秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

閉業のお知らせ

質店は2021年8月に閉店いたしました。 昭和21年9月創業で75年間にわたりご愛顧賜りありがとうございました。

別府地獄温泉ミュージアムと海地獄

2023-02-23 | 旅・九州
湯布院でどっと疲れて…
最終観光は別府鉄輪温泉の海地獄でした。
でもその前に、なぜか昭和の観光土産物会館へ連れて行かれました。
ツアーのお約束なのかな。
大分県から1000円のクーポン貰ったからね。

わずか30分の滞在時間だというのに、
そこには入らずに向かった先はスーパー。
夜のお弁当とか仕入れました。
近隣といえどその往復でさらにドッと疲労蓄積。


そしてやっと海地獄へ。






2020年元旦にも訪れてます。

別府鉄輪温泉ぶらぶら散策 - 秋麗(あきうらら)

べっぷ海鮮市場で昼食後、鉄輪温泉のひょうたん温泉で初湯です。めっちゃ楽しみ(^_^)☆13:15から15:35まで2時間20分の自由時間。そんなに長く温泉浸かってられな...

goo blog

 

あの時同様、掃除行き届いてました。

2回目でもぜんぜん嫌じゃなかった。
湯布院との違いはなんだろう。


ざーっと別府のこと調べてて、
海地獄の5代目代表、千壽智明社長のnoteブログに辿り着きました。

「地域の魅力を多くの人と共有し、ファンになって頂く」
その思いを受け止め拡散しておきましょう。

海地獄がこれまでも、そしてこれからも大切にしていく価値|千壽智明 / 別府 海地獄|note

海地獄がこれまでも、そしてこれからも大切にしていく価値|千壽智明 / 別府 海地獄|note

大寒波、緊急事態宣言とネガティブなニュースが続く昨今ですが、今が辛抱時としっかり前を向いて未来への仕込みをしていきたい所です。 さて、今回は僕達が運営している海...

note(ノート)

 

温泉が誕生する奇跡を知りました。


別府の温泉は、別府市と由布市の境にある鶴見岳・伽藍岳という活火山を「熱源」とする。

「湯が流れる割れ目」は、869年に発生した貞観地震に起因、
この時に海地獄ができたと推定される。

九州を北東-南西に縦断する別府-島原地溝帯にあり、
雨水が地下に染み込み地下に水が溜まりやすく「水量豊富」

別府が日本一の湯量を誇るのは、これら3つがであった奇跡。


海地獄の経営者はさらに一歩前へ。
昨年12月に地獄温泉ミュージアムを開館させました。



帰りのバス集合時間までの時間潰しで立ち寄りました。

地獄温泉ミュージアム併設のカフェでお茶休憩。
かぼすソルティドッグ風炭酸水、超美味しかった。

もう歩きたくなくて。
この日は入場料1500円ケチりました。

今回調べてみて思ったことに、
体力まだある時に時間許せば覗いてみたい。

新たな試み頑張って欲しいですもん。










名だたる観光地湯布院で、がっかり

2023-02-23 | 旅・九州
朝一の宇佐神宮参拝終えて、次向かったのが湯布院でした。

2000年以降、九州の北東方面何度も訪れてますが湯布院だけは縁がなかった。
浮羽から日田など雛めぐりでも湯布院行ってない。
宮崎の友人宅行った時も、南阿蘇の幣立神宮から延岡へ抜けた。
大分空港から黒川温泉の旅も立ち寄らず。
数多く参加した弾丸フェリーでも湯布院は無かった。

