秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

閉業のお知らせ

質店は2021年8月に閉店いたしました。 昭和21年9月創業で75年間にわたりご愛顧賜りありがとうございました。

坂本の穴太積みと天海僧正

2014-11-29 | おでかけ・近畿
京阪石坂線の終点坂本駅からすぐ近くに観光案内所がありました。
地図でももらおうと立ち寄ったら、ボランテイアガイドさんが一緒に廻りませんかと声かけて下さった。

全然知らない人4名がガイドさんに案内されて、坂本の里坊の石積みから見ていきました。
里坊というのは、比叡山で修行され歳を重ねた老僧が、坂本の里に降りて住まわれた隠居所ことで、このシーズンあちこちで公開されてました。





穴太積みは、「石の一つひとつが収まるべき所に収まる」という石垣で有名です。
穴太衆とかよく聞くので一度見てみたいと思ってました。




公開里坊は拝観料かかりますので、一つだけ入りました。




案内してもらってる4名のうち一人の方はすぐご近所にお住いの方で、
戒蔵院の毘沙門天さんは滅多に公開されないので、この機会に行きたいと言われたから。
私は何の予備知識もないので、言われるまま付いていきました。





その戒像院横に、日吉東照宮がありました。



この鳥居から琵琶湖越しに三上山が真正面に見えます。



この画像はスマホの方が綺麗に写ってます。


スマホのカメラ、遠くもちゃんと写ってて、スゴイね。



日吉東照宮が最初にできて、日光はその後です。
明智光秀が本能寺の変のあと生き延びて比叡山に匿われて後、天海僧正になったという説があります。
比叡山には、光秀が没したとされる年数よりのちの時代に、寄進が光秀と刻れた石塔ものこされてるとか。
そして、天海僧正は慈眼大師ですが、光秀の位牌があるのは京都慈眼寺。


天海僧正は、徳川家康に協力して江戸の町を築いていきますが、結界のはり方はすばらしいものであったらしい。
三代家光の頃の春日局が家康に重用されたのも、光秀の重臣、斉藤利三の娘だったからだとか。

≪黒衣の宰相≫天海僧正は光秀である→こちら


鳥居から真正面に三上山が見える雄大な景色は、いろんなことを知ってる人がここに祀ったんだろうと思えました。




いよいよ、坂本で一番行きたかった日吉大社へ。






続く


左手薬指は、名無し指とも魔法の指とも呼ばれる話

2014-11-27 | 世情雑感


私の左手の薬指は人差し指より少し短い。
右手は薬指のほうが長いです。
指の長さを今までじっくりと眺め比較したことありませんでした。

あら~、甲側から見たら薬指が長いわ(*^^*)

大相撲の力士、十両から横綱まで約100枚の手形を調査されたら、
横綱、大関の上位力士の方が明らかに薬指が長いそうです。

その他に、サッカーやラグビーの選手、オーケストラの演奏者にも薬指が長い人が多いらしいです。

親指と長い薬指と小指の3点でしっかり握れば力が入るのかも。


なんでこんなことに興味持ったかというと、
先の記事、三井寺の不思議な伝承の一つ、
金堂の堂前灯籠は、別名「園城寺金堂無名指灯篭」と呼ばれる。
天智天皇が大化改新で曽我氏一族を誅した罪障消滅のため、自らの左薬指を切ってこの台座の下に収められたと伝わる。



なんとも奇妙で不気味な伝承だと思いました。
左手薬指は結婚指輪をはめる指ぐらいにしか思ってませんでしたから。

ちょっと調べてみました。

古代エジプトから、薬指からの特別な静脈が直接心臓、つまり心と繋がっていると信じられていたんだと。

婚約や結婚指輪を薬指にはめるのは、そうした誠意をつなぐ効力を高めるとか、誓約みたいな感じでしょうか。

ケルトの森 というサイトでは、次のように書かれています。
古代の人は祈祷やお炊き上げをすることで病の回復を祈りましたが、
祈祷やお炊き上げというのも魔法の一種であり、また医学の1つでした。
体の中心となる心臓が医療の基本ですから
心臓に直結し、魔力を持つ薬指は大切なものだったのです。



薬指、薬師(くすし)指は、薬師如来が印を結ぶのに右の第四指を曲げている事に由来するとの説。
この呼び名より、この指で薬を塗るなどの俗習が広まったともされるようです。


