秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

閉業のお知らせ

質店は2021年8月に閉店いたしました。 昭和21年9月創業で75年間にわたりご愛顧賜りありがとうございました。

浄土の鳥土鈴、迦陵頻伽(かりょうびんが)★西国33所31番長命寺

2023-09-12 | 西国33箇所



長命寺で一番印象に残ったものが、この土鈴でした。

西国33ヶ所のお寺が滋賀県に6寺あって、それぞれの浄土の鳥が限定販売されてるようです。




若い頃は土鈴収集してたんですけど、
今はできるだけもの増やさない生活にシフトしてるので見てただけ。


【西国三十三霊場/番外編】 浄土の鳥(滋賀県) - 白い稲妻・多摩の黒酢(たまの くろす) ほぼ競馬なブログ since 2006:楽天ブログ

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​妻がコンプしました。 の 多摩の黒酢です。西国三十三霊場で、6つの札所が滋賀県にありますが、その6札所で各1羽ずつ販売しているのが、​「浄土の鳥」​です。(...

楽天ブログ

 
上記ブログより、





長命寺は2回目です。
初参詣は2010年3月

インド人もびっくりの行程★西国33箇所の31番長命寺 - 秋麗(あきうらら)

近江八幡に興味があって、新しく開通した第二京阪道を通って行って来ました。たまたまご縁があったSさん(インドからIT技術者として来日中)も一緒に4人で出かけました...

goo blog

 

あの時はハードスケジュールで、御朱印もらったよ〜というだけ。
ほとんど記憶なし。


今回のお出かけは、竹生島へ行く流れが変更なって…
昼食後帰るには早いし、聖徳太子繋がりで長命寺なら近いよと提案しました。
私は西国33ヶ所コンプリートしてるので、単なる付き添い付いお出かけ。


14:19


階段参道の途中に駐車場あるのは覚えてました。
標高333mの長命寺山、下からなら808段だそう。


ココからなら200段なさそうです。

武内宿禰が山を開き、619(推古27)年に聖徳太子が寺を創建したと伝えられ、

武内宿禰の長寿にちなみ、「長命寺」と名付けられた。




琵琶湖が見えます。
もっと境内上に行けばさらに見晴らし良いようです。
太郎坊宮の小さな祠あったらしいけど気付かず。



観音堂の縁から三重塔。

本堂裏手には、2つの巨石が重なって今にも崩れ落ちそうな六処権現影向石があり

武内宿禰が祈りを捧げ300歳の長寿を全うしたとの云い伝えがある。

鐘楼裏手にある修多羅岩は開山の武内宿禰の御神体とされているそう。



知らんかった〜

巨木巨石マニアなもんで、残念😢


3回目の訪問はあるだろうか…








善峯寺★遊龍の松、桂昌院の枝垂れ桜、悠仁さまお印の高野槙

2021-04-07 | 西国33箇所
亀岡で道の駅二つも寄ってたので、善峯寺着いたの16時寸前。
急がんと閉まってしまう。



境内3万坪もある山間のお寺です。
以前お参りしたときはめっちゃ歩いた記憶残ってて、トレッキング履いていきました。

お二人が観音堂でご朱印賜ってる間に、




右崖際の御香水井戸でお水賜りました。
一人だと暗くてちょっと怖かった。


このお水のことご存じのお連れが、空のペットボトル用意してきてくださったのだった。



国の天然記念物に指定される五葉松
樹齢600年以上、全長37m
安政4年(1857)花山前右大臣家厚公により〝遊龍〟と命名された。



経堂の西側でひときわ荘厳に咲き誇る枝垂れ桜は桂昌院お手植え。



老木を支えるけなげな樹木に感動。


悠仁さまのお印・高野槙が育って、二本寄り添う双樹のよう。

画像中央右の石碑に、吉峯寺奥之院 出世薬師如来

前回2011年11月の記録によれば、上の奥の院行ったと書いてました。
それでめっちゃ歩いた記憶だけが残ったのでしょう。

マスク装着もあり息苦しくなって膝も痛いしで、
さらに上の薬師堂にはお参り行きませんでした。
でも前とは違うものが見れたし、お水も賜れてよかった。









第22番札所 補陀落山総持寺、亀の恩返し

2021-04-05 | 西国33箇所
茨木市にある総持寺は西国33箇所の札所です。
たぶん3回目の参詣となります。
一回目は孫のエソラが誕生前、娘夫婦と初詣。
2回目はゆうりがイソラ神社お宮参りの帰りに参詣したような。
冬の閑散とした境内の記憶がかすかに。
総持寺近くの蕎麦屋さんはしっかりと覚えてます。