まだ見ぬ温泉情緒豊かな湯布院、楽しみにしてました。


11時15分には早めの昼食でした。
湯布院の少し高台にある五衛門で豊後牛ひつまぶし。
41名ツアーゆえ団体食でまぁまぁ。

食後111年の歴史ある老舗旅館ゆふいん山水館で♨️
よかったけど、大きな旅館でちょっとイメージ違う。

またバスで移動し、下車後70分ほど自由散策です。
添乗員さんの案内でややこしい道通って金鱗湖へ。
農道が発展したような泥濘んだ道を5分以上歩き、やっと。




向こう岸の鳥居までぐるっと周ることにした。
今になって拡大して画像見たら、写ってる❗️

10分ほどで天祖神社。
湖岸と湖水側両方に鳥居あって、



鳥がずーっととまってて有名らしい。
ホンマに鳥居❗️



湯布院で一番印象に残りました。


まだ1時間近く残ってるので、メインの湯の坪街道散策。


道はややこしく皆スマホ地図見ながら歩いてる。
耳に入る言語が日本語じゃない。
若い子のグループが多く、あっちこっちで韓国語が飛び交ってる。
ここは何処って感じ。

なるほど〜インバウンドねー



昭和レトロの置物並べたのを入場料1200円出して見るまでもない。
ガラス館もオルゴールもいらん。
ハチミツもここで買わんでいい。
スイーツ食べ歩きも興味ない。

他に行くとこ待つとこなくて、
ピックアップ予定のバス停で待つこと30分以上。
吹きっさらしの風が強い。
ずーっと立って疲れた。

ツアー客の半分以上が、
湯布院ってこんなとこだったんだ、
そう思い感じてたかも。

ブログ書くにあたり、
「湯布院 がっかり」
検索したらいっぱいヒットしました。

それでも中には、「東の軽井沢、西の湯布院」でよかったという口コミも。
いろんな感性あるとはいうものの、
温泉街のゆくべき方向性見失ってるような。

残念。
もう二度と行くことないでしょう。





この5年間で4回目(^人^)宇佐神宮

2023-02-22 | 旅・九州
朝早く観光地に到着して、開いてるのは神社。
ということで、今回も別府港を8:15頃に出て宇佐神宮へ。

心配してたお天気もなんとかもって傘さすことなく、気温は高め。
しかし宇佐の境内広く、階段多い参道は夜間の雨に濡れてる。
足元に細心の注意で写真撮る余裕なかった。







2018-5-25のブログ

USAの看板、今回は見つけれなかった。

2018年は国東半島の六郷満山1300年で、新幹線小倉駅からバス車窓より。
宇佐神宮初参拝でした。

その翌年、国東半島の沖にある姫島行きたくて、またもやフェリー旅。
あの時も宇佐神宮からで2回目参拝。
そして3回目は、孫たち連れて年越初日の出フェリー旅。
やっぱり宇佐神宮で初詣だったのでした。

今回は4回目、わずか5年の間に。
地元ならまだしも遠い九州の神社ですもん、普通はありえへん。

まぁ氏神さん大枝神社は応神天皇祀る八幡さんだし、
産土の菅生神社摂社の余部神社もスサノオと応神天皇と姫大神祀ってるし。
その八幡社の総本社(^人^)
ツアー行程は旅行社が決めるとはいうものの…
なんかすごいなぁ〜


このコロナ禍の3年間,手首骨折にはじまり膝の半月板損傷で膝悪化。
またこうして参拝できるまでになりありがたいことです。


宇佐神宮に興味おありの方は、
写真もウンチクも過去ログご参照ください。




新造船さんふらわあ くれない

2023-02-21 | 旅・九州


21:06 往路の船でみた明石海峡大橋。
乗船後すぐにレストランでバイキング夕食済ませました。
各自のプライベートベッドで寛いでたらアナウンスありデッキへ。
霧雨でちょっと霞んでて、写真撮ったらすぐ船内へ。

パブリックスペースのロビーめっちゃ立派です。
3階吹抜けアトリウムでは


21:15からドーム天井にプロジェクションマッピング



ラスベガスで観たようなの期待してたら、
やっぱりエンタメは及ばないね。
首痛くなって、空いてるうちにお風呂行くことにした。




いわゆる二等船室、プライベートベッドという名の二段ベッドの各スペースにTV付き。
電波悪くてすぐ固まり途切れる。
帰路20時からの『どうする家康』は
一番電波悪い周防灘でほぼ観てられなかった。
この瀬戸内海航路にTV要るかな?

