秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

閉業のお知らせ

質店は2021年8月に閉店いたしました。 昭和21年9月創業で75年間にわたりご愛顧賜りありがとうございました。

土日で2,5kg体重が減った訳

2011-01-30 | 日々是好日
全国的に大寒波のようで、猫の缶詰を買いに出たら震え上がりました。
途中で何度も休憩して、おばあさんになったらこないなるねんなと思いながら。

体調悪くコメント返し遅れて申し訳ないです。
とりあえず事情を説明しておきます。

この2日間で体重が激減、2日間で2.5kgはスゴイでしょう。
実は食べてないからです。
そして出すものは全部出しましたから。

金曜夜中、喘息の発作がでました。
今までの人生の中で究極のひどいものでした。
昼間から調子は悪かったけれど、まぁ何とかしのげてました。
気管支吸入剤で息苦しさを押さえてビール飲んだのが悪かったと思います。

深夜1時半ごろから呼吸困難がはじまり、2時半から4時半までは最悪でした。
全く身動きできないほどだった。
15年ほど前に一度救急車のお世話になったことがあります。
そのときよりもひどかった。

ひょっとすると死ぬな。
いやいやまだ死ぬわけには行かない。
千日修行とかされてるお坊さんもきっと苦しいに違いない。
それに比べればましだと思うことにして。
細い息を首の上げ下げで補強してゆっくり呼吸を続けてました。
時々パニックなりそうになる。

この間、ギズモがテレビの横に座りずっと私のことを見つめていた。
まるでがんばれと励ましてくれているようだった。
きっとパワーを送ってくれていただのだと思います。

12時ごろ3時間以上をあけて服用するように書かれてある気管支拡張の吸入剤を入れた。
ところがよくなるどころか、アルコールとの作用で悪い方にでたのであって、4時間が勝負だと思ってました。
やがて4時半過ぎてだいぶ状態がましになった。

それでもまだ横になることはできないので布団に座っていた。
朝になり近くのクリニックが開くのを待ちかねて出向きました。
まだ開業時間より10分も早いのに吸入の処置から始めてくださった。

今回はダメージが大きくて、風邪のウイルスもいるのか熱は38.9℃
土曜日一日ごろごろしてました。
今晩まだ発作が出たら必ず救急車呼ぶように言われました。
おかげさまでこの晩はサッカーのアジアカップ決勝を見て、2時半から6時半までよく眠れました。
これで急激に体力回復。

朝からお風呂入って、洗濯をして、猫の缶詰買いに出たのでした。
年をとったら買い物も自由にいけなくなるんだな。
熱を測ったらまだ38度超えてたわ。
そして、いつ何時でも病院へ運ばれた時の身の回り品はボストンバッグに詰めとかんなあかんなと思ったものでした。

王室御用達ブランド★ノイハウス&ジュール・デストローパー

2011-01-27 | 旅・オランダとベルギー
ノイハウスのオレンジピール・チョコレートがけ
ほろ苦いチョコレートと洋酒に漬け込んだようなオレンジピールとの組み合わせが絶妙でした。

ベルギーといえばチョコレート。
ゴディバは食べたことがあるので、ノイハウスを買ってこようと思ってました。
アントワープで1時間の自由時間があった時にお店を教えてもらいました。


何個か買っただけでも、あっという間に金額は膨らむ。
いくら現地で安いといえども王室御用達です。
ベルギーの人もお使い物やプレゼントとしてしか買わないとか。

日本でのneuhausノイハウスのサイトで確認したら、→こちら
お値段は2倍以上。
もっと買えばよかった。

1857年ベルギー・ブリュッセルで誕生した「ノイハウス」
当時チョコレートの原料であるカカオは、薬と同様、薬剤師にその扱いが任されており、一般の菓子店とは区別され薬剤師のいる店に置かれていました。
スイス人の薬剤師であったジャン・ノイハウスは、チョコレートを販売するだけでなく、意欲的に新しいレシピを研究し、チョコレートの美味しさを極めることに没頭。
その情熱は父から息子のフレデリック・ノイハウスへと受け継がれ、
1895年にチョコレートの専門店“Confiserie et Chocolaterie Neuhaus-Perrin”を創業するに至りました。


その後ベルギーワッフルも食べてみた。


アムステルダムでの最後の夜、スーパーを教えてもらった。
ロータスのクッキーでも買おうかと出向いたら、
JULES DESTROOPER と印刷されたクッキーの箱を発見。