3回目にしてやっと目に留まったものがありました。









亀に乗った千手観音さん。
あちこちに亀モチーフいっぱいです。



亀の恩返しの縁起を知りました☞総持寺公式サイト略縁起

平安前期山蔭の父藤原高房が任地の太宰府に向かう途中、
息子の政朝(山陰)が淀川に落ちて、観音様に祈ると、翌朝大きな亀の背中に乗って帰ってきたという。
その亀は高房が前日に漁師から買い取り助けて川に放した亀であった。
『今昔物語集』にも収められている「亀の恩返し」として有名なエピソード。
喜んだ高房は唐人に観音像を刻む香木を探してくるように頼んだ。
数十年後『高房卿の求めに応じて海を渡す』と刻まれた香木が流れ着いたが、この時すでに高房は亡くなっていた。
中納言になっていた政朝(山陰)は、香木を持って都に行き仏師を探したが優れた人が見つからなかった。
長谷寺に行き観音様に祈ったところ童子が現れ、この香木を材とし亀に乗った千手観音を刻んだという。
仁和2年(886年)にこの仏像を本尊として祀ったのが総持寺の創始と伝えられている。
また、山蔭は本尊造立に際し千日間にわたり料理をお供えした縁により包丁道の祖としても祀られる。
山蔭流庖丁の元祖であり、日本料理中興の祖とされる。
創建後は、一条・後一条・白河・鳥羽天皇の勅願寺として栄えた。


総持寺参詣される場合は、hideponさんのブログが詳しいです。

平成21年(2009)、前の丑年初詣では、お坊さんがモウォーと吠えて牛王加持  賜った。

今年も丑年なので尋ねてみた。
厄逃れ疫病退散の牛王で、お正月には毎年授与してるそうだ。

12年前に賜ったご朱印は


第22番札所 補陀落山 総持寺

西国33箇所で山号が補陀落山とあるのは、他に第17番六波羅蜜寺
22も17もイザナミ事象数ですね。

なんで補陀落山なのか、
なんで亀に乗った観音さんなのか調べてみました。

ラサにあるポタラ宮はサンスクリット語の「ポタラカ」に由来します。
チベットも観音信仰の地として知られます。
本来、サンスクリット語の「Potalaka(ポタラカ)」は「白い花が咲く山」のことで、
海と山と空に彩られた美しい景観を「Potalaka (ポタラカ)」を音写し、
「普陀山」「補陀落山」「宝陀山」などさまざまな漢字があてられてきたようです。
そこから観音菩薩の降り立つとされる伝説上の山、補陀落山に。

インドの伝統的宇宙観の一つに、亀が地上世界を背負うというものがあるそうです。

中国で生まれた道教では、仙人が住むという蓬莱山を背負っているのが亀とされてきた。
亀は神仙思想の世界と現世を繋ぐ動物とも言われています。

補陀落山と蓬莱山は同じものとみていいのかな。
亀と観音菩薩の降り立つとされる伝説の補陀落山が合体したのでしょうか。



善峯寺の桜は今盛り

2021-04-03 | 西国33箇所

葛城の桜満開も、ひっそりと

2/9に突然壁から落ちた一陽来復のお札、葛城一言主神社にお返しに行ってきました。昨年の冬至祭は雨で散々、この境内で最後まで参列できませんでした。樹齢1200年のイチョウも新芽が美し......


ちょうど1年前、コロナでビビってましたが葛城で花見して心ゆったり。

今春はもう桜散ったかなと思ってたけど行ってきました、京都へ。



京都西山から桜越しにみた洛中。





西国33所第20番札所 善峯寺
西山は、春は桜、初夏は紫陽花、秋は紅葉の名所で有名です。




長谷寺で心に留まった輪違い紋

2020-12-06 | 西国33箇所


14:00
今どきのイケメン僧侶の案内で長谷寺参詣スタート。



本堂まで399段あるそうです。
この「登廊」は、上・中・下の3棟からなり、天井には長谷型と呼ばれる丸い灯籠がつるされています。
牡丹の季節にはこの回廊周りが花いっぱいになります。