別府には日曜朝7:45着で、
観光バスから8:13に撮影したさんふらわあ


外観で甲板デッキ部分ほぼ見えない。
最上階のはスイートクラスのプライベートデッキでしょう。

ゆとりある贅沢嗜好へのチェンジなのかな。
誰でも行ける甲板部分はものすごく減ってると思いました。
船内の内装面積は以前の倍近くなってるのね。


なんか上の方が頭でっかちなって、前とは違う揺れを感じる。
友達もふらつくって言ってた。
その揺れを膝で受け止めるので膝痛くなった。





フェリーの新造船と古いのと - 秋麗(あきうらら)

1/2朝7:14帰りのフェリー、大阪湾より金剛山から連なる紀伊山地に昇る日の出です。左甲板に行くと、後ろにいたサンフラワー号が横に併走してた。背後が神戸の街です。名門大...

goo blog

 

2020年元旦に見て以来、次はサンフラワー乗ろうと思いました。
商号は「さんふらわあ」だったようです。

翌2021年3月にいつもの旅友と別府往復申込む。
コロナ自粛で別府の街は閑散通り越してて、食べるとこも開いてないやろとキャンセルしたのでした。

そして今年初めに新造船のニュース


1/13就航と知り弾丸ツアー見つけすぐ申込む。
数日後、他の友達に話したら、
同じニュースみてて一緒に行くことになり総勢4名で参加しました。


1912(明治45)瀬戸内海の大阪-別府航路で大阪商船が就航させた紅丸。
その後1960(昭和35)3代目のくれない丸は瀬戸内海の女王という愛称で親しまれた。
その頃の大阪の高校の修学旅行は船で別府でした。
私は東北選んだけど別府コースも用意されてました。

大阪-別府航路就航110年を迎えくれない丸、姉妹船むらさき丸が復活したそうです。

さんふらわあ・くれない豆知識
大きさ全長199.9m 幅28m
重さ17,114トン
速度22.5ノット
乗船者716人、トラック13m137台、乗用車100台

大阪-別府距離 418km
航海時間約12時間






門司港レトロ展望台とバナナマンと

2022-01-25 | 旅・九州


大阪行きフェリーは新門司港発19:50
時間潰すために16:00〜17:40 門司レトロ地区散策でした。


2019年6月にも同じように門司駅周辺ブラブラ、
門司駅舎と海峡プラザのバナナマン撮影して記録残してます。





あの時の夕食で瓦そば食べようとしたら、
外まで並ぶ人気ぶりで時間足りず諦めたのだった。
食べ損ねると、余計どんなかなと気になる。


今回は解散なった17時過ぎに立ち寄ったので超空いてた。
熱くなった瓦の上に茶そば、確かに珍しい。
牛肉もいっぱい載ってた。
これは2人前ですが、2人で2420円だったかな。
肉はいらんし、まずお値段気にいらん。

焼きカレーにすればよかったわ。
あまりに足疲れててバス降りてすぐだったもんで、つい。


バナナマンオブジェの背景に写ってる門司港レトロ展望台に上がりました。
関門海峡大橋が見えます。

もうすぐ沈む夕陽。
雲がなければ巌流島あたりに沈むんだろな。



これでコロナ禍の船旅は終了です。
1/17に帰宅してから一週間お付き合いくださってありがとうございます。
この記事含め全11記事もエントリー。
わずか1日ですから、関門海峡エリアは見所多いってことですよね。




こんなチラシ見つけました。
孫たちに案内してあげたいです。
2020年元旦にフェリー旅で、宇佐神宮初詣、別府温泉初湯に連れて行き、船旅含め喜んでくれました。

次は関門海峡エリアですね。

新門司港からJR門司駅まで無料送迎バスでてます。
関門周遊1日パスポート使って、まず連絡船で下関に渡る。
下関水族館見て、唐戸市場でお昼食べる。
みもすそ川公園へバス移動。
関門トンネル歩いて渡り、和布刈神社参拝。
北九州銀行レトロライン「潮風号」で門司に戻る。

なかなか良いコースになりそう。
なによりもコスパがいい❣️







和布刈神社のふくみくじと海葬

2022-01-24 | 旅・九州

一年幸ふくみくじ、
かわいくてそそりますでしょう。

どんなふうに売られてたかの写真ないのでネットより拝借。


お神籤入ってたふぐ型素焼きは家でぶら下げてます。
低いとこだとメルキィがおもちゃにするので。



出た卦は小吉で慎みなさいとのこと、
忘れないようにこれも持ち帰りました。

先の記事は和布刈神社の成り立ちとか書いたので、
カテゴリーは「古代史のミステリー」
この記事は「旅・九州」の記録とします。
同じ1日のツアー行程でも、下関は山口県で門司は福岡県。
狭い海峡挟んでるだけで地方は違うのでやむを得ません。




