秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

閉業のお知らせ

質店は2021年8月に閉店いたしました。 昭和21年9月創業で75年間にわたりご愛顧賜りありがとうございました。

気温から予想する洋服選び

2012-05-31 | 旅・ルーマニア
守口市のただいまの気温20度、ほんの30分前は17度で少し寒かったです。
一昨日はにわか雨が何度かあり、阪急電車に雷落ちたりしたようです。
お天気すっきりしませんね~

日本で暮らしてても、毎日の洋服暑かったり寒かったり…。

旅立つ前は持っていく洋服、毎度の事ながら悩むもの。
世界の天気で調べると首都のブカレストは少し日本より低い程度であまり変わらない。
しかしトランシルヴァニア地方は山を越えて行く内陸部、
まぁ信州へ行くようなものでしょうか。

その中心地ブラショフの街で2泊しました。








現地の人も薄めコートやセーターとか着られてました。

事前調査で天気予報をみると、雨95%、気温3~9℃
これにはビビリました。
傘はもちろん、レインコート。
さらに、ユニクロのプレミアムダウンがかさばらないので持って行きました。







ルーマニア初日、国民の館にて


出発の時は深夜便でドーハ乗換え、ルーマニアには昼すぎ到着。
家を出たときのそのままの洋服でブカレスト市内観光をしました。

最終日はシナイア観光後空港へ向かい18時頃の帰国便に乗ります。
朝洋服を決めて荷物を詰めるときにコート類も入れました。

帰路も、手荷物を少なくするため往路と同じ薄着。
シナイア地方は標高800m以上の軽井沢のようなリゾート別荘地で、
羽織ものがスカーフでは少し寒かった。
 


最終日はちょっと失敗でしたが、後はおおむね洋服選び大成功!
MSN 世界の天気は役に立ちますよ。

ビエルタン要塞教会の鍵

2012-05-29 | 旅・ルーマニア
ルーマニアは東ヨーロッパの黒海の西側にあります。
黒海沿岸以外は地続きということは、
いろんな民族が入れ替わり立ちかわりやってきやすいということ。

紀元前はダキア人が暮らしていたようです。
2世紀初めから3世紀後半までローマ帝国の支配下に置かれます。
ルーマニアROMANIA、国名の由来は「ローマ人の国」
国民は「ローマ人の末裔」を自認すると記されています。


4世紀、世界的な寒冷化によりゲルマン民族大移動でローマ帝国滅亡。
その後中央アジア出身の遊牧民族が入れ替わりルーマニアを支配した。

中世にはワラキア、モルダヴィア、トランシルヴァニアの3公国があったが、
完全な独立ではなくオスマン帝国やハプスブルク家の支配下にあった。
そうした時代に造られたのがこの要塞教会です。


ルーマニアのほぼ中央に位置するビエルタン
1283年の文書にその名がはじめて出ており、ザクセン人のトランシルバニアにおける最古の集落です。


幸運にも、山あいのビエルタンにはオスマン・トルコ軍の攻撃はなく、
そのため教会だけでなく、人びとの住居なども破壊されることなく現在までその姿をとどめています。





あたり一面、とてものどかな景色が広がっています。
赤い屋根の集落と緑の丘陵、あたかも中世の村がそのまま残っているがごとくです。


三重の防壁に囲まれた堅固な教会は、入口からは見えません。


入口左横に、ハチミツと花粉を買ったお店があります。




100mほどの屋根付き階段を昇ります。

現在の聖堂は後期ゴシック様式で1487年から1524年に建造されました。
教会の中にはトランシルバニアで最大級の祭壇
  


パイプオルガン

そして聖具室の入り口扉の鍵


1900年のパリ万博で金賞を受けたそうです。
4種類は鍵で動かし、残り15種類はレバーで動かすようになった非常に複雑な仕組みが採用されています。
1515年に地元中世ザクセン人の親方たちが作り上げた素晴らしい技術工芸品です。
当時の仕組みは今でも機能しており、この鍵があるから世界遺産に登録されたともいわれています。