本堂のお賽銭箱でやっと寺紋が目に留まりました。
お坊さん後ろ襟のクリップ飾りにも。
輪違い紋と教えてもらいました。
撮影画像見直したら、あちこちで発見できました。

二つの輪は「金剛界の智」の世界と「胎蔵界の理」の世界を表現してるそう。
天地は金剛界と胎蔵界に分かれ、生物は二つの界を右往左往して生きている。
    調べてて突然名前の漢字が出て来て驚きました。

輪違い紋の二つの輪が互いに組み合っているのは、
不悟の衆生としっかり結んで、天地の調和の中に組み込むためであると伝えられます。

仏さまと私たち衆生は、もとは同じで異なることはない『凡聖不ニ』という教えをあらわしています。




毎朝7時にこの広い礼堂板間にて朝勤行あり、一般参詣者も参座できるそうです。
もちろん案内してくれてるお坊さんも勤行、先週11/27の朝は気温下がり寒かったと話されてた。
夏は涼しいだろうけど、冬の吹きっさらしの風通り抜けそう。
コロナの蜜対策はバッチリですけどね。

大観音特別拝観後、護摩木納めて最後に向かったのが大講堂。



大正時代の建築物だそうです。


大広間で長谷寺縁起絵巻が展示されていました。

つづく


★PS
昨日12/5のアクセス状況は
2969093ブログ中46位だって、ビックリのアクセス数です。
気持ち悪いので記録残します。

アクセスアクセス
閲覧5,890PVUP!
訪問者3,031

早朝4:43に意味不明なサイト紹介コメントあって、
もちろん繋ぐことなく削除しましたが、
それぐらいからか、マルシェにお試し出品したという記事にアクセス急増。
マルシェ「トップページに紹介されてます」という一文見つけ確認してもわからなかった。
こんなにご覧になられても、売れない(*´-`)









長谷寺の大観音特別拝観12/6まで

2020-12-01 | 西国33箇所


笠山坐荒神社を記録してる途中ですが、先に割込みで。
12/6までなら特別拝観できます。



お顔はいつでも拝顔できますが、
12.13mの御本尊足元から見上げれるのは圧巻です。
足に直接触れることもできますし。



今回、初瀬の奥の院である笠山へ出向いたきっかけは、
お連れお二人が西国33箇所御朱印集められてて、長谷寺行こうかなという話から。

私はすでに満願してて、長谷寺では2010年4月に賜ってました。

あの時、西名阪の福住で降りて裏から行った山道のどこかに笠山荒神と笠蕎麦あるのです。
ということで3人のお出かけ目的はウィンウィン!

やっと念願のタスク完了して、長谷寺に着いたのが2時前。


特別拝観とかされるのなら、
2時スタートの僧侶ガイド付きありますよと案内された。
2000円のお得なコース、
護摩木も付いてた(^_-)v
大和4寺周遊の甚平さんみたいな道中着やらいっぱいもらえた。

続きはまた後日、
期日迫ってるのでとりあえずお知らせまで。






西国29番札所松尾寺の仁王門修復中

2020-10-21 | 西国33箇所


15:32 到着
天橋立から約1時間要しました。

舞鶴道降りてから山道上がります。
電車バス乗り継いでたらもっと大変、歩きならもっと無理。


京都の舞鶴と福井の高浜の境にある若狭富士。
今でこそ高速道繋がりましたが、大阪からは行きにくい所でした。
2011年千円高速の時に御朱印賜りに行って以来です。
今回はお連れ二人の朱印集め同行の旅でもありました。


原発が地図に明記されてるのは珍しいかも。
2017年に入手した海湖と歴史の若狭路という大きな観光パンフ。

2020年の若狭路まるごと周遊まっぷには載ってない。

青葉山を挟んで南西山麓に松尾寺。
南東に中山寺は北陸33箇所観音霊場の1番札所のようです。
共に馬頭観音祀ります。





この2枚は帰る時に写しました。
仁王門修復中でした。
本堂の屋根とかもかなりいたんでた。

9年前は


コロナ禍でお寺経営も大変だろうと思いました。

樹木は立派で青々と勢いあったのが救いでした。




見事に真っ直ぐな杉大木。

高野槙もクリスマスツリーみたい。





山上大堂立体曼陀羅@槙尾山施福寺

2020-08-30 | 西国33箇所
虻、虫の知らせをどう読み解くか、
その前に山上伽藍をもう少し詳しくご紹介しておきます。

立体曼荼羅というだけあって、仏像所狭しでした。

本堂正面の弥勒菩薩は脇侍に文殊さんと十一面観世音。
裏にまわると奥面に


元三大師、左右に不動明王、弁財天

三体が祀られ、それを挟むようにして、右側に弘法大師

右手に最澄


真言宗と天台宗が同じとこにおられます。

この向かいに、お布団かけて横になられた涅槃釈迦像。
(撮影失念、画像無し)