なんとなく箱のデザインが洒落ててセンスいいように思えた。
どんな味か食べたことがなかったので味見として2箱購入。
1箱2ユーロもしなかったと思います。

それがめっちゃ美味しい!!
もっと買えばよかった。
Jules Destrooper でネット検索したら、日本では1箱398~500円程度で販売されているようです。

ベルギーで一番美味しいビスケットといわれている王室御用達ブランドでした。
昔ながらの製法を変えずに、着色料保存料は使わず良質なバター他天然の上質な素材を使ってるそうだ。

Jules Destrooperジュール・デストルーパーこちら

貿易商であったジュール・デストローパーは休日にクッキーを焼くのを楽しみとしていました。
最高級の生地に貿易の商品であるアフリカやアジア産のスパイスを混ぜ、特別のレシピを編み出します。
アーモンド・シンの誕生です。
このクッキーを年末のプレゼントとして顧客に贈ったところ、たちまち大評判
1886年、ジュール・デストローパー・クッキー店がベルギーの町ローに開店します。
その4年後、デストローパー氏は第2のクッキーであるバター・クリスプを創作します。
1911年、アーモンド・シンはパリの国際食品見本市で栄誉ある金メダルを受賞。
1999年には王室御用達業者に認定され、ジュール・デストローパーはベルギーを代表するプレミアムクッキーの老舗としての地位を築いています。


たまたま何種類かのクッキーがあるなかから
賞を得たアーモンド・シンをセレクトできて、
私の直感もまんざらでもないやん、と、ちょっと自慢しておきます。

クレラー・ミュラー美術館

2011-01-26 | 旅・オランダとベルギー
今晩のNHKのクローズアップ現代は日本の建築家ユニットSANAAだった。
妹島和世さんのS AND 西沢立衛さんのNから名づけられたそうだ。

去年2010年プリツカー賞を受賞されたニュースで初めて知った存在でした。

数年前娘夫婦が、金沢21世紀美術館へ行ってよかったと話していた。
その時は知らなかったけれど、
この金沢21世紀美術館で、2005年毎日芸術賞、2006年日本建築学会賞作品賞を受賞されている。
やっぱり若者の感性にはヒットするんですね。
いつか行って見たいです。

現在、世界のあちこちで依頼をうけ進行中の建物はたくさんあるが、
ルーヴル美術館ランス別館が2012年開館予定だとTVで写っていた。

美術館が今までの既成概念と違った建物や雰囲気の中にある、
ということで、今回の旅で見たオランダの「クレラー・ミュラー美術館」について書きます。



アムステルダムから東へ80kmのところに、オランダ最大の自然保護区「国立公園デ・ホーヘ・フェルウェ」があります。

ゲート入場してからバスで10分ぐらい?
うっそうとした森の中に「クレラー・ミュラー美術館」があります。

国立公園のみなら入場料7.5ユーロ、
公園とクレラーミュラー美術館両方なら15ユーロです。
275点以上のゴッホ・コレクションを所蔵しているにちなんで、ゴッホの森と呼ばれたりするそうだ。


アムステルダムのゴッホ美術館と双璧をなす2大ゴッホ美術館ですが、
アムステルダムから距離があるので、普通のツアーではなかなか組み込まれてないそうだ。
今回のツアーで、ベルギーが4回目だという方から聞きました。

大きなすりガラスから柔らかな天然光を取り入れ、壁が白で静穏な空気が漂います。


珠玉の作品をじっくりと鑑賞できて、撮影も自由です。
    

 

野外に広がる25ヘクタールの彫刻庭園では、ロダン、ヘンリー・ムーアらの作品を鑑賞しながら散策を楽しめます。


ちょうどこの時、遠足なのか、10代前半の男女学生が彫刻庭園を見学に来ていた。
小雨程度では、誰一人傘をさすものはなかった。


この美術館内カフェテリアで食したランチは、
サンドイッチとビールで7.4ユーロ、美味しかったです。

一陽来復

2011-01-26 | 日々是好日
一陽来復 いちようらいふく、と読む四字熟語。
意味は、冬が終わり春が来ること
→逆境・不運など良くないことが続いた後、ようやく幸運が向いてくること