薬指には呼び名がいろいろあって、お姉さん指に、紅さし指は知ってました。

そして、今回問題となった「名無し指」

日本語:薬指、薬師指、名無し指、紅差し指、紅付け指、環指、お姉さん指
中国語:無名指
モンゴル語:nereguy hurgan(名無し指)
フィンランド語:nimeton sormi(名無し指)
ブルガリア語:benzimen pryst(名無し指)

英語:ring finger(指輪の指)、third finger(3番目の指)
ドイツ語 :ring finger(指輪の指)、herz finger(心臓の指)、arzt finger(医者の指)
ラテン語:digitus annularis(指輪の指)、digitus medio proximus(中の隣の指)、digitus medicinalis(医者の指)


中国、フィンランド、ブルガリヤも同じように名無し指と呼ばれているのが不思議。


もうちょっと調べてみよう~


なんともけったいな三井寺の伝承の数々

2014-11-26 | 古代史のミステリー
三井寺の 門たたかばや けふの月

御影石に榊莫山氏 揮毫の石碑と紅葉が美しかった。
三井寺金堂正面左手の蓮池の前にありました。
芭蕉、元禄4年(1691)48歳の作で、芭蕉没後300年を記念して平成6年に建立されました。

どういう意味か検索してたら、あるブログには

「三井寺」は、大津にある園城寺(おんじょうじ)の通称である。
仲秋名月の夜のことを扱った謡曲『三井寺』の舞台でもある。
謡曲は、当時、俳人たちの常識でありこの芭蕉の句も謡曲『三井寺』を踏まえている。





唐院大師堂で黄不動尊を特別拝観



映画「るろうに剣心」のロケ地となった橋も渡り、
けっこう疲れたし境内は広いし、出口はどこだろうとお坊さんにお尋ねしました。
やっぱり三井寺来て、金堂拝まずに帰るのもどうかと思われた。




弁慶の引き摺り鐘も見ました。
俵藤太秀郷が三上山のムカデ退治のお礼に竜宮から持ち帰った鐘を三井寺に寄進したんだと。
その後、山門(比叡山)との争いで弁慶が奪って比叡山へ引き摺り上げてついてみると、
いのーいのー(関西弁で帰りたい)と響いたので、弁慶は怒って鐘を谷へ投げ捨てた。
その時のものと思われる傷跡がのこってるといわれます。

藤原秀郷は、平安時代中期の貴族・武将で、近江三上山の百足退治の伝説で有名。
出自を藤原北家魚名流とするのが通説だが、「実際には下野国史生郷の土豪・鳥取氏で、秀郷自身が藤原姓を仮冒した」という説もある。





三井寺の公式サイトより
本尊は金堂にお祀りする弥勒さまです。
このご本尊は今から千三百年余り前、三井寺が創建された時に 天武天皇から賜わったと伝えられていますが、 絶対の秘仏となっているため、この仏様を拝したひとは誰もいません。




金堂の前の石灯篭は、立札にいわれが書かれています。
堂前灯籠 天智天皇が大化改新で曽我氏一族を誅した罪障消滅のため、自らの左薬指を切ってこの台座の下に収められたと伝わる。
そのため別名「園城寺金堂無名指灯篭」と呼ばれる。


天武天皇の勅願により建立され「園城寺(おんじょうじ)」と称したはずなのに、
天武以前の天智天皇の薬指とは、これいかに?




近藤の左側に閼伽井屋があり、水の湧き上がる音がボコボコと聞こえました。
天智天皇、天武天皇、持統天皇の三天皇が産湯に用いた泉、三井の霊泉とされます。
御井(みい)の寺と呼ばれていたことから三井寺と親しまれています。

三人の天皇は、三人とも琵琶湖のこのあたりでお生まれになり産湯を使われたなんて、ありえへん?
いったい何を物語りたい逸話としているのでしょう。


この閼伽井屋の正面には左甚五郎作と伝わる龍彫り物があります。
むかしこの龍が夜な夜な琵琶湖に出て暴れたため、困った甚五郎が龍の目玉に五寸釘を打ち込みしずめたんだと。

左甚五郎は江戸時代初期に活躍したとされる伝説的な彫刻職人、
ということは、この建物覆いは江戸時代に建てられてたんだ。



貞観元年(859年)園城寺初代となった智証大師が感得されたのが黄不動尊です。
今年はその智証大師(814-891) 生誕1200年なんだそうです。




三井の晩鐘は、近江八景の一つとして有名です。
宇治の平等院、高尾の神護寺とともに日本三銘鐘に数えられ、
荘厳な音色は日本の残したい音風景百選にも選ばれているそうです。