涅槃像背後に目に留まったのは




閉じられた厨子の左右に、狛犬如き獅子像の風変わりな面妖。
そしてお釈迦さんと観音さん。

戦国時代の焼討、江戸時代の山火事と施福寺も時代の変遷いろいろ。
昭和の戦争で焼けた大阪で、近隣あちこちの社寺から預かった仏像とかあるかもね。
宗派超えて由来記されてないものあるし。


大阪観光局サイトで、施福寺はこう説明されてます。

槇尾山施福寺(まきおさん せふくじ)は仏教公伝まもなく

欽明天皇勅願によって古代海上交通の要衝の地、

加古川の加古の行満によって開かれました。

本尊は前向に生きることを説く丈六の弥勒菩薩、

脇仏の智恵を説く文殊菩薩は行基造立、

左脇は行基の弟子法海が大津の浦に紫雲に乗って現れた慈悲を説く

十一面千手千眼観世音菩薩が札所本尊です。

航海の安全を祈願する処から人生航路の安全健康と

生がいを説く観音霊場となりました。

日本唯一の足の裏を見せている花山法皇足守の馬頭観音は、足腰を守ってくれます。

又、日本唯一の約立メーターの方違大観音は、人生をよき方向に導いてくれます。

おみくじの元祖厄除大師の元三大師、

槇尾七福神槇尾十二支、山上大堂はパワースポットです。




山号の槇尾山は以前は巻向山の神を祀っている山なので巻尾山と書きました


アレ〜
巻を納めるから槙尾というと思ってた。

役行者が葛城の峰々に法華経を納め、最後にこの山に納経したので巻の尾として山号の由来になった。
この伝承で今も西国33箇所巡礼終わった際に写経を納める人多く、
納経の寺として有名です。

現実に納経という行動に移す人、私も含め存在する以上、
伝承は伝承を超えて力を持つと思います。


巻を納める槙尾山施福寺へ

2020-08-29 | 西国33箇所
今日も朝から暑かったですね。
ご近所の友人が西国33箇所御朱印集めで
4番施福寺へ行くと聞いて連れて行ってもらいました。


9:30守口出発。
施福寺の参道入口で記念撮影10:44

西国33箇所1番の難所と言われるだけあります。




10:54
戦国時代、信長の焼討ち
江戸時代の山火事で唯一燃えなかった山門




11:11
木に下げられたプラカードには
あと240段 
まだまだじゃ 施福寺の階段も人生も…



11:19
やっと到着



先週写経した般若心経を納経しました。
さすが巻を納める槙尾山、多くの納経積み上がってました。

本堂伽藍は500円で拝観できて、写真撮ってもいいよと言われた。

お気に入りの方違大観音

大観音背後にも納経された和紙が、
棚いっぱいに積み上がってました。




施福寺ならではの馬頭観音は、結果坐臥で足裏見えます


ここにも納経いっぱい。



本堂伽藍には、11:28から11:45まで
ゆっくり拝観させていただけました。
本尊の弥勒菩薩が本堂正面におられ


正座してご挨拶しようとしたらアブが周りを飛ぶ。
足の裏に止まったようで慌てて立ち上がった。
靴下履いてたからセーフ。

足元にまとわりつくように飛ぶのが怖い。
拒否されてるようで、次の方違大観音さんへ。
ここでやっと離れてくれた。



神社やお寺に蚊や虻はいっぱいいるでしょう。
でも手を合わせるときに邪魔されるというのは気になる。

4年前に施福寺来た時は、行きも帰りも蜥蜴にあった。


アブとトカゲ、どんな意味があるんだろう。


降りの帰路は足ヘロヘロ、
あんなにくたびれたのに歩数は






今日の発見に愕然★観音さんとお薬師さん

2018-10-17 | 西国33箇所


先だってより薬師信仰について思いを馳せてて、ふと思い出したこと。
京都の六道珍皇寺は薬師如来が本尊で、脇侍に日光菩薩と月光菩薩がおられた。
本堂にあげていただいて間近で拝謁できて、画像はないけど心のシャッター切ってたから。

