたような灰色。
その上に自分のタオルを敷いたら捨てるのは勿体ないので、布バッグを枕にしました。

もちろん寒かったから、非常時アウトドア用アルミシートをかぶりました。

それでもいつの間にか寝てしまって、朝目が覚めると、
なんと向かい合った3段寝台真ん中の通路の床に若い男性と男の子が寝ていました。

もう少しで踏むとこだった!!

この旅で一番びびったこと

2006-01-14 | 旅・インド
2日目の夜、アグラからベナレスに向けて夜行寝台列車で約9時間かけて551kmの移動です。夜8:38発なのに、すでにデリーから列車は1時間半前に到着していました。インドでは遅れるのが当たり前で、早いなんてありえないことらしい。

暗い駅の人ごみをすり抜けて、やっと指定寝台のある車両に乗りこんだとたん恐怖が襲いました。

たぶん私達の乗ったのは2等寝台?
通路に沿って上下2段の寝台、通路と垂直に3段寝台が向き合っています。

日本のJRよりも広軌ですが、通路に平行な寝台が余分です。
そのため通路は狭い。
そこには、人、人、ひと。。。
ボストンバッグやスーツケースだけでなく、荷物もあふれかえっていました。

とても通れる余地は残っていないのに、かき分けて進みました。
インド人がキッとにらみます。

もう心臓はばくばく、胸は苦しくなってきて、呼吸もやばい。

この画像は翌朝下車寸前に撮ったものなので、撮影者ともども周りのインド人もだいぶ慣れてきてますから、最初乗車したときの恐怖は伝わらないかも。

ルールはあってないような・・・

2006-01-14 | 旅・インド
今まで訪れたどの国よりも、印象に残ったことが多く伝えたいことがありすぎて、どれを取捨選択するかほんとに迷います。

道は、聞いていたとおり、車だけでなく、自転車、オート三輪、歩行者、馬車、らくだ、牛、ごちゃまぜに通行していました。

もちろん信号あったのはニューデリーだけだったかも。

ドライバーはハンドル持つ手の左右どちらかの親指が常にクラクションに置かれていて、運転中の半分は鳴らしていました。

このけたたましさは慣れるまでビクビクものです。

車の乗車定員数なんてのもないんだろうと思います。
バスには扉もなく、はみ出しそうになりながら取っ手につかまって。
写真で見た、敗戦後の買出しの風景にも良く似ていました。

トラックともなれば積める限り積んでいる状態。
荷台に乗るのは荷物であって人ではありません。

カメラ向けたら、皆人懐こく、ナマステと叫びながら手を振ってくれました。

でもこれはモロッコの田舎でも同じだった。
規制の多い日本では考えられないことですけど。

セキュリティチェック

2006-01-13 | 旅・インド
少し前にデリーの宝石店でテロ事件がありました。それ以降なのかどうかインド人ガイドさんに聞きそびれてしまったけど、至るところで厳しいセキュリティチェックがありました。

タージ・マハルに入場する前に、食べ物はキャンディでも持ち込めませんと言われていました。

ミネラルウォーターだけ手に持ち、あとは貴重品とカメラだけ。
ビデオカメラはだめなんだそうです。

女性はカーテンで仕切られた場所で女性の担当官に詳しく調べられます。
バッグの中はもちろん、体もすべてチェック。

友人はバッグ底に入っていたガムを出し忘れて引っかかりました。

私のせりでたビール腹は、何かを仕込んでいるように見えるらしく、シャツをたくし上げて見せると、にたぁと苦笑されました。

なのになぜか、コートのポケットのタバコとライター。
小さな布製ポーチに入れていたので気づかなかったのかしら?
何も言われなかったので悪気は全くなくそのまま入場。

見学を終えてしばし休憩、スモーキングタイムです。

大霊廟に続く前庭の両端にある並木道のベンチに腰掛けて、
紫煙をくゆらす。

いい気候でなんか初夏みたい。
木漏れ日が美しい。
あっリス、鳥も近くまでやってきた…

道行く人たちがなんか見てるなぁと思っていたら、
とうとうヒンドゥ語でインド人が注意してくれました。

煙草にライター、そりゃぁあかんわなぁ。
当然やろ、誰でもわかることやん。
お腹に目を奪われたあの担当官のせいです。

華僑も恐れおののく、さすがインド商人

2006-01-12 | 旅・インド
左右対称でバランスのとれた美しい霊廟、世界遺産のタージマハル。多くのインド人も観光に訪れるそうで、皆、写真撮影に熱心でした。

でもまだまだデジカメは普及していません。
古いタイプのアナログカメラでパチリ!