広い境内を1時間半ほどウロウロして三井寺駅に戻った。


続いて、日吉大社のある坂本へ。




★追記 謡曲『三井寺』とは 三井寺公式サイトより

能楽にうたわれる謡曲に、『三井寺』という狂女物の名作があります。 世阿弥の作とも伝えられています。 駿河国(静岡県)清見ケ関の女が、子買いにさらわれたわが子を捜し訪ねて、 京都・清水寺参籠の霊夢で三井寺へ参れと告げられます。
時まさに中秋の名月。三井寺では、住僧が弟子・千満らを連れて講堂の庭での月見に出ます。 そこへ、子を失った哀しみに心を乱した女が到って、名月に浮かれ、 龍宮から持ち帰ったと伝わる名鐘を、龍女成仏にあやかって自分も撞(つ)きたいと近づきます。

住僧は制止しますが、狂女は中国の古詩を持ちだして、詩聖でさえ、名月に心を狂わせて、 高楼に登り鐘を撞くというのに、ましてや狂女の私がと、鐘を撞き、舞います。 「初夜(=宵)の鐘を撞く時は諸行無常と響くなり 後夜(ごや)(=深夜)の鐘を撞く時は是生(ぜしょう)滅法と響くなり 晨朝(じんじょう)(=明け方)の響きは生滅滅己(しょうめつめつに) 入相(いりあい)(=夕暮れ)は寂滅為楽と響きて」。

「諸行無常」と響く初夜の鐘(三井の晩鐘)

弟子の千満に促されて住僧は、狂女に素姓を尋ねます。 千満・狂女の応対があって、狂女は千満がわが子と知り、母子(ははこ)は再会。めでたし、めでたし。 「かくて伴なひ立ち帰り親子の契り尽きせずも富貴の家となりにけりげに ありがたき孝行の威徳ぞめでたかりける」。

能「三井寺」

江戸時代も文化隆盛の頃、武士は謡(うたい)を、町人は浄瑠璃をたしなむことをステータスとしました。



三井寺のべんべんと 訶梨帝母倚像

2014-11-25 | おでかけ・近畿
紅葉もきれいでしたし、黄不動尊もすばらしかったけど、
一番印象に残ったのが宝物殿でみた訶梨帝母倚像でした。
撮影は禁止ですのでネットで拾ってきました。
難しい読み方は、見学してるときにメモしてきました。
かりていもいぞう と読みます。

右手にザクロを持ち、左手に幼児を抱いて、半跏し右足を踏み下げています。
鎌倉時代13世紀前半の木造(像高43.9cm)で重要文化財です。

時間をまき戻し、三井寺の最初からご案内しますと、

駅から5分ちょっと歩くと


先にアップしたスマホ撮影したマンホール画像はこの三尾神社右手の道です。



   兎の宮、三尾神社 →こちら

境内右から 西国33箇所の観音堂へ上がる石段参道





琵琶湖がきれいに見晴るかせました。

朱印賜ったことだし、それでは黄不動尊さまを拝みに行きましょう。





三井寺の広報僧「べんべん」に出会いました。

背中に亀の甲羅背負ってるやん、と調べてみると
弁慶の引きずり鐘と千団子祭りの亀をモチーフにしたキャラクターで、特技はほら貝を吹くこと、だそうです。


そのときは何も知らず、境内でお団子買いました。


千団子って書いてあります。

千団子祭りは子どもの成長を祈る祭りとして、広く親しまれている三井寺の祭礼。
広い境内の中に、市指定文化財に指定されている護法善神堂(ごほうぜんじんどう)<=千団子社>がある。
そこの守護神である鬼子母神は千人の子どもを持ちながら、人間の子どもを食べる悪い神だったが、お釈迦様に説かれ、出産、育児の神として子どもたちを守る神となったと伝えられている。
その子どもたちに千個の団子を供えることから「千団子祭り」と呼ばれ、600年以上続く伝統的な行事となっている。
千団子社の前の池では、子どもの健やかな成長を願って「亀の放生」が行われ
亀の甲羅に子どもの名前と年齢を書き、その亀を、祈祷後、池に放つというもの。


これで最初の訶梨帝母倚像(かりていもいぞう)とつながりました!