西国33箇所の清水寺の次に六波羅蜜寺へ行く途中でお参りしたのだった。
2011-04-29
あの世とこの世の境に建つ六道珍皇寺と小野篁&16番清水寺


御朱印スタンプマニアではないけど、
なんでか、急に思い立ってその朱印帳最後に、六道珍皇寺の朱印賜ったんだった。

おそらく朱印押してもらって以来の確認でした。
間違いなく御本尊は薬師如来だった。


2006年6月に第1番札所那智の青岸渡寺で購入して朱印賜ったのが最初。



そしてついでにペラペラと印刷部分見て驚いた。


ご真言に薬師如来のオンコロコロないやん!
観音さんばっかり‼️

しばらくしてやっと気づいた。
西国33箇所観音霊場巡りだったんだ。

2006年6月から2017年9月に終えるまで、なんと11年3ヶ月もの間、私は何に手を合わせてるか全く意識してなかったんだろう。

お恥ずかしいを通り越して呆れてしまった。

この度、薬師信仰と観音信仰に興味持ってやっと目に留まり、脳に引っかかったのでした。

物見遊山おそるべし、
いやおそるべからず、かな。
ちっとは記憶してて突然線繋がることもある。






花山院と安倍晴明と@那智の滝

2018-03-30 | 西国33箇所


那智原始林で見かけた境界と彫られた石柱。
ちょっとこの先行くのはばかられる。

魔界との境界?なんて軽い気持ちでガイドさんに尋ねたら、
この辺は那智大社と国有地とかがいりくんでるから、とのことでした。






那智原始林のイラストマップ、


三の滝の上に「花山法皇在所跡 松の丘」と記されてあります。




西国33か所は、長谷寺開山の徳道上人が718年開創したもので、今年2018年で草創1300年キャンペーンしてます。

花山天皇は、退位、出家して花山院となり、この那智山で参籠していた折に熊野権現が姿を現し、徳道上人が定めた三十三の観音霊場を再興するように託宣を授けた、とされます。

その花山を「かざん」と読むことを、この度の記事書くにあたり初めて知りました。




西国33か所は、1300年の歴史を持つ日本最古の巡礼路です。
海外からの特に白人の参拝客をたくさん見かけたし、TVでも熊野古道を歩く欧米人が増えたと言ってました。

熊野古道を歩くウォーキングツアーは数々催行されてますが、外人はガイドもなしで数人で歩いてたりします。

時代は遡り、1000年前も花山院とかが歩いて熊野行ったんですね。



花山院は、那智の大滝の上流にある3の滝付近で庵を結び千日の修行をされた。
那智での修行中には、天狗が現われ修行の邪魔をしたので、安倍晴明を呼び寄せ、天狗の妨害を防ぐよう命じた。
そこで、晴明は岩屋に多くの天狗たちを封じ込めて祈祷したおかげで花山院は無事に千日の修行を終えることができた。

というエピソードを知りました。

花山法皇(968~1008)
安倍晴明(921~1005)


なんと同じ時代でした。
興味を持ったので、花山天皇を調べてみました。




花山天皇は、生後10ヶ月で皇太子に立ち17歳の若さで即位された。
しかし、寵愛していた女御が亡くなると政治への関心を急速に失っていかれました。

摂関政治全盛期で有名な藤原道長の父、兼家は道長の兄の道兼に命じて、花山天皇に出家をたきつけます。
「出家して菩提を弔って差し上げるのがよろしいでしょう。私もお供して世を捨てます」
まんまと罠に嵌められて、天皇だけ出家させられるという前代未聞の大珍事。
花山天皇には子供がいなかったので、兼家の娘詮子が産んだ懐仁親王が皇太子になっていた。
退位さされたので、先の円融天皇の子(懐仁親王)が一条天皇として即位するもわずか7才。
こうして藤原兼家が一条天皇の外戚、摂政となり兼家の家系は全盛期を迎えます。

これを寛和の変(986年)という。


妻1:藤原時姫(藤原中正の娘)
長男:藤原道隆(953-995)
三男:藤原道兼(961-995)
五男:藤原道長(966-1028)
長女:藤原超子(954?-982)冷泉天皇女御、三条天皇生母
三女:藤原詮子(東三条院)(962-1001)円融天皇女御、一条天皇生母