塀から見えた村の家の屋根には目がついているように見えます。
この小窓は通気換気だけでなく、見張窓でもあったようです。


じゃがいもの芽が伸びて

2012-05-29 | ケータイ・スマホから
去年の残ったじゃがいもから芽が出てたので、半分に切って水に漬けたのは半月前。
どんどん成長して、このままでは倒れそうなので、今朝プランターに植え替えました。
ジャガイモの収穫は無理でも花は咲いてくれるのかな。

ところで先だって水中栽培をも試みたハスの種。
ルーマニアの旅の間、水を替えなかったからか、
種が水中で割れてダメになってしまいました。

瓶原(みかのはら)を歩く

2012-05-27 | おでかけ・近畿
大阪質屋組合のウォーキングに初めて参加しました。
朝8時JR大阪駅3F南北連絡橋改札口集合。
大和路快速で70分乗車し、加茂駅に到着したのは10時前。



百人一首に、三十六歌仙の一人藤原兼輔(紫式部の曾祖父)の歌。

みかのはら わきてなかるる いつみかは いつみきとてか こひしかるらむ

高校時代に百人一首を暗記させられたので、「みかのはら」記憶に残ってます。
この年になって、やっとなんで「みかのはら」というんだろうと思えるようになりました。


笠置の山峡が急にひらけて、木津川の流れもゆるやかになったあたり、
甕に似た地形によって瓶原(みかのはら)と呼ばれたという。

いつみかは(泉川)、現在の木津川は鈴鹿山脈に発し、京都盆地南部を流れて淀川に合流。
かつては今よりもずっと川幅広く水量豊かな河川で、奈良時代には平城京を難波と結ぶ交通の大動脈であった。



加茂駅より15分程度で、御霊神社





岡田鴨神社は、下鴨神社の元社です。


本殿左側が天満宮、右側が岡田鴨神社。
春日大社の本殿を移築した「春日移し」とよばれる建物です。





橋を渡ってすぐに北詰に大伴家持の万葉歌碑がたってます。
聖武天皇が恭仁京を造営されるにあたり木津川に架けられた恭仁大橋。
ここまでで約1時間歩きました。


土手沿いの地道は軽トラックとかの轍と草で歩きにくい。

やっと恭仁小学校到着。

木造校舎が懐かしい、かつての昭和レトロでした。

小学校の北に大極殿の礎石跡が残っています。



好天気の中、約2時間半かけて8kmを歩き、どっと疲れました。
お昼はビールもいただけて、帰りの電車は寝てしまった。

東京から8890km離れたシギショアラの時計塔

2012-05-26 | 旅・ルーマニア
TMさんのブログ、スカイツリー開業記念「私の写真館」
スカイツリーの「藍白」という色を実現したのが「大日本塗料」
とコメントで触れられてました。

この夏の節電乗り切れるか瀬戸際の関西企業。
スカイツリー建設は関西企業の高い技術力の証明になった…に興味津々。

  


プレジュールに続いて、ビエルタンの要塞教会についてレポートするつもりでしたが、
急遽、シギショアラという町の時計塔に変更。
帰国後一番最初にスマホより送信した画像が、
 この塔から見えた山の教会でした。



60mの塔の上に登ると、各方位に世界の都市名とそこまでの距離が記されていました。


ドラキュラの家としてレストランになっている
Casa Lui Vlad Dracle (ヴラド・ドラクルの家)で予定通りランチ食べました。







右角の鹿が目印のホテルはチャールズ皇太子も宿泊されたとか。
トランシルバニア地方のドイツ系住民の生活や建築様式に造詣深く、
何軒か家を所有されていて、頻繁にトランシルバニアを訪問されるらしい。




シギショアラは「トランシルヴァニアの宝石」と称えられる、
ドイツからの入植者によって築かれた美しい街でした。
故郷から遠く離れた地で暮らすことになったザクセン人が
迫り来る異民族の襲撃の恐怖に打ち勝って築いてきた中世の街並みが残っています。