早稲田の穴八幡神社で大人気のお札『一陽来復』
先週末に東京へ出かけたアズキさんが賜って来てくれました。

もともとアーティストで素晴らしい感性をお持ちですが、
今回世界キルト展に3点出品したら、2点が入賞されたのでした。
アズキさんのブログ

最初の画像はアズキさんが今年2011年用に作ってくれた壁飾り。
去年1年チャレンジされてたキルトの手法が使われています。

アズキさんによれば、怖いぐらいに効く御札らしいです。
方角間違えたらあかんから方位磁石で確かめて、
節分の2/3の午前0時に貼りやと言われました。



これを見た店の専務さん、欲しがる、欲しがる。。。
まさか東京の早稲田まで行かんでも、
きっと関西にも似たような神社あるんちがうの。

ちょっと待てよ、『一陽来復』
どこかで見たことがあるよ。
そうそうレジの5千円札を入れてる仕切りの下にあったことを思い出しました。

ずいぶん以前京都の車折神社で専務さんが賜ったものです。
あれからはや10年近くの月日が流れてます。
その間、ずっと『一陽来復』の御札はレジの中に入ってあったのでした。

これをお返しに行って新たに賜ってきたらということで、
めでたし・めでたし、チャンチャン。

2500円+10ユーロの返金

2011-01-24 | 旅・オランダとベルギー
今回のオランダ・ベルギーへの旅は、往路KLM直行便に乗れず最初のホテル着が6時間以上遅れました。
それで夜食用サンドイッチ配布がキャンセルになったからと1000円づつ返金を受けました。

先週末旅行社から速達が届きました。
事情によりユトレヒト観光ができなかったので2500円返金しますという案内だった。


旅の日程順に沿って書く予定だったけど、
なかなか先に進まなくて友人から何があったのと電話で聞かれる始末。
それほどたいしたことではないのに、
あまりに引っ張るのもどうかと思われるので先に書きます。

ブリュッセルで2泊してオランダに入り、残り2泊はアムステルダム。
スキポール空港近くのラディソンBLUエアポートホテルで連泊することになってました。

4日目は朝8時ごろ出発でオッテルローへ行く予定でした。
通称ゴッホの森と呼ばれるデホーヘフェルウェ国立公園内にある美術館見学。

朝6時半モーニングコールがあり、続いてすぐに添乗員さんから電話がありました。
部屋に二人ともいるかどうかの確認でしたけど、
何で?

7時からの朝食を済ませて、ホテルロビーで日本への絵葉書投函をホテルマンに依頼。
何かしつこく部屋番号とか聞かれた。
カウンター横に警察官が立っていた。
すでに10日は経過しているのに、いまだ絵葉書届かず。

8:10出発のつもりで地下の駐車場前ロビーに降りていくと、
1Fのロビーに集合場所を変えますと言われました。
警察官が顔を見たいと言っているので1列に並ぶよう指示されました。


バスを停めた駐車場でアジア人女性の死体が見つかったんだそうだ。

この夜ホテルに宿泊したアジア女性はうちらのグループだけ。
それで朝早くから居場所確認とかされてたらしい。
グループ内の女性は皆健在でした。
誰も死んでません。
他殺か事故死かこの時点では不明だったし、その後も教えてもらっていない。

バスの停まった駐車場は調査のため立ち入り禁止。


ということはバスが出せない→観光に出発できない
バス会社が新たに回送してくれているバスが到着するまで待たなければならない。



結局午前10時ごろの出発となり2時間近くウロウロ、ゴロゴロしていた。
そのため美術館到着が昼前となり、美術館内カフェテリアで各自昼食となり10ユーロづつが支給されることになった。

本来ならば美術館のあとユトレヒトへ廻りこの町のレストランで昼食予定だったのだ。
ミッフィーちゃんの作者ディック・ブルーナーのふるさとです。

ゴッホの森から直にアムステルダムの国立博物館へ戻りました。
閉館時間の縛りがあるし現地ガイドさんとの約束の時間もある。
で、運転手さんの飛ばすこと、飛ばすこと。
何度急ブレーキに肝を冷やしたことでしょう。

KLMが飛ばなかった往路便、そして今朝の死体事件、
2度あることは3度ある。
皆、いや~な気持ちを振り払いながら無事到着することを祈りました。

大柄でやさしそうなドライバーさんで2日目一緒に写ってくれたのが最初の画像です。
きっと早朝から取調べとかでずいぶんお疲れだったのでしょう。

そしてこの変な事件が最終日でなくてよかった。
これでトラぶったら帰りの飛行機乗れなかったりするもん。
ちょうど中日のさほど厳しいスケジュールの日でなくてよかった。
神のご加護ありました。

★追記1/25 今朝絵葉書届きました

1/13に書いて翌朝ホテルフロントに投函依頼
1/16のスタンプが押されてあるので、じっくり調べられてたのかな?