若い男性は、デジカメに大変興味を持っていて、ハウマッチと聞いてきます。
そして撮ってあげようと声をかけてきます。
持ち逃げされたらどうしようという不安はもちろんありました。

彼らは撮影してくれると、チェ~ックと言って確認します。
IT先進国のインド、巷でも潜在意識はたいそう高いようです。

さてこのタージマハルの入場料、インド人は20ルピーです、
が、なんと外国人は750ルピー!

ちなみにこの旅の為替レートは1000円が350ルピーでした。
(1ルピーは2.86円)

アグラ城はインド人が20で、外人は350ルピー。
デリーの国立博物館もインド人は10、外人は300。

この差はいろんなものの値段でついて回りました。
商人だけでなく、政府もしたたかな国でした。

牛はシヴァ神の使いです

2006-01-12 | 旅・インド
ヤムナ河をはさんでタージマハルと対岸にアグラ城があります。そのアグラ城まで駅から車で2,30分走ったでしょうか?

車の後に、牛!

後部座席からガラス越しに撮影したお牛様。
もちろん横にものしのし歩いています、写ってませんけど。

大人も子供も、人はもちろん、犬、牛、ろば、らくだ、やぎ、さる、リス。。。
みな食べている以外のものは、何をするでもなく、存在していました。

すべての生き物が共存するところ、それがインドです。

おそるべし、シク教徒

2006-01-12 | 旅・インド
インド人といえば、頭にターバン巻いてる人たちとヨガ行者がセットになって浮かびますよね。

アグラ駅前、車の横で財布からお金を出しているターバン巻いたインド人、彼らがシク教徒です。

なぜこんな誤解を与えてしまったかというと、シク教は成立当初から富裕な者が多く、平均的な教育水準が高いので、社会的に活躍する人材を多く輩出します。

そして職務等で海外に渡航した彼らを見て、ターバン即インド人と繋がってしまったそうです。

飛行機の中でも水色のターバンをきれいに巻いた、小太りでお腹の出た恰幅のいい中年の紳士を見ました。
同じ色のワイシャツを着ていて、体型からしてきっと誂えらしくお金持ちそうと思いました。

ウィキペディアで調べたら、シク教は15世紀末グル・ナナクを開祖として生まれした。
ヒンドゥー教と同様に輪廻転生を肯定しているが、イスラームの影響でカーストを否定しているそうです。

もともと高い地位の象徴であったターバンを、すべての人々は高貴であるとしてターバンをつけることを定めたんだって、さ。

シング Singh を個人名の後に付けるるのは、出自を消し、宗派への帰属を示すための一種の標号にすぎず、姓とは見なしがたいとも書かれていました。

なんとなくシンといえばインド人て、これもまた思い込んでいました。

はてさて、ではジャイナ教とはいかがなものかというと…

ジャイナ教は紀元前5,6世紀のお釈迦さんとほぼ同時代のマハーヴィーラ(ヴァルダマーナ)が祖師です。
不殺生の誓戒を厳守するなどその徹底した苦行・禁欲主義をもって知られるそうです。

殺生を禁じられたジャイナ教徒は、ほとんどが商業関係の職業に従事、商才にたけたジャイナ商人は有名なんだって。

現在260万ほどで全人口の0.5%にも満たないが、インド社会でのジャイナ教徒の結束はきわめて固いと書かれていました。

たしか神戸の街で見た白い教会。
昔見たときは興味がなかったので、ジャイナ教かシク教か、書かれていた看板の文字を確かに記憶できませんでした。

どっちだったんだろう?

インドは宗教だって混沌としてますねぇ。

バクシーシ

2006-01-11 | 旅・インド
2日目朝7:15デリーニザムディーン駅からEXPRESSに乗り込んで、ムガール朝の首都だった、あのタージマハルのあるアグラへ向けて出発。

デリーも早朝は寒くて2℃ぐらい。
ほとんど効かないエアコン専用車で震えていました。

やっとぬくもりだしたのは、1時間以上過ぎて陽が高くなりだしてから。
数分停車するといわれた駅で外に出て撮影。

列車の中ではインド人はたいてい売りにくる珈琲やチャイを飲んでいましたし、その夜乗った夜行列車でも、駅弁のようなお弁当を食べていました。
食べて飲んでしゃべってにぎやかなこと。

たまたま飛行機が同じだった日蓮宗の住職さんは、小学生の息子さん2人を連れて、仏跡めぐりだそうです。
この日はアグラまで一緒でした。

インドの駅には改札口もなくて、プラットホームが町の延長線上で自由に出入りできるように見受けました。

雑駁とした食べ物の屋台の周りで食事していたり、水道の周りで顔を洗っていたり…、もちろんホームレス風の人たちがころがっていました。

この画像には写っていないけれど、照明があまりないため暗い時間帯はものすごく気味悪かった。

物乞いの人たちの間をすり抜けて列車に乗り込むまでは気が抜けません。
これもまた疲れることの一因でした。