妻2:藤原倫寧の娘=道綱の母:蜻蛉日記の作者だった 
次男:藤原道綱 

他にも妻いましたが割愛

学生時代に古文で習ったコマ切れの固有名詞、人名がやっと繋がった気分です。



花山天皇と安倍晴明とのエピソードは他にもいろいろありました。

花山天皇が退位するという予兆を見て急いで参内し報告しようとしたが、既に天皇は寺へ向かっており、時既に遅し。
大鏡の花山院の段にあるそうですが、これは後世の読み物です。
実際は、安倍晴明は予言ではなく、当時の情報網の中枢近くに居たことで情報を得ていたのではともいわれています。

追われるように京を発ち、熊野に向かった花山法皇。
いよいよ那智に入って、

石走る滝にまがいて那智の山高嶺を見れば花の白雲




二人とも、前世では大峰(吉野と熊野を結ぶ修験の山々)の行者だったと伝えられています。


その後、花山院は992年ころに帰京するも、僧籍にありながら好色ぶりはすさまじく大勢の女性と関係をもったようです。
そこからまた次の騒動を生み、藤原道長の時代へと進んでいきます。

藤原道長は、円融天皇女御で一条天皇生母である藤原詮子の弟で、かわいがられていたため、藤原兼家亡き後、お鉢が回ってきたようです。


波乱万丈の一生を送られた花山院、熊野と深くかかわられた不思議な存在。

青岸渡寺、参拝三度目にしてやっと気づいた花山院の逸話でした。






西国33か所霊場めぐり一覧★11年かかりました

2017-09-19 | 西国33箇所


2014/6/2 西国33霊場めぐりを新しいカテゴリーにまとめました。
あれから3年過ぎて、やっとこの秋に満願!
この機会に、西国33所を一覧にしてリンク貼っておきます。
ご関心おありの方のご参考になれば幸いです。



西国三十三所草創1300年のサイト→こちら


西国33所は信仰の気持ちは別にして、オリエンテーリングみたいにご朱印集めてなくとも、単なる観光地としても素晴らしいところばかりです。
どこが一番よかったか、なんて不謹慎なランク付けできないほど、どこも思いで深いです。
歴史がぎゅっと詰まってて、それも興味深い。
是非、足腰達者なうちにお出かけくださればとおすすめします。


          地図をいただいたサイトは→こちら



2006-06-12 那智大楠


2009-01-03 牛王加持@総持寺



2010-03-28 インド人もびっくりの行程★西国33箇所の31番長命寺


2010-04-25 花の観音浄土・長谷寺


2010-10-21 秋風や 囲いもなしに 興福寺☆子規


2010-11-26 西国33箇所13番石山寺

2011-04-29 あの世とこの世の境に建つ六道珍皇寺と小野篁&16番清水寺

2011-04-30 666★六道・六波羅蜜・六角堂

2011-05-01 緑青々と六角柳 at 六角堂


2011-05-03 4月29日 目に留まったものあれこれ 19番霊麀山革堂行願寺


2011-06-05 1000円高速終了までに丹後と若狭の札所へ 第29番青葉山松尾寺

2011-06-09 魔剣に龍が登る必勝のお守り 第28番成相寺


2011-08-02 岩間寺の気になる木


2011-11-13 京都西山の善峯寺

2011-11-15 西国33箇所21番札所・穴太寺

2011-11-15 屋根裏で眠っていたお釈迦様!