「皆、生きる」と書いて皆生(かいけ)

2011-01-23 | 旅・中国&四国地方
皆生温泉の歴史は古くない。
明治23年、地元の一漁師が海中に温泉が湧いているのを発見し、それを泡の湯と名付けたのに始まる。

美保湾越しに大山がよく見えて「日本の朝日100選」に選定されてます。、
他に「日本の夕日100選」「日本の渚100選」「日本の白砂青松100選」「都市景観100選」にも。


白砂の美しい弓ヶ浜沿いにあり、夏季には海水浴場となる。
昭和56年)には日本で最初のトライアスロン競技が開催され、その発祥の地として毎年大会を開催しています。





この弓ヶ浜の松林がせんだっての大雪に耐えられず、あちこちで折れていた。
目覆うばかりのあまりの被害の大きさだった。

海沿いの温泉は、塩分のせいでか湯上りの肌がギシギシすることが多い。
でもこの皆生温泉の湯は美人の湯といわれてるそうで、肌にやさしかった。

宿泊した芙蓉別館から歩いてすぐのところに皆生温泉神社があった。





戦国時代末期(天正年間1573~1592)に命名された海池(かいけ)村の名が
江戸時代末期1867年皆生村と改名統一された。

皆生には黄泉帰りの伝説も残っています。

その昔、出雲の稲佐の浜から泡となって流れた魂たちが海岸に流れ着き
新しい身体と心と蘇生(よみがえる=黄泉の国から帰る)されて
皆、生まれ変わった。

このことから「皆生」と呼ぶようになったという言い伝えも残っています。

皆生温泉神社のご祭神の一神である大国主命は、医療、薬、そして縁結びの神様でもあります。
皆生温泉は長寿にあやかれる有り難い温泉なのです。

ゲゲゲのうわん

2011-01-23 | 旅・中国&四国地方
この年末年始、良くも悪くも話題となった鳥取は境港、
ゲゲゲの水木ロードへ行ってきました。

氏神様大枝神社地車隊のカニ食べツアーです。
米子近くの皆生温泉で一泊し、初日は大山寺参詣、2日目は水木ロードと美作の宮本武蔵記念館見学がコースとなっていました。

昨年度は参加できなかったので、秋祭りが終わった後の募集で今年はゼッタイ行くといってありました。

しかし

大晦日の大雪で国道9号線は通行できなくなったり、
境港では係留中の450隻もの漁船が大雪で転覆沈没したり、
境海上保安部が韓国のカニ漁船を拿捕したり。

また雪で支障がでたりしないか出発まで心配しました。
やはり蒜山あたりから積もった雪はすごかった。


18名参加でシニアのおっちゃん達が16名。
大阪ではめったに雪が降らないので、雪を見ただけでも皆テンションあがります。

さすがに大山寺は雪が深いらしくお参りできませんでした。
それで初日に境港へ行くことになりました。
鬼太郎などいろんなモニュメントを写真におさめたり、
童心に返りはしゃぐ、はしゃぐ。











境港は、この水木しげるロードでずいぶんよみがえったであろうと思います。








港に係留されてた海上保安庁の船がりりしかった。



ベルギーといえばビール

2011-01-21 | 旅・オランダとベルギー
ベルギーはビールがいろいろ種類あって美味しいよ~
しっかり飲んでおいでと言われて旅立ちました。
残念ながら今回はアートな旅でビール工場見学とかはありません。
昼と夜の食事時にビールを注文しましたが、いつも美味しかった。
ベルギー人の1人当たりのビール消費量は日本人の約3倍だと書かれてあった。


左後ろにラベルが写っている小瓶は、Chimay青瓶(アルコール度9%)
修道院で醸造されるトラピストビールで、
1862年地域の失業者を雇用する目的で作られ始めたそうだ。

中世の修道院で薬としてつくり始められたビール、銘柄は800種をこえるとか。
夜ホテルの部屋で飲むために、スーパーでもどれを買えばいいのか悩みました。
1回だけまずくて飲めなかったものがありましたが、他はどれもいけてました。