「シギショアラ歴史地区」は世界遺産に登録されています。

プレジュメール要塞教会

2012-05-26 | 旅・ルーマニア
天井に設置された先の尖った木の柵は敵が侵入したら降りてくる仕組み。
中央が1本折れてるようなのは、誰かか、何かに刺さったのかな。

3日目、ブラショフ市街から約15kmほど離れたプレジュメール要塞教会へ。
門をくぐり木戸を開けてもらって入場します。
堅牢な造りで、厳重な警戒。
地続きで異民族の敵が攻めてくるという恐怖と不安。
陥落し征服されたら皆殺しでしょう、きっと。
日本は海に囲まれてるから、ここまでスゴイ砦を見たことがなかった。




要塞教会とは、トランシルヴァニア地方独特の建築で、軍事要塞化した教会です。

かつてはトランシルヴァニアだけで600近くの要塞教会があり、
現在もその半数近くが残っていますが、大部分は荒廃したり閉鎖したりしているらしい。
地域住民の高齢化、住民の流出、修復予算不足、…
特に保存状態がよく美しい7つの教会が世界遺産に登録されています。

プレジュメール要塞教会は、世界遺産「トランシルヴァニア地方の要塞教会群のある集落」の一つです。







12世紀頃のモンゴルに始まり、タタール、オスマントルコ
異民族の侵略に備え教会を中心にして囲むように防御壁が造られています。
なんと14回ものオスマントルコの攻撃に陥落しなかった頑丈さです。

センターの教会









壁の高さは12m、外壁は擁壁になって異民族からの侵入を防ぎます。
厚さ9mほどの壁の内側が3階建ての集合住宅になっていて、なんと273室も。
中央に教会がなければ、中国の客家の土楼みたいです。





敵が攻めてきたら、村の人々は要塞教会があるこの壁内に避難して籠城します。
2か月間の避難生活ができるほどの食料を備蓄していたらしい。





窓から石や排泄物を投げたりして応戦したそうです。
壁の内側は暗いけれど、排泄するトイレとなる穴の下は青空だった。

なんか想像を絶するすさまじさです。
かつての日本は恵まれた地理環境にあったから、わきが甘いのかもとつくづく思わされました。




エアメイル届いた

2012-05-25 | 旅・ルーマニア
1週間前の5月18日夕方、ルーマニアのブラショフで赤いポストに投函。
貼紙とかあってあまりきれいじゃあなかったので、
届かないかもと思えたので記念撮影しました。





アロー・プラザという宿泊ホテルの横にあったポストです。
ホテルのフロントで投函依頼するのではなくて、自分で投函しました。

1週間でちゃんと届きました。
エアメイル切手代は3.2レイ(100円程度)
信じるに足る国のようです。

リラ(英語名ライラック)の咲く頃

2012-05-24 | 旅・ルーマニア
英語の Lilac ライラックを、フランス語では Lilas リラと呼ぶ。
知らんかった…。
フランスで「リラの咲く頃」とは、一番良い気候のことを指すそうだ。

ルーマニアのトランシルヴァニア地方、プレジュメール要塞教会で満開でした。



リラ(ライラック)のウンチク

和名:紫丁香花(むらさきはしどい)

学名 Syringa vulgaris
Syringa : ギリシャ語の「Syrinx(笛、パイプ)」が語源。
      枝から笛、パイプを作ったことから。
vulgaris : 普通の、通常の

開花時期は、4月中旬から5月初旬。
ヨーロッパ南東部バルカン半島やアフガニスタンが原産。
ライラックは英語名でイギリスでは5月祭の花になっている。
冷涼地を好み、日本では札幌市の花でもあり、ちょうど今ライラック祭り。
ハート型の葉っぱ、花は紫・白・赤など色さまざまで密生して咲く。
とてもよい香りで、香水の原料にもなる。
花びらはふつう4枚だが、まれに5枚のものがあり、それを見つけると幸せになれるという言い伝えがある。