護法善神堂の左脇に安置されている像だったのでした。

訶梨帝は鬼子母神とも呼ばれ、釈迦によって改心し子供の守護神となった女神。
園城寺では、智証大師の護法神として特に篤い信仰を集めています。


一番心象に残った仏像と、お団子も美味しかったし、ね。

黄不動尊に会いに行ったので、次回に続きます

秘仏 黄不動尊に会いに三井寺へ

2014-11-23 | ケータイ・スマホから








拝観料500円の他に特別拝観料が900円
西国33箇所14番札所の朱印が300円

元とらんなあかんと、広い境内しっかり歩きました。



湖都周遊おおつ1dayきっぷを購入してたので、
坂本まで足を伸ばし日吉大社へ。



ボランティアガイドさんと一緒だったので珍しいとこも行けました。


日光東照宮の元社だそうです。
鳥居の先に琵琶湖対岸の三上山が正面に見えます。



朝9時前に家を出て日没までしっかり歩きました。
お天気は暑くなく寒くなく、紅葉は一番見頃のベストデーでした。
ちょっと無理して出かけた甲斐がありました。

新嘗祭 暁の儀の頃の衛星画像

2014-11-23 | 世情雑感
未明に目が覚めてTVつけたら、昨晩の長野の地震被害を伝えていました。
家屋の倒壊もありけが人も20人ぐらいと聞きました。
お見舞い申し上げます。

その後の天気予報で見た衛星画像が気になったので記録残しておきます。
ユーラシア大陸から越前に伸びた白い雲は、
かキーンと向きを変え大蛇が首をあげたように東北に伸びてます。

ユヤはイヤでありイフヤ?

2014-11-20 | 古代史のミステリー
住吉大社の綿の花
もうすぐ壱岐へ一泊二日の旅します。初日に神功皇后ゆかりの宮地嶽神社に参拝するコースです。大阪にも神功皇后ゆかりの地は数々ありますが、住吉大社が有名です。...


今年2014年6月1日の日記です。
住吉大社の御田植神事 で花笠に付けられる飾りが、綿の花。
「神功皇后が御鎭祭の時、住吉大神の御神徳により神饌田を設け、
長門國から植女を召されて御田を作らしめたまふたのがはじめ」であると伝わります。

この長門の国のどこからだろうと調べたけれどわからなかった。
でもなんとなく油谷地方のような気がする。


11/21追記
いろいろ考えてみたら、神功皇后ゆかりの穴門豊浦宮かもしれないですね。




『油谷町史』によれば
大正初年の頃は、油谷島を 「 オヤジマ 」 と呼んでいた。
ユヤはイヤと類似語で、ともに親をさす語であることから考えると、油谷島はおやじまで、祖先発祥の地かも知れない。
本油谷には古墳がありアブミの出土が伝えられ、古い時代より有力な人が住んでいたことが分かる。
梶ヶ平 は、昔は神が原といい、八幡の神がここから上陸し、隣地の 箸神 では神に供物をする箸を削った所という伝承がある。


『山口県地名考』高橋文雄 著によれば
油谷の名はいつごろからあったか明らかでないが、俗説に「この湾は波がおだやかで油を流したようであるから油谷という」というが、これは全く当てにならない。 
向津具半島の一番先端を「 油谷島 」といい (現在は陸続きであるが、古くは島であったものか。 あるいは対岸から見ると「島」のように見えるからか) 湾名はこれから出たものであろう。
このユヤの意味は分らないが、あるいはイヤの転か。
イヤ( 弥、嫌、居屋 )とは文字通り 「イヤな所」 のことで、古代からの 「墓場、死体の捨て場」 のことが多く、イヤがユヤになり「湯谷」と書く例は各地にある。


白雉(はくち)は日本の元号のひとつで大化の後650年から654年まで。
孝徳天皇の時代です。
穴戸(長門)国より献上された白雉により改元された。

Wikiより、「長門」の名称と由来
長門は、古くは「穴門(あなと)」と呼ばれ、「穴戸」と書くこともあった。『日本書紀』によれば、大化6年(650年)穴戸の国司(草壁醜経)が白雉を献上した。天智4年(665年)には長門国が初見される。この間に改められた。 穴門とは海峡(関門海峡)を指しており、日本神話にも「穴戸神」の名が見える。穴門国造の領域と、阿武国造の領域をあわせて、7世紀に穴戸国が設置された。7世紀後半に長門国に改称した。