右手の建物、ビール工場と聞きました。


ブルージュとは「橋」という意味で、ローマ時代にかかっていた橋に由来します。
ブルージュの運河にかかる一番小さいボニファース橋

ここを渡り、グリュートフューゼ邸へ。
ビールを作るのに使うホップ、それ以前のハーブで大儲けをしたそうです。


玄関扉の上に彫られた文字は、
『自分で思っている以上の能力がある』
なんかカーネギーみたいですね。

このおとぎの国のような中世の街並みが、ここまで保存されたのには理由があります。

15C後半、ハンザ同盟の衰退と共に経済の発展に終止符を打つことになる。
16世紀になると北海とを結ぶ運河も沈泥で浅くなり船が航行できなくなりました。
ブルージュは歴史の表舞台から取り残され、空き家が増え廃墟のように。

目まぐるしく領有権の交代が続き、フランス、オーストリア、スペイン、フランス、オランダと支配者が変わり、「ヨーロッパの古戦場」とさえ呼ばれました。
その後奇跡的に2つの大戦で戦火を免れ、中世を封印したままの姿をとどめることができたのです。

第1次大戦後、イギリスなどからの戦地めぐりツアーがさかんになりました。
ワーテルローやそのほかの戦地をめぐった後、ブルージュに立寄る観光客が増え、この街が再発見されたそうです。

人生も街の歴史も、いつどんな風に転じるかわかりませんね。

自転車と傘

2011-01-20 | 旅・オランダとベルギー
オランダもベルギーも自転車王国です。
自転車道が町中でも観光地でも整備されているのには驚きました。
うっかり自転車道を歩いていて後ろから激突されたとしたら、その自転車道を歩く人が悪いそうだ。

ブリュージュの中心にあるマルクト広場
町のシンボルとなる鐘楼は13世紀に建設されました。
いつも高い塔に登るのが旅の定番ですが今回は時間がなかった。

広場中央にいる馬車は観光用なのでしょうか?
傘を掛けてもらっています。
もちろん日本からの観光客である私達は折りたたみの傘を広げてます。

しかし現地の人達はよっぽどでない限り傘はささないらしい。
最初の画像の馬の前にいる親子もフードを被っているだけです。



ほとんどの若者はフードでしのいでいるようです。
なぜかというと傘を使っても風が強いのですぐ骨が折れてつぶれるから。
実際ツレの傘は折れてしまって、翌朝ブリュッセルで新たに購入したのに、それもまた次の日には骨が折れました。
他のツアー客も何人か傘が壊れました。

雨の観光はとても疲れます。
石畳で足を滑らせないようにするためけっこう足首や膝にもきます。
エネルギー消耗は晴れた日の1.5倍かなと
連れに言うと、1.8倍やとキッパリ言ってました。


郵便か宅配便のようなものを配達しているお兄さん。
白い自転車とヘルメットがカッコイイね。

ちなみにポストは↓


雨宿りして煙草休憩している働くおじさん


かつて貿易中継地として栄えたブリュージュも、アントワープに中心が移ると男性は仕事がなくなった。
仕事しているのは女性、今なお工芸品としてのレース編み、そしてゴブラン織りだったそうだ。


ベルギーは1830年にオランダから
カトリックの国として そしてフランス語の国として独立しました。

ということはプロテスタントのオランダとは国風が異なるということです。

フランダースの犬で知られるフランダース地方とは
ベルギー王国の北半分=オランダ語地域のこと。
南半分=フランス語地域は、ワロンと呼ばれます。

首都ブリュッセルはほぼ境目にありフランス語圏です。
そのため北のオランダ語圏の人が首都に行ってレストランに入っても言葉が通じないそうだ。

ぺギン修道会と尼僧物語

2011-01-19 | 旅・オランダとベルギー
2日目朝から冷たい雨が降ってました。
午前8時ごろブリュッセルのホテルを出発し水の都ブリュージュへ。

ブリュージュは屋根のない美術館・博物館といわれるほど、中世の街並みを保存した美しい街です。
12~13世紀ごろ、北海へと続く運河を利用して貿易で繁栄した時に造られ始め、北のヴェネツィアとも呼ばれているそうです。



愛の湖公園入口で現地ガイドさんが待ってくださってました。
ファンキーというか自遊人というかミステリアスなガイドさんでした。
説明はとても的確で多岐に渡り興味深いものがありました。

藁谷(わらがい)さんのプロミュージシャンとしてのサイトは→ こちら
カラヤン時代のベルリンフィルで演奏された経歴もおもちです。
  



白鳥がいる運河横の歩道を左に入るとぺギン修道会がありました。
十字軍の時代、1245年この地に残された女性達が力を合わせて共同生活を営み、女性の自立を支援するため生まれた修道院だそうです。
現在は1900年代に確立したベネディクト会派の修道女が暮らしています。