関門トンネル側の鳥居から入って参道進むと


海側に黒石板に記名がずらーっと並び祭祀場となってました。
海で逝った人々を悼む墓名碑みたいなものかと通り過ぎたのだった。

説明で、海葬だと知り、詳細尋ねようと社務所へ。

建物表に御神籤並んでる。
小銭が無くて中に入り両替してもらいました。
授与所もずいぶん他所とは違ってました。
ちょっと気遅れして写真撮れなかった。
 
ネット拝借画像


戻る時、この階段で躓いて転けてしまった。

右手で杖持ってたから中指を擦りむいただけですんだ。
左手で握りしめてた素焼きふぐは割れなかった。

この時点ではまだ御神籤の卦を見てなくて、



神社で転けたの、人生で多分初めて。
まだ残り時間あるもビビり戻ることにした。





自然に還る
海葬ってちょっといいなぁと思ったのでした。



夕焼けの関門海峡は美しい。

説明書きもらって転んだ。
いくら死んだら終わりでも、
関門海峡の潮の流れ早いとこで心穏やかならんかったりして。
やっぱりアンタは先祖の墓に入りなさいというメッセージだと思うことにした。
現実の景色は



門司の旅は次回が最終回となります。
お付き合いありがとうございます😊

先週月曜朝に家に戻り一週間、今ならまだ覚えてる…
あと一踏ん張り。


初湯ひょうたん温泉の湯雨竹

2020-01-05 | 旅・九州


14:12ひょうたん温泉に入館

中庭にはすでに初湯終えた孫たちが


湯上がり休憩中。
駐車場抜けて裏から出ると面白いよと教えてあげる。



温泉施設の裏側が実に興味深い。

小川挟んでビニール温室みたいな施設があった。
中には竿に竹箒を逆さまにずらーっと並んで架けてある。
湯気上がりなんだろうと、撮影したけどわけわからん画像で捨てた。

ところが、コレがなんと




湯雨竹システムだった。
入口傍に足湯用に設置されてて
説明板によると



100%源泉掛け流しの100度のお湯を水で薄めずに一気に温度を下げるシステムだった。
流下式塩田の枝条架をヒントに、
ひょうたん温泉と大分県で共同開発したそうだ。

ホンマいい湯でした。

帰りのフェリーでお風呂入ってくるわと言うと

お母さん あほやなぁ
せっかく温泉浸かってもったいないで
今晩はお風呂やめとき

晩御飯とお風呂はセット物
一連の流れ作業でしかなかった私。
背負うた子に教えられが、どんどん増えていくのだった。








別府鉄輪温泉ぶらぶら散策

2020-01-04 | 旅・九州
べっぷ海鮮市場で昼食後、鉄輪温泉のひょうたん温泉で初湯です。
めっちゃ楽しみ(^_^)☆

13:15から15:35まで2時間20分の自由時間。
そんなに長く温泉浸かってられないので先に鉄輪を散策から。


建物の湯管には湯の花びっしり。
道路側溝などあちこちから湯けむり上がってました。
こうした湯けむりが高速道からも見えます。

2018年六郷満山巡った時に連泊したホテルからも見えました。
晩御飯いらんから、ひょうたん温泉行きたいと添乗員に交渉した。
下調べしてたけれど時間なくて無理だった。

ずーっと行きたいと思ってたらチャンスは巡ってくるものです。

メーン通りのいでゆ坂を上り始める。






日帰り温泉も何箇所か見かけました。
さすがに入湯する時間余裕はない。

大衆演劇場も。



ひょうたん温泉から細い上り坂が続き息が切れる。
時間に限りあるから写真撮りながら歩く。



足湯できるとこ覗いてみた

地獄蒸し料理が食べれる処で
食べてみたかったけど、昼食終えたばかり。

いでゆ坂が終わり、振り返って撮影。
みゆき坂になると地獄めぐりスポット
温泉噴出口の形状や色によって、
それぞれにそれらしい名前が付いてます。

全部入れないので一番人気そうな海地獄へ入場。












もうすぐ14時になるので引き返すことに。
ひょうたん温泉初湯に時間残しておきたいから。

つづく







初詣の宇佐神宮でたっぷり2時間も

2020-01-03 | 旅・九州

逆光で暗いなと思った画像も、
よく見ると光の入り方が美しいので。





元旦10時前に宇佐神宮初詣参拝。
やっぱりお正月は道も渋滞してて到着が9時半過ぎてた。

2018年5月六郷満山で初参拝以来、今回が3度目。
時間たっぷりあったので
やっと行けたとこご紹介します。



駐車場まえの案内図です。
ほとんどの方は大鳥居から入ります。
お正月なので参道両側に屋台がずらーっと並んでました。
さすがに全国4万社余りある八幡宮の総本宮、たいそう賑わってました。