2012-03-18 西国三十三カ所第5番札所・葛井寺



2012-04-08 百聞は一見にしかず★醍醐の花見



2012-08-21 竹生島の宝厳寺★西国33箇所観音霊場第30番札所


2013-04-08 書写山(しょしゃざん)ハイク


2013-04-09 ラストサムライのロケ地@圓教寺



2013-05-04 第23番札所 勝ちダルマの勝尾寺



2013-05-08 ちょっと今までみたことない不思議なお寺、勝尾寺 



2014-06-02 西国33霊場めぐりを新しいカテゴリーにまとめました




★2017/9/19追加 ここから↓ 

2015-03-30 西国33ヶ所2番札所 紀三井寺の階段は231段

2015-04-06 威風堂々粉河寺の縁起絵巻と塩爺と

2015-09-20 中山寺から清荒神まで初級ハイクのつもりが

2016-05-01 風薫る槇尾山ハイクで施福寺へ

2016-05-02 西国33所第4番施福寺と空海と、祖父の思い

2016-05-04 昔より立つとも知らぬ今熊野(^人^)西国第15番

2017-03-19 テーマパークみたいだった巨大石仏いっぱいの壺阪寺

2017-03-20 西国33箇所7番♡岡寺にもでっかい如意輪観音像

2017-04-18 ドンピシャで年に一度の入山無料日だったけど(◞‸◟)播州清水寺

2017-06-19 急峻な参道も格言に導かれて観音正寺★西国32番

2017-09-17 西国33番谷汲山華厳寺で満願

2017-09-19 法道仙人伝承の寺★西国26番 法華山一乗寺

法道仙人伝承の寺★西国26番 法華山一乗寺

2017-09-19 | 西国33箇所




2006年6月にスタートした西国33所巡りが無事満願したというのに、唯一26番法華山一乗寺だけ記録残してなかった。

一乗寺の開基は、天竺(インド)の人・法道仙人(ほうどうせんにん)で、雲に乗って日本にやってきたと伝わります。
鉄の宝鉢を持っていたことから、空鉢仙人(からはちせんにん)とも呼ばれ、不思議な術を使う超能力の持ち主であったそうな。

初めてその存在を知ったのは、信貴山の朝護孫子寺のずっと山頂に空鉢護法堂。
2012-09-30 空鉢護法・くうはつごほう

そのわけのわからん仙人に魅せられて、次に向かったのは堺は泉北・鉢が峰にある法道寺だった。
2012-10-14 木の精って気のせい?

わざわざ出向いたのに、ちゃんと記録に残せなかったのは、調べててやっぱり、いや余計に収拾つかなくなったんだろうと思う。

それから半年が過ぎ2013年春は4月、桜満開の折に、姫路の書写山圓教寺と法華山一乗寺の二つ寺参詣したのに、圓教寺しか書いてない。

2013-04-08 書写山(しょしゃざん)ハイク


2013-04-09 ラストサムライのロケ地@圓教寺



なぜ、どこがひっかかったのかすら忘却の彼方で、月日は流れました。
台風18号が接近するこの連休に、西国最後の33番目谷汲山華厳寺へ。
最後の最後が満願堂だった。

唯一記事にしそびれた法華山一乗寺は、やっぱりちゃんと記録しとかんとね。
改めて、いろいろ調べてみると、法華山まわりを満願寺川が流れてるようです。
やっぱり不思議やね。

2013年4月8日参詣したときに撮影したデジカメ画像はいまだ発見できない。
橘の木がたくさん植わってて、満開の桜と橘をたくさん撮影した記憶が残ってます。
そうそう、石の宝殿まで行った記録残してるし、これとの関係もずいぶん調べてたのに。
2015-06-16 なんとも不思議!シーボルトもスケッチ残した石の宝殿★6/17海抜図を追加しました


ひょうご歴史ステーションの法道仙人より引用させてもらいます。
詳しくはそちらのサイトで続きをご覧ください。


播磨国の山には法道仙人を開山・開基と伝える寺が多く、兵庫県には110か所以上あるそうだ。
共に日本に渡ってきた牛頭天王(ごずてんのう)は、姫路市の広峰神社に祀られる。


播州名所巡覧図絵

寺伝では孝徳天皇(こうとくてんのう)の勅願により、650年に開基された。

法道仙人が日本にやってきたとき、最初に発見した「霊地」が一乗寺背後の法華山で、「八葉蓮華(はちようれんげ)の形をした霊山」と言われる。
山頂は標高243mほどと、さして高くない山であるが、地図で見るとなるほど、谷が複雑に入り込んで、「八葉」に見えないこともない。
もっと特徴的なのは、この山がまわりを満願寺川(まんがんじがわ)や法華山谷川(ほっけさんたにがわ)などの河川に囲まれ、周囲のどの山ともつながっていないということである。
山中にありながら独立した山塊。そして入りくんだ谷。こんな景観が、「八葉蓮華」と称される元だったのだろう。
それにしても「八葉」の形は、空からでなくてはわからないと思うのだが、やはり仙人は、空を飛んだのだろうか。