世界遺産「プレジュメール要塞教会」について次回書きます。

「とちのき」は「栃の木」「橡の木」とも書く

2012-05-24 | 旅・ルーマニア
栃のみせんべいや栃のみ餅は知ってた。
しかし栃の花はお相撲さんしか知らなかった。

まるで巫女の持つ鈴のような円錐形。
花の集合が立ち上がり薄いピンク色の中に紅が混ざってたりもする。
それはそれは見事で、ルーマニアのあちこちで見かけました。

栃の花だと分かるまでずいぶん時間がかかりました。


奥に写った煙突にはコウノトリ。
2005年1月にモロッコ行った時にもコウノトリいました。
あちらで冬を過ごし春になったら地中海を渡って来るのだそうです。



ブラショフで泊まったホテル横に植わった栃の木




パリの街路樹で有名なマロニエというのはセイヨウトチノキでした。
「マロニエ」の花は「栃の木」そっくりで ほとんど見分けがつかないが
「マロニエ」の葉っぱはふちがギザギザらしい。


栃の木のウンチク

とちのきは「栃の木」「橡の木」とも書く
「と」は数字の十で、実が多い木の意味から。

学名 Aesculus turbinata(栃の木)
Aesculus hippocastanum(フランス語名マロニエ:marronnier)


Aesculus(アエスキュラス)は、ラテン語のaescare(食う)語源、実が家畜の飼料などになるところから
turbinata : 倒円錐形の
hippocastanum : トチノキの古名。"馬の栗"

白い花がロウソク状に盛り上がって咲く。
花からは蜜が、種子からはでんぷんがとれる。
特にトチ蜜(とちみつ)は最高品質のものとして知られている。
また、材は家具や楽器などに使われる。


セントジョーンズワート

2012-05-22 | 旅・ルーマニア
ブカレストの空港で購入したもの

左:ツイカというスモモの蒸留酒を買ったつもりが、よく見たらプラムかも。

右:花の香り付けしたオリーブオイルのつもりで購入したけど、
よく見たらバルサミックオイルって書いてある。
これって食用のオイルとして口に入れても大丈夫なんでしょうか?
それともボディにぬるエッセンスオイル?

オイルに浸かった黄色い花はセントジョーンズワートだと思い込んでたけど、
「Ulei de galbenele」と下に書かれてある。
galbenele で画像検索したら違う花だった…。


脱法ハーブとか違法ハーブとか、世間を騒がせています。
しかし今の日本人、特に私ですが、あまりに植物のこと知らなさ過ぎる。
街路樹の名前も、咲き乱れる花の名前も、もちろんハーブも。

以前ローズマリーの名前が分からなくて、このブログで名前教えてと尋ねたことあります。
ローズマリーだと思いますよとコメント残してくれた「あっちゃん」
ハンドルネーム見たときピンと来たけど、
今回の旅に一緒だった妹が、自分が投稿したと初めて名のりましたわ。
妹は植物にめっちゃ詳しいです。


前置きが長くなりましたが、
セントジョーンズワートについて調べて、ふ~んなるほどと思ったことを記録にとどめて置きます。



セントジョーンズワートは英語です  St. John's wort
Johnジョンはラテン語でヨハネ。
聖ヨハネの日(6月24日)の頃までに黄色い花が咲き、伝統的にその日に収穫されたためその名が付いたそうです。

聖ヨハネが殉教したときに、その血液から芽生えたと言い伝えられています。
実際、花びらをすりつぶすと赤い液体が出てくるようです。

十字軍に従軍した兵士たちが打ち身や切り傷の特効薬として、
この草を良質の油に漬けてハーブオイルをつくり携帯したとも。


「聖ヨハネ祭の前夜に不思議な出来事が起こる」
「聖ヨハネ祭の前夜には、魔女や精霊が現れる」
というヨーロッパの言い伝えは、その夜を舞台にしたシェークスピアの『真夏の夜の夢』の背景ともなっています。