猿まわしの見世物もでてたし、
麻生神楽も初めてみました。




宝物館も息子が入館料出してくれたので初めて入ったし。
孫たちは屋台とか巡ってる間に、
私が向かったのが




駐車場前の地図とは方位は逆です。

最初の画像の西大門前の階段下、
左に下ると菱形池でそこまでに亀山神社が鎮座
今まで見過ごしてました。

宇佐神宮は亀山(小椋山ともいう)山にあり、その山を守る地主神です。





ひと気全くなくて静まりかえっていました。



次に見に行ったのが呉橋。
小椋山、亀山神社繋ぐ線上の西参道が寄藻川に架かる橋です。

昭和初期までこちらが表参道で、
今でも勅使はこちらから。
普段は閉じられています。











土手道傍に公園整備されて


夏目漱石も元旦初詣してたんですね。










鏡田屋敷と居蔵の館@うきは

2019-09-17 | 旅・九州


どちらも無料で見学できる立派なお屋敷です



江戸時代に郡役所の官舎として建てられた身分の違いが部屋の高さに反映します


ガラスが波打ってて風情ありますね。
明治26年に増築された時のガラス戸でしょうか。

鏡田屋敷はうきは市指定文化財です。



居蔵の館は明治末期に建てられ大正初期に改築

ろうそくで財をなした大地主の分家だって。
本家はもっとすごかったのかな





有馬藩の城下町久留米と天領日田を結ぶ豊後街道の宿場町として栄えた。
精蝋、酒造、菜種の製油など農産物の加工品を製造、販売、
きっとそれ以前からも脈々と受け継がれてきたのでしょう。
莫大な富の蓄積があったことは町のたたずまいからも感じられます。


うきは市吉井町は福岡県南東部の筑後川中流域に位置
江戸時代を通じて城下町久留米と天領日田を結ぶ豊後街道の宿駅として機能
江戸時代中期以降には商品作物の栽培・加工及びその集散や、「吉井銀(よしいがね)」と称された有力商人の金融活動などにより繁栄

筑後吉井保存地区は、豊後街道の街路沿いに漆喰塗の重厚な町屋が連続する町並みと災除川と南新川沿いに広がる屋敷群からなっている

保存地区では、これら約250件の伝統的建造物と屋敷庭園及び川沿いの樹木について、保存の処置が取られている

吉井の町並みは江戸末期から明治にかけて大規模な火災に見舞われることになります。そこで商家や地主は競って火災に耐えられるとともに富を誇示するような豪勢な建築物を建てるようになりました。 ・・・
幕末から明治、大正と繁栄をみせた土蔵造りの吉井の町並みも、第2次大戦後の経済・社会変動の中で、その多くが失われていきました。しかし、幸運にもこの建物は、関係者の理解に助けられて破却を免れることができました。 


筑後川の氾濫とかいろんな天災にも見舞われたことでしょう。
紆余曲折を経て、今なおこの街並みが保存され過去の栄華を偲ぶことができる。


地図見てたら不思議なものを見つけました。

古代史のミステリーに、 つづく



2度目の筑後吉井で覚えていたのは

2019-09-13 | 旅・九州
筑後吉井、行ったことあります。
13年前にお雛様巡りでこの町歩きました。
だごじる定食が美味しかった。
泊まった日田のホテルの夕食より記憶に留まっています。


お雛様はブログの写真みて、そうだったという程度。
ほかに白壁の街並みがうっすらと。
やっぱり花より団子ですね。


13年過ぎて新鮮に見学できました。
ボランティアガイドさんが2人おられたので2つのグループに分かれ散策。



堀川だそうです。
筑後川の大石井堰から取水し町なかに5本の堀川を通しています。

※ いつ誰がつくったか聞いたけど忘れたので、後で確認して追記します


大勢いると説明が全部聞こえない。
となると、人は自分の興味惹かれたものに目がいくもの。



カッパ?