西国33番谷汲山華厳寺で満願

2017-09-17 | 西国33箇所




台風18号は午後4時半高知県の足摺岬あたりで、関西には来るのにまだしばらくかかりそう。(→5時頃宿毛市再上陸)
すでに被害出てるところあり、これからも警戒必要です。

今朝目が覚めてすぐに台風位置確認したら、まだ九州の南海上だった。
西国33所が大詰めで、最後の33番は岐阜にあり、なんとか夕方までに行って来れそうと判断。
7時前にエミちゃんにメールして8時過ぎに出発と決めた。

画像は、珍しい華厳寺の手水舎、こんな風にお水出るの初めてです。

ほかにも珍しいのは




満願したら、本堂前の柱に貼り付けられた鯉をなでなでするらしい。












なぜかこちら華厳寺では3つの朱印賜ります。
@300✖️3 =900
でも拝観料は不要ですし、紅葉などシーズンでないときは駐車場も無料でした。





お札を濡らして貼り付ける、これも初体験でした。



見ざる言わざる聞かざる、が狸も初めて見た(*^_^*)



10:30頃到着して、門前の茶屋でしいたけ定食撮影したのが 11:24
ちゃっちゃと食して次に向かう。

以下由来にある、大口大領の末裔が、富岡屋と号し現在に至るそうです。
食事した時にいただいた説明を読み今になって知りました。


西国三十三番美濃国谷汲山華厳寺累縁記累縁記
「夫(そ)れ当山は、桓武天皇の延暦17年(798)の創建にして開基は豊然上人なり、当山開創の縁由を語るにその昔、奥州会津郡黒川の郷に大口大領居士と云う人ありて、厚く佛舞を信じ十一面観音菩薩の霊像を強く得んとして、遠く京師(けいし=京都)に上った。運よく一佛工から笠と杖を携えた、七尺五寸の大像を大領は授かり大層喜んだ。
また、佛工は『この尊像は文殊大士の御作で、御身に華厳経を書き、御袈裟には三千佛並びに諸尊の三昧耶形(さんまやぎょう)を写せりと。
(中略)大口大領大いに悦び信心肝に銘じて、頂礼〈ちょうらい)之を奉持して帰路に赴く。途中赤坂駅に至りその夜、霊像夢に告くて曰く『是より5里北に有縁の地有り』と。霊告に由って当山に護持し、苑廬(えんろ=草庵)を営む豊然と云う沙門と会い大いに信心を起こし、山谷を開拓し一つの殿宇(でんう=殿堂)を建て、尊像を安置した。




急峻な参道も格言に導かれて観音正寺★西国32番

2017-06-19 | 西国33箇所

西国33箇所の32番札所 観音正寺
滋賀県近江八幡市安土町石寺2

標高432.9メートルの繖山(きぬがさざん)
貴人にさしかざす衣蓋のようにふんわりとした美しい山容から名付けられたそうです。
が登るのと山容見るのは違いますから。


表参道は1200段ぐらいあるそうです。
車なら山麓途中にある駐車場から裏参道であがります。


想像と違う結構きつい階段が始まります。
事前には約300mほどと聞いてただけでちょっと驚愕。
帰山で下るときに数えたら、440段程度。



ふと手すりを見れば、札に墨書き。

32 人はあるものを粗末にし、ないものを欲しがる

なるほど~
少し下にも木札あったようで、それはきっと33番だろうが、なんて書いてあったか戻ってみる元気ない。
ここは32番札所だからここからスタートの気持ちで。



8 人知らずとも良心これを知る

息はあがるし足元危ないしで、見たしりから忘れる。
もちろん撮影もできなかった。


いよいよ最後
1 人の一生に厄年はない 躍進の「やく」と考えよ

やっと境内に上がりました!










うす曇だったけど、三上山もちゃんと見えました。



観音正寺来山のご案内みると

裏参道を上がったものとばかり思い込んでましたが、表も裏も山麓途中に駐車場有り、階段参道は表参道でした。
1:表参道
  石寺楽市より石段(1,200段)約45分

2:裏参道
  五個荘料金ゲートより東近江市管理山道にて裏参道山上駐車場
  駐車場より山道(約500m)約10分
(注)東近江市管理山道の利用可能時間 午前8時より午後4時まで

3:裏参道
  観音寺口バス停下車
  結神社より境内まで山道(山道は一部石段)約50分

4;表参道
  表参道料金ゲートより山道を表参道山上駐車場
  駐車場より石段(440段)




続く