観光パンフなどでは、咲き乱れた水仙と一緒に撮影されると
藁谷さんから聞いたので検索したら画像見つかりました。
 

SILENCEと書かれた看板なくても
静かなたたずまいのとても素敵なところでした。

ベルギー生まれのオードリー・ヘップバーン
「尼僧物語」という映画が撮影された場所でもあります。
  

預けた荷物に再会できて

2011-01-18 | 旅・オランダとベルギー
今回のツアーはオランダ・ベルギーを6日間で廻る日程でした。
アムステルダムまでKLM直行便利用、
ホテルはスーペリアクラスで2連泊を2箇所、
美術鑑賞4箇所と世界遺産のてんこもり芸術紀行です。

32名の参加者のうち9名は九州から、2名は中国地方、残りは近畿圏。
ご夫婦らしきペアが7組いて、他に男性3名で計10名の男性。
残り22名が女性です。
最終的にどなたもキャンセルされず全員がツアー出発となりました。

KLMなら午前11時発でアムステルダムまで12時間15分の予定。
しかし変更になったアリタリアは14時発でローマまで13時間。
そして次のアムステルダムまで約1時間の乗り換え時間しかありませんでした。

ローマもハブ空港ですから多くの発着ゲートがあり、
預けた荷物がどこかへ紛れ込むこともあるので最低限の着替えとか化粧品を手荷物にするよう指示されました。

ローマに夜7時ごろ到着、KLM職員らしい男性が乗り換え案内に付いてくれました。
ほぼ小走りでKL1608便アムステルダム行20:10発に座れて一安心でした。


赤ワインとオシャレなパッケージのサンドイッチにひとごこちつきました。

余裕が出てくると、装備された汚物処理袋が気になる。


最初左側のSeoulと大きくプリントされた袋を見たとき驚いた。
やっぱ今は韓国かと。
しかし隣の席の前ポケットに装備された袋(右側)はTokyoだった。
同じ面にプリントされてる街の格が違うやんな。

22:40アムステルダム着。
スキポール空港の中を延々と歩いた。
時々歩く歩道があるがスピードめちゃ早っ!
さすがハブ空港、ローマよりもっとスッキリしていた。
国民性を感じる。


にもかかわらず、途中でスーツケースがいっぱい置かれた通路を通る。
なんでこんなに無防備に置いてあるんだろう。
次の乗り換え便を待ってるんだろうか?
これなら荷物紛失するのもありえるわ。


預けた荷物ターンテーブル15番で、スーツケースが出てくるまで心配だった。
それにしても、中年女性もヨーロッパ系はオシャレやね。

全員荷物に再会できて安心し、現地ガイドさんの出迎えを受けた。
こんな深夜にご苦労様です。

バスに乗り込んで、ホテルはベルギーのブリュッセルまで200km。


鍵がまた変で、説明受けてもちゃんとドアがあくまで戸惑った。
ベッドに入れたのはすでに明け方近く。
8時間の時差があり日本時間でいえばすでに翌日の昼まえでした。

あのチュニジアが政権崩壊し旅行客足止め

2011-01-17 | 旅・チュニジア
11日、ローマ行きのアリタリア機に変更となったとき、お隣席の女性はたまたま同じ京阪沿線お住まいだった。
チュニジア観光に向かわれるとのこと。
ローマで乗り換えてチュニスまでならすぐですね
私は去年2010年2月に行きましたよ~ なんて話が弾んだ。

チュニジアの政変を今朝になって知りました。

オランダやベルギーでもBBC放送見たけど、天気予報を中心だったし、何より英語だから完全に聞き流してたんだろう。

2011年1月17日10時24分の毎日新聞によると、日本人観光客足止め180人以上。
相次ぐ航空便のキャンセルや情報の乏しさに旅行者らは「いつ帰れるだろう」と不安を募らせている、と書かれてあった。

きっとあのお隣さんも、11日夜チュニスのホテルに泊まられたはず。
翌日からまさかこんな事態になるとは予想もされなかったことでしょう。
今どうされていることやらと案じています。
1日も早く無事帰国できますよう、心より祈ります。