※ 調べてわかったら後で追記します



通過しただけの素戔嗚神社。
鳥居入ってすぐ右手に石碑

※ 調べてわかったら後で追記します




堀はあちこちに張り巡らされてあった。
町造りの根幹はやっぱり水ですね。



土曜日だけれど観光客にあわない。
町はひっそり静まりかえっていた。

立派な江戸時代のお屋敷2軒、共に入場無料で見学できた。

つづく


長梅雨明けたら猛暑に豪雨、変な夏は作物にも

2019-09-12 | 旅・九州

10時頃うきはの巨峰園に到着し、まず試食。
今年は天候不順で不作なのに来園ありがとうと感謝された。
まだ色づいてないそうだ。

房に被さった白い紙袋に赤で丸を記したものを採るように指示うける。
大きな房2つがほぼ1000円で、旅費に含まれてる。
はみ出た重量分は各自追加で支払う。
1000円満たなくても返金しない。

その房小さいね、と言われ、
1000円より少しはみ出るつもりで3房収穫した。
なんとはみ出た分960円。
1房あたり653円、高っ!

この金額なら大阪でいいの買えたね。
巨峰潰れないよう大阪まで持ち帰るの大変だった。
豪雨の被災地支援ということで。


ぶどう狩りの後、道の駅で時間調整。
ここで夕食用に買ったお弁当がめっちゃ美味しかった。



天気に恵まれず、ちょうどこの土日のひまわりフェア中止だって。

ひまわり全く開花せず、
ってこの夏サイテー!
令和とは名ばかりでどくなことないね。



11:40撮影。

原鶴温泉ホテルバーレンス小野屋。
なかなかしつらえの立派ないいホテルでした。
お料理もどれも美味しく完食。

朝は5時に起きても着岸6時で忙しかった。
結局お菓子や太宰府天満宮の梅ヶ枝餅しか食べてない。
やっとちゃんとしたお食事でした。

ちゃっちゃと食事済ませて
立派な庭を通り露天風呂へ


まったりと、いい美人の湯でした。


原鶴温泉って全く知らなかった。
朝倉市の筑後川に面した温泉街で
2017年7月の豪雨で大きな被害受けた地でした。


朝早くから観光して、ホテルに入り食事して温泉浸かったら、1日が過ぎたような錯覚に陥る。

旅の2日目のような午後の行程が始まる。

つづく


令和で有名になった坂本八幡宮

2019-09-11 | 旅・九州
村の鎮守さまみたい。
のどかなこじんまりした神社でした。

鳥居くぐってすぐ左手に歌碑がありました。
大伴旅人の歌が彫られてあります。

わが岡に さ男鹿来鳴く
初萩の 花嬬(はなつま)問ひに 来鳴くさ男鹿


案内板には
この辺りは、大宰帥(だざいそち)大伴旅人(おおとものたびと)の邸跡と伝えられている。旅人邸は、「万葉集の華」ともいうべき梅花の宴が開かれた場所としてよく知られているが、赴任後間もなく妻を亡くした旅人の暮らしは心淋しいものであった


撮影時間8:40
プレハブの社務所前で行列が。
ご朱印書いてもらえるのが9時からだそうです。

Wikipediaによりますと
「令和」発表直後に中央メディアなどが今も有力説のように報じたため、新元号ゆかりの地として一躍脚光を浴びるようになった。以前の参拝者は1日あたり20人ほどだったが、「令和」発表直後には3000人に急増したという。

坂本八幡宮でご朱印授与見合わせ=氏子ら疲労で体調崩す
-福岡・太宰府
時事通信      2019年05月07日17時38分
 新元号「令和」ゆかりの地として注目を集める福岡県太宰府市の坂本八幡宮の氏子会は7日から、ご朱印の授与を見合わせることにした。参拝客が殺到し、ボランティアとして対応してきた氏子たちが疲労困憊(こんぱい)したためという。
神社は新元号の出典となった万葉集にある「梅花の歌」の序文で舞台となった歌人大伴旅人邸の所在地として一躍脚光を浴びていた。氏子会の木原一臣会長(79)によると、改元後は氏子会が用意したご朱印を求めて参拝客が殺到し、連休中は1日で5000人が訪れたという。
神社には常駐の神職がおらず、70代の氏子ら20~30人が中心となって行列の整理などの対応を続けてきた。しかし、多忙のために疲労で体調を崩す氏子が相次いだ。       