ヨーロッパでは、中世よりうつで悩む人や切り傷、やけどなどの治療薬に利用されていました。

昔はうつは、人に悪魔が乗りうつって起こる病気と考えられ、
セントジョーンズワートはうつを改善する効果が高いと
「悪魔ばらいのハーブ」とも呼ばれることもあるようです。

現在でも、ドイツを中心にヨーロッパではうつの改善に多く利用され
アメリカでは主に精神の安定やリラックス効果を目的に利用されています。

セントジョーンズワートには、他に、消毒効果や鎮痛作用があります。
切り傷、やけどの治療にも使われています。
患部にセントジョーンズワートを粉末状にしたものや、葉をあてがっておくと、患部の化膿を防ぎながら痛みを鎮める効果があります。

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全然関係ないけど、この記事最初にスマホより投稿した時間
2012-05-22 22:33:55

なんか数字並んでてすごくない?

魔女のいる国

2012-05-22 | 旅・ルーマニア
現代に魔女が職業として存在する国ルーマニア
旅立つ前に予習した記録「森のむこうトランシルヴァニアのヴァンパイア 」
コメント欄で国が魔女に税金徴収する話にも触れました。
 → 2012-05-12

なぜに魔女かという原点の一つに
呪いとかおまじないとか以前に、薬草やハーブの扱いに長けた民族であると書かれてあるのを見ました。

そうした流れより、美容とかアンチエイジングにも国をあげて力を入れているんだと。
お土産にジェロビタールの保湿クリームは買おうと思っていました。

添乗員さんに出会ってすぐそのことを伝えましたら、
ブラン城入口近辺に土産物屋さんがたくさんありそこで買えるだろうと。
見学後30分程度の自由時間にその界隈の薬局でどうぞと教えてもらえました。

いわゆるドラキュラ繋がりのヴァンパイアや魔女のスーベニアには見向きもせず
  

限られた時間内に急いで薬局へ


売場にはジェロビタールのクリームが何種類もあってお値段もいろいろ。
買いたい個数と値段を計算して悩みながら
手持ちのルーマニア紙幣を使い果たして購入しました。

その後、ブラショフ観光で時間がとれたからとデパートへ案内されたら

ここでも販売されてたけど、すでに手持ちの紙幣はなかったのでした。

このデパート地下は食品売場がスーパー形式でした。
数ある商品の中からルーマニア産を探すのは至難の業。

チョコレートなどはスイスやドイツなどのブランドも多いし、
うっかり中国産をわざわざ東欧で買わないよう
皆さん細かい字に目を凝らして選別しました。



その中で見つけたハーブティー、セントジョーンズワート茶。
Sunatoare / St.John's Wort / 和名オトギリ草

ツアーの仲間が、寝つきがよくなる効果と思いますと教えてくれた。
値段は忘れましたが超安いと思った記憶だけ残ってます。

ちょっと調べてみたら、興味深いことが分かりましたが長くなるので次回に。

画像の右手、ビニール袋に入ったものは蜂が固めた花粉(Polen)です。
ビエルタン要塞教会の入口でハチミツ売場がありました。



おばさんに(私より若いかもしれないけれど、おねえさんでもないしね)
これは何ですかと尋ねると、
おそらく蜂が固めた花粉だと言われたのではないでしょうか。
元気になるんだと、力こぶポーズのジェスチャー交えて語ってくれました。

味見したら、あまり美味しいものではないけれど、
サプリメントだと思えば天然100%で格安でした。

往きて還らず~生きて帰れた!