何があったんだろう。
長門の国はいろいろワケありですね。



インフュージョン ハーブティー

2014-11-18 | ケータイ・スマホから




マークス&スペンサーのハーブティー3種、ロンドンで購入。
もともと、ショウガとレモンの組み合わせは数年前からトワイニング製品を愛飲してました。

寒くなると温かい飲み物欲しくなる し、珈琲以外も飲みたいし。




クランベリーとエルダーフラワーのインフュージョンは、色が赤くてキレイです。
酸味がきいててほんのり甘みもあって美味しい。
テーパック1つに250ml ほどのお湯入れたのを、寝る前だというのに全部飲み干した。

寝床入ったら、トイレ通うこと3回、ものすごい利尿作用に驚愕。
さすがハーブティーでした。
効能と副作用ちゃんとしらべないといけませんね。


インフュージョンを音声入力の翻訳アプリで確認したら「点滴」とでた。
「注入」「吹き込み」という意味のようです。


「インフュージョンスピリッツ」は、最近カクテルの世界で注目されている人気のお酒です。
果物などの香りを移したこのホワイトスピリッツのベースに、紅茶やフルーツジュースを組み合わせ も流行ってます。


孫にも衣装の七五三

2014-11-17 | エソラ&ゆうり


昨日の日曜日はお天気に恵まれ
絵空とゆうりの七五三を無事すませることができました。





朝9時に守口市の大枝神社で祈祷予約、
11時に枚方市でスタジオ撮影、
12時半 天満橋で食事会。
孫の家族は神社まで車できましたが、それ以降は電車移動。

ちびっこ絡みだというのにものすごいタイトなスケジュールで
心配しましたがウソのようにスムーズに無事終了できてやれやれ。

めでたくもありうれしい行事なれど
諭吉さんはだいぶ出て行きました(≧∇≦)


七五三 ちょっと調べてみましたので参考までに

7歳、5歳、3歳の子供の成長を祝う日本の年中行事
11月15日は、子供成長を祝って神社・寺などに詣でます。
現在では全国で盛んに行われているが、元来は関東圏における地方風俗であった。

天和元年11月15日(1681年12月24日)館林城主である徳川徳松(江戸幕府第5代将軍である徳川綱吉の長男)の健康を祈って始まったとされる説が有力である。

発祥とされる関東地方では、以下のように考えられている。

数え年3歳(満年齢2歳になる年)を「髪置きの儀」とし、男女とも行う。
江戸時代は、3歳までは髪を剃る習慣があったため、それを終了する儀。

数え年5歳(満年齢4歳になる年)を「袴儀」とし、男の子が行う。
男子が袴を着用し始める儀。

数え年7歳(満年齢6歳になる年)を「帯解きの儀」とし、女の子が行う。
女子が幅の広い大人と同じ帯を結び始める儀。



ついでに五つの節句
人日(じんじつ)(正月7日)
上巳(じょうし)(3月3日)
端午(たんご)(5月5日)
七夕(しちせき)(7月7日)
重陽(ちょうよう)(9月9日)

9月9日は一桁の数字では一番重い9と9の数字が重なり、さらには陽と陽とが重なることから重陽という吉日とされた。

同じ数字が重なる11月11日は、日本でも中国でも祝日ではない。
1という一番軽い数字が組み合わされた「弱」の数との考えから、
10月以降は同じ数字が重なっても特に祝日扱いはされない。

このブログでは 1111は、ウェイクアップコール は人気記事なんですけどね。


難読地名 特牛 こっとい

2014-11-16 | 古代史のミステリー


角島から無料の橋を渡り下関へ向かい少し走ると道の駅 北浦街道ほうほく
そこで見つけた とうふドーナツ。
特牛と書いて、こっとい とふりがなも書かれてます。



助手席に座ってたので、道路案内看板もよく見えました。
なんともけったいな地名だし、読みと漢字、どっちが先なのか??