それまでのチュニジアは、強権的なベン・アリ政権が23年にわたり支配し政情は安定していた。
今から思えば、去年観光した時、辟易したのは大統領の顔写真。
かつての共産国圏のようにあまりにあちこちで大統領の垂れ幕や看板などを目にした。
 

 

 

若年層の失業率30%や政治的自由の抑圧などで国民の不満が鬱積していたんだそうだ。

チュニジアの混乱は昨年12月中旬、
生活のための野菜販売を摘発された若者が焼身自殺を図ったことをきっかけに地方都市で警察署などの焼き打ちが発生。
暴動は1月に入って激化し、首都チュニスでも数千人規模の抗議デモが発生。
12日若者を中心に数百人が投石するなどし、治安部隊は催涙ガスを発射して応戦した。
政府発表では、デモ鎮圧などで市民ら23人が死亡した。

13日ベンアリ大統領は2014年の大統領選不出馬や民主化を約束。
14日内務省周辺に市民約5000人が集まり大統領退陣を求めた。
非常事態宣言と夜間外出禁止令を出す事態に追い込まれていた。

大統領退陣の背景には、デモ隊への発砲など強硬な取り締まりを求めた大統領に反発した国軍幹部の介入があったとの情報がある。

14日夕にベンアリ大統領は家族と飛行機で出国
旧宗主国フランスへの入国を希望したとされるが、ロイター通信によると、仏政府当局は「(入国を)望まない」と拒否。
同氏は15日未明、サウジアラビア南西部のジッダに到着した。


最後に気になった一文は、
「主に日本人が参加する旅行をアレンジする地元ツアー会社の責任者アブデル・ラフマン氏は
『もはや、われわれだけの手には負えない。日本大使館の助けが欲しいのに得られない。
日本人を守るという気概を示してほしい』
と日本大使館の対応への不満をぶちまけた。

 
カルタゴの遺跡奥に写る白い塀は大統領府です
こちらにカメラを向けると射殺されるか逮捕されると聞きました。
ライフルを持って警備している兵も見かけました。
遺跡を撮るようにして遠景で撮影したものです。

トラブル★トラベル

2011-01-16 | 旅・オランダとベルギー
トラベルにトラブルはつきもので、カタカナで書くとよく似ている。
語源が同じだと、かつて聞いたことがあったように思ったので、
念のため調べてみると語源は別物だった。

1月11日午前11時関空よりアムステルダムへ直行便で旅立つはずだった。
9時集合で添乗員さんから最初に聞いた言葉は、
「今日搭乗する予定のKLM機がオランダを飛び立たなかったため、乗る飛行機を探しています」

エエェ~
そんなアホな

「代替機は成田からの便になることもあるし、深夜便もありえます。
もし見つかったとしても直行便利用で案内したツアーなので、キャンセルされても旅行代金は全額返金します」

とりあえず便が決まるまで昼食をどうぞ
ということで1200円のミールクーポンが渡されたのでした。
 
関空ターミナルビルのレストラン街で、お好み焼きにビールで連れと相談。

もし深夜便の中近東経由となると、ドバイやカタールからアムステルダムまでまた6時間以上乗らないといけないだろう。
なんのために直行便を選んだのかわからなくなる。

やめとこか、ということになり、娘にドタキャンやと電話したら

なんと携帯待ち受け画面の時間表示が
2011年1月11日11:11
1が9個も並んでました。

キャンセル申し出ようと最初のカウンターに戻ると、
「夕方までの便が見つかりました。
あと1時間も待たないうちに確定します」とのこと。

結局3時間遅れ14時発のアリタリア機でローマへ向かい、
アムステルダムへは1時間の乗り継ぎでKLMというタイトなスケジュールに変更となった。
しかしこれなら遅れてもスケジュール通りとなるので行くことにした。

これが最初のトラブルだった。
その後も死体との遭遇という不思議な体験など。
いつもの旅行記と違って今回は日程順に記録に残しておこうと思います。

画像はアントワープのノートルダム大聖堂
『フランダースの犬』のネロとパトラッシュが最後を迎えた教会です。
雨の中夕方6時ごろ撮影したら、2枚共に変な光が写りこんでいたのでした。

travel troubleの語源
<travel>の語源は、後期ラテン語の<tripalium>(三本の尖った杭=拷問の道具)が起源。
古フランス語を経て中英語の<travail>になった。
当初は(苦難、辛苦、疲労)の意味だった。