2012-05-21 | 旅・ルーマニア
今年正月の初詣に伏見稲荷でひいたおみくじが最悪だった話
  → おみくじ「凶後吉」
覚えていてくださっている読者もおられるかもしれません。

「旅立ち いきて帰らず」
できたら今年は変な国へ行かんほうがいいよ
と、同行したアズキさんに言われてました。

その卦を忘れたわけではないけれど、
春先にルーマニア6日間10万円という格安ツアーを見つけたら、
すっかり行く気満々になってしまいました。

当たるも八卦、当たらぬも…
しかしやはり気になるもの。
海外保険はいつもより掛け金500円ほど高いのにしました。
そして、今年賜ったすべてのお守り持って行きました。


さらに、私が不在の家で何かあっても困るから、
龍の絵馬に護っていただこうと最終投稿記事として出かけたのでした。

添乗員さんの機内持ち込みキャリーバッグには
インパクトあるアップリケがぶら下がっていました。

中2の娘さんが、母の日のプレゼントに手作りしてくれたんだそうです。
道中安全を祈ってのママの顔アップリケだと、うれしそうに語られてました。
そしておにいちゃんからは、金属板の手製キーホルダ。



きっと護っていただけたんだろうと思います。


最終日、シナイア観光後、18:25のカタール便に搭乗するためブカレスト空港へ向かっていました。
クリックで拡大します
帰路のバス道中より雨足がきつくなりだしました。

ブカレストまであと1時間ぐらいのところで、事故直後の現場に遭遇したのです。





★この3枚の画像は、むごい場面を隠すために修正したわけではありません。
雨で濡れたバスの窓ガラス越しにアイフォンで撮影したものです。
車窓撮影はデジカメに比べてアイフォンはブレが少ないなぁと感心してました。
自動修正してくれるスグレモノです。
この事故現場画像も修正してくれたとしたら、
ホンと、人工知能で、ちょっと怖いかも。


もう少し遅ければ道路閉鎖などで交通渋滞に巻き込まれていたかもしれません。
そしたら帰りの飛行機乗り遅れたかも。

実は、2日前の往路、
ブカレストよりトランシルヴァニアのブラン城へ向かっていた時にも、交通事故現場に遭遇したのでした。
あっという間に通り過ぎて写真撮影できなかった。
ペシャンコになった乗用車、粉々になって飛び散ったフロントガラスを掃除されてました。

ひょっとして同じ道路で近い場所だったかもしれません。

このときは対向車線で、数十キロの渋滞が発生していたのでした。




もし渋滞に巻き込まれていたら、ブラショフの観光は予定通り行かなかったことでしょう。

この後、ガソリンスタンドでトイレ休憩になった時、
後から来たトラックに前のスペースを譲るためにバックしました。
たまたまその時バスに戻ろうとしてたので横に立って見てました。

なんと観光バス後部の底板が突然外れて垂れ下がった!!




ドライバーさんと現地ガイドのアレックス君とで外した鉄板を
とりあえず下の収納庫にしまって応急処置完了。

やれやれでした。
ヘタしたら、地面でこすって火花散ってガソリン引火したり、
あるいは走行中に外れて後続車の事故に繋がったり、…。

出発前の天気予報は、雨95%
にもかかわらずお天気に恵まれ、傘を使ったのはほんのわずかでした。

ご加護に感謝します。

龍の絵馬いろいろ

2012-05-15 | 世情雑感
今年の初詣、伏見稲荷で賜った絵馬です。

伏見稲荷ではいろんな絵柄の辰の絵馬がありました。


一緒にお参りしたアズキさんは辰年生まれで
龍のコレクションしてますから、訪れる先々で賜ってるそうです。

伏見のあと藤森神社では


いろんな龍の描きかたがあるもんです。



先のGWに、天王寺で出向いた時堀越神社にも寄りました。
そこの絵馬はちょっと意表をついて目が…になり、
龍神さんはくつろぎ中でお仕事頼みにくいかも…。





龍の絵馬の圧巻は、やはり丹後の籠神社奥宮真奈井神社でしょうか。




ルクエとサーモス

2012-05-14 | スピードクッキング
サーモスタンブラーは母の日のプレゼントにもらいました。
ビールがいつまでも冷たく、熱いものは熱いスグレモノ。

ルクエのスチームケースは、普段お世話になってるからと
これも娘が先月くれて、すでに重宝してます。

これでいちだんとクッキングはスピードアップします。
ありがとう、大事につかます。