不思議に思いつつ、グッドタイミングで地名入りお土産見つけることができました。

どの辺にあるかというと


こっとい で検索すると地名の由来いろいろありました。
一番スコーンとはまったのは、

シュメール語の 「コッテ 」神に捧げる牛 が転訛した という説です。→ こちら

このサイトには長門の田布施という地名が出てきます。
この田布施で検索すると、岸、佐藤元総理の故郷でした。
そしてさらに興味ふかいことに、明治天皇入れ替わり説にまでつながります。

日本国家は明治維新で長州藩田布施一味に乗っ取られた ...なんてセンセーショナルなサイトもありますよ。
検索してるとつい読みふけってしまいました。

★11/17追記
日本書紀の巻14雄略紀3年4月条に、阿閉臣国見(更名磯特牛)
という人名があり、たいていの場合「磯特牛」に(シコトヒ)とよみがながついてるそうです。




すぐ近くに 土井ヶ浜遺跡 があります。
ここで発掘された遺骨は皆、西向いて埋葬されてるんだそうです。




山口県下関市の西端、関門海峡を目の前にする彦島から、奇妙な模様=「ペトログラフ」を刻んだ石が次々に発見された。解読を進めるにつれ、驚愕の事実がわかってきた。なんと、それは、シュメールの古代文字だったのである。更にこの後、ペトログラフは、九州北部と山口県西部の各地で相次いで発見された。このペトログラフの発見のニュースは、日本国内よりも海外でより注目され、高く評価されている。

彦島八幡宮のペトログラフ

なぜ角島ペトログラフ岩は信用し難いか

シュメール人に親近感
>「私のDNAにもシュメール人の部分が含まれているかもしれない」と思ってしまう自分に気付いた。

同感です。

無料で渡れる角島大橋

2014-11-14 | 旅・中国&四国地方
山口県ってJR山陰線は単線ですけど、自動車道はよくできています。
首相8名でてるというのと関係あるかな?

新山口から萩へ向かう高速道もまだ全部つながってないからということで無料でした。
しかし一般道も通行はスムーズでしたけど。

下関市豊北町神田と角島の海士ヶ瀬戸に架かる角島大橋は、
離島に架かる橋としては無料で渡れる一般道路です。

日本で2番目の長さ 1780m あります。
ちなみに関門橋は、全長 1068m で海峡の最もくびれた部分はわずか700mほど。



角島大橋は2000年11月3日に開通し、自動車のCMなどで登場する有名スポットです。
レクサス・GS450h、三菱・ギャランフォルティス、スズキ・スイフトなどのロケ地となりました。








このときはちょっと曇ってて、青い空とエメラルドグリーンの海色ではなかった。
海の色が異なる境目がはっきり確認できて、潮の流れもずいぶん違いそうです。

つつみの形をした島の西端までいくと灯台があります。


日本海側初の洋式灯台で、130年以上経った現在でも現役で毎日点灯しています。



 200円で上にあがれます。

長門の油谷は神秘のパワーが宿る地らしい

2014-11-12 | 旅・中国&四国地方
長門湯本温泉の大谷山荘で宿泊し、二日目は無料の角島大橋を渡る、
お昼に下関でフグを食べる、船で関門海峡渡り門司への予定でした。

ネットで事前予習してたら、北長門海岸に龍宮の潮吹きを発見。
元乃隅稲成神社の鳥居もみごたえありそうで、地図では寄れそうな感じでした。

二日間同じジャンボタクシーの運転手さんが案内してくれます。
いろんな観光地よくご存知でしたが、油谷では向津具半島の楊貴妃の墓しか行ったことないとのことでした。

スマホで見たらおもしろそうなので、今後の参考のためにも行きましょうと。

向津具(むかつく)半島 そして油谷と書いて(ゆや)と読む。
なんとも不思議な地名です。

朝8時半出発。


県道のガードレールは夏みかん色、白は国道らしいです。


山陰本線は、このあたり単線です。

ジャンボタクシーは初めての観光地なのでナビで走りました。

「龍宮の潮吹き」のビュースポットに到着。


日置・油谷は神秘のパワーが宿る地という大きな看板が立ってました。







いったいどこで潮吹き見られるのと目を凝らす。

どうやら、潮吹きは冬の北風が強くて波が3mぐらいのときに起こる現象らしい。
玄武岩の入り組んだ海岸線の洞穴に波が風で押し流され、
細い縦穴を圧力でもって、龍のように30mぐらいの高さにしぶきがあがるという。







切り立った崖の上に上がってみると、








元乃隅稲成神社
もとのすみいなり 何で隅なんか調べたけれどわかりませんでした。

白狐のお告げにより、昭和30年に島根県津和野町太鼓谷稲成から分霊されたそうです。
宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)が祀られています。

123本の赤い鳥居が、龍宮の潮吹きからつながっています。
「成」は成就に由来し様々な願いが叶う らしいのに、
足場悪い所で写真撮るのに必死でお参りするの忘れてました。