まさかの令和ブームで、境内にあった歌碑も違う歌やし。

坂本八幡宮は大宰府政庁跡の整備された公園左側を5分ほど行ったとこにあります。
北西の裏鬼門の位置ですね。




実際の邸宅跡は別の場所?
戦後間もない頃、竹岡勝也(九州大学教授)が、坂本八幡宮の周辺の台地にかつて大伴旅人邸があったと考えられなくもない、と言及した。これが発端となり、坂本八幡宮が大伴旅人の邸宅跡であると通説のように語られるようになった。
昭和61年(1986年)、この説を検証するため、九州歴史資料館(九歴)による坂本八幡宮付近の発掘調査が行われた 。祭祀用とみられる土製馬形「土馬」などが出土したものの、8世紀前半の建物遺構は検出されなかった。
このため当時の九歴は、坂本八幡宮付近は違うと判断している。坂本八幡宮の真下は発掘調査が行われていないため、坂本八幡宮にあった可能性が完全に消えたわけではないが、坂本八幡宮付近が邸宅跡であるとする説は長年の通説的地位を喪失した。 

        

 大阪からの船旅は早朝に九州に着きます。
そんな早くから開いてるところといえば、神社

そういうわけで、今回も太宰府天満宮と坂本八幡宮を参拝。
神社好きな人には、船旅おすすめです^^

午前9時過ぎてご朱印もらう人たちを待った。
9時15分ごろ次の観光地向けて出発したのだった。

つづく





3回目の太宰府天満宮参拝

2019-09-11 | 旅・九州
9/7(土)朝6時に新門司港に着岸。
船の旅は着いたらすぐに待機してるバスに乗り出発できるのが魅力です。
7:15ごろには太宰府天満宮の駐車場に到着。
今回は太宰府駅が目に留まりました。

5年前も同じ参道歩いていても、もっとたくさん人いたからわからなかったのでしょう。
あの時は新幹線で早朝に新大阪を出て、小倉に着いてからの移動だったからすでに11時近くなってたのかもしれない。


スタバは以前と同じファサードだったからよく覚えています。
まだ開いてない。



本殿裏にも回って、5年前と同じローケーションで記念撮影

2014-06-13

大宰府三回来ても、やはり団体ツアー、
今回も九州国立博物館見学は組み込まれてなかった。
いつか自分で行かないとね。

参拝終えたら、帰りは駅舎を観察

前にあるコンビニ入ったら、キャッシュディスペンサー もいつもと違う。
さすがに外国人観光多いから両替機なんですね。

一軒だけ開いてた大宰府の梅が枝餅店は70個だけ今焼き立てがあるという。
日持ちしなくて今日9/7中に食べてといわれたし、
買いたい人皆で分かち合って、お土産に3個だけ包んでもらった。

そして一つは自分用にとバス車中で食べた。
焼きたての梅が枝餅美味しかった。
この撮影時間8:14
次に向かったのは・・・つづく


ふねこで行ってきた大分の旅

2019-07-03 | 旅・九州
7/3正午現在、九州で降り続く大雨は、鹿児島市全域に避難指示、霧島も。
大きな被害出ませんように。
ほんの10日前、九州でいいお天気に恵まれてたのがうそのようです。

旅の最終回です。

夕方5:30頃 門司に着き最後の散策に1時間半。




門司港駅がグランドオープンしてて、貴賓室とか見学できた。

朝6時からすでに12時間もあちこち観光してグッタリ。
疲れた顔はアップに耐えれないので小さく貼っときます。

 


またまた最後にマンホール蓋

帰りのフェリーは新門司港を20時に出航、
翌朝8:30神戸六甲アイランド港に着いた。



これにて大分への往復船旅終了。
ヴィーナストラベルという会社のツアーだった。



さすがに阪九フェリーグループだけあって、
19,800円で往復共に一等船室で快適だった。
また利用させてもらいたいと思う、お得ないい旅でした。