一方、<trouble> は、乱気流turbulence(タービュランス)も同じ語源。
ラテン語の<turbidus>(混乱)の動詞<turbidare>が古フランス語の<troubler> (混乱させる)になり、
その名詞形<truble>が中英語に入ったもの。
主たる字義は「心配、迷惑、困難、紛争、病気、故障」などで、正常な状態が乱れること。

住吉みくじ「波のしらゆふ」

2011-01-10 | 日々是好日
「戎大黒、両社詣でて本参り」したあと、国道26号線を南下して
向かった先は住吉大社。
今年は御鎮座1800年祭です。

太鼓橋を渡って、四角柱鳥居をくぐり境内に入ると、四本宮。


その前でとてつもなく大きな御神籤をひく行列ができてました。

お参り済ませた後、数十分並んでる途中で矢を賜ってきました。


大きな御籤の木箱は5kgあるでしょうか。
持ち上げるだけで大変だし、うまい具合に御籤の籤棒がでてこなかったりします。

やっと10番と書かれた棒が出ました。
自分で棚からその番号の札をとるセルフ方式です。

中吉ならまずまずかと撮影。


この時点ではまだ気づいていなかった。

同行の友人がよくない卦が出たので、神社境内の木などに結んで帰る場所を探してました。
その時、最初間違えて番号違いの紙を取ったという話を聞いて、
もう一人も間違えたけど、当たってたからいいねんと言いました。
そして自分のを見ると、なんと6番の札に一喜一憂してたのでした。

10番の籤卦がでたと納得して取った札で、
とても内容的に気に入った卦だったので喜んで持ち帰りました。

第6番 中吉
「頼みつるこのひとむらの人ごとに 千年をゆづれ住吉の松」
このこのみくじにあう人、神のご加護があります

対人運ーみんなに助けられていることを認識しましょう
仕事運ー得られた功はあなただけのものではありません
体調運ーそのつもりになれば長寿が得られます
幸運の鍵=松葉

なんとも一風変わった内容の御籤でした。
去年すみよっさんの講演会で「松」について聞いたウンチクは
こちらから
境内に数ある松の中から、一つ松葉をいただいてきました。

えべっさんのほうえかご

2011-01-09 | 日々是好日
商売繁盛を願って毎年、1月9日宵戎、10日本戎、11日残り戎のいずれかにお参りします。

午前10時半に我が家に集合して、熟女3名で今宮戎の宵戎にお参りに。
数年前にネットで調べていて、木津の大国さんとで両参りになることを知ったので、ルートしっかり予習していきました。

地下鉄大国駅上がってすぐ国道25号線沿いに和食レストランかごのやさんがあります。
そこの駐車スペースを利用させてもらうことにして、
車を止めて国道渡ってレストラン目の前の大国主神社へ。


この大国主神社は正式には「日出大国社」(画像左)と呼ばれます。
敷津松之宮(画像正面)の摂社で、参道がクロスしてます。
境内が狭いため、そのクロスしている状況をうまく画像におさめることができません。
今考えたら、2階建てのレストランから撮影すればよかったんだ。

2009年1月11日にも同じ角度から撮影してました。
えべっさんと大国さん



かごのやさんで少し早めのお昼を食べて、そこから今宮戎まで歩いていきました。

木津卸売市場は2年前とずいぶん様変わりしてました。

どうやら新しく生まれ変わったようで、今日がその開店式典のようでした。

そこを通り抜け、南海電車の高架をくぐって、
廣田神社の前まで来るとえらい賑やかだった。
「ほえかご、ほえかご」の掛け声


大阪南地の芸妓が乗り込む駕籠のことを「宝恵駕籠」いいます。
TVニュースなどで見たことはあっても、目の当たりに見るのは初めて。
なんかうれしくてテンションあがりました。

戎橋や心斎橋商店街、宗右衛門町などの半被をそろえた集団の行列について今宮戎東門から入場しました。

検索してみたら、今宮戎神社 宝恵駕籠行列〈スケジュール〉
11:50廣田神社50m手前の角でストップし、
12:00出発
12:10今宮戎神社東門より全員入ります


こんなドンピシャタイミングなんてまずないよね。
めっちゃうれしかった。
しかしこんなに混んでたえべっさんは初めてです。
笹に飾りをつけてもらっている間も圧迫死しそうなほど押されました。

エビスには「戎・夷・恵比須」の漢字があてられます。
「夷・戎ともに異国の人の意であり、
ひいては霊界幽界から来るもの、
その異神が福を持ってくるといわれ、
市の神と崇め福の神とあがめた」と言われています。