秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

閉業のお知らせ

質店は2021年8月に閉店いたしました。 昭和21年9月創業で75年間にわたりご愛顧賜りありがとうございました。

今年最後の失敗

2008-12-31 | 日々是好日
ただいま大晦日の午後8時、「ガキの使い」見ながら今年最後のブログです。
猫たちは、喧嘩まではいきませんが、時々お互いちょっかい出しながら団らん中です。

先週つくったしめ縄に、ダイダイとウラジロを取り付けるのに1時間はかかりました。
毎年購入していたのに、実際つけるとなると、どんな具合だったか思い出せず四苦八苦しました。

 

玄関につけてみて初めて変なことに気づきました。
ダイダイの位置が上すぎてまるで頭のよう、なんか人柱に見えます。

その後ご近所のしめ縄を見たら、ダイダイは絞めた縄の下にぶら下がっていました。
こんな失敗してしめ縄としての機能は如何に?

でももう時間がないから、このままでいきます。
最後の最後まで失敗が続きます。。。

今年一年ご愛顧たまわりありがとうございました。
どうぞ来年も引き続きよろしくお願いいたします。

来る丑の年が、穏やかでつつがなく暮らせますように。

⑮鉄のルートからみた古代史(その2)

2008-12-31 | 古代史のミステリー
画像は島根県安来市植田町のかわらけ谷横穴墓から出土した金銅装環頭大刀(こんどうそうかんとうたち)です。
古墳時代後期末(6世紀末~7世紀初頭)のものだそうです。

古墳から発掘される大刀は、千年以上の時を経て錆びた鉄の塊となり、木で作られた鞘なども腐って失われるのが一般的です。

ところがこの大刀は金銅(鍍金を施した銅板)をふんだんに使った外装や刀身、
木で作られた鞘がすべて完全な状態で、発見時に鞘から引き抜くことができました。
出土品としては全国で唯一当時のままの姿を伝える装飾付大刀として、重要文化財に指定されています。

刃物の中で最高と称される日本刀。
日本刀の美しさが、平安時代後期から 鎌倉時代初期にはすでに海外の好事家などにも認められており、大事な輸出品の一つとされていました。

日本の鉄の加工技術はすごいものがあったのですね。

鉄のルートから見た古代史(その1)は、出典元・直さんの許可を得ることができましたので、削除せずに続きを書くことができるようになりました。

直さん、どうもありがとうございます。


 
3 朝鮮半島渡来第二陣産鉄族流入移動
☆天孫の進出によるオオクニヌシの出雲国ゆずり
☆神武東征による大和進出
・オオクニヌシの子タケミナカタに代表される一族は、諏訪に移動がニギハヤヒ系の一部、
長脛彦一族は、安曇続などを頼り、東方に移動したと考えられる

・ニギハヤヒ:すなわち物部氏の祖先一部残留、これが後の蘇我、物部の戦いにつながる

 
4 ヤマトタケルの遠征
☆ヤマトタケルは戦いというよりも、渡来系産鉄族の第二陣と第一陣の再結集を呼びかけるための行動であろう。
遠征経路は実に産鉄地域に一致する
ヤマトタケルは息吹山にて負傷した
呼びかけに応じない一族がさらに北方に移動し、初期産鉄族や、北方からの流入民度と混血しまい古代エミシをなしたのではないだろうか


私は大阪で生まれ育ったので、住吉大社や東大阪の石切神社も何度かお参りに行ったことがあります。
当時は古代史に全く関心がなかったので、ただ単に初詣。

しかし、その神社の成り立ちに興味を持ち始めると、
不思議の連続でした。

まず「石切さんの神さんは長髄彦」と言い伝えられていますが、国賊第一号にランクされた人物だったらしく、表にはでてきません。

「すみよっさん」は、遣随使・遣唐使の時代、古代大和王権の外交・航海の守り神でした。
ここの祭神もイマイチ理解しがたく、いずれ機会をみて、その二つの神社についてはご紹介したいと思っています。

また奈良県三輪にある大神神社、ここのニギハヤヒ。
どこから来て、その後どうなったんだろうとずっと気になっていました。

このたび直さんの「古代産鉄族の移動」によってかなりスッキリしました。
熊襲や隼人、蝦夷は学校で習う歴史に出てきましたが、天孫族に「退治」ということで追いやられたのに、ほぼ間違いないのではないかと思われました。
大和の中枢にいた人物はその存在さえも消された?

今夏8/8出雲大社特別拝観の記事でも書きましたが、
美智子皇后陛下御歌
「出雲大社に詣でて
国譲り 祀られましし 大神の
奇しき御業を 偲びて止まず」

出雲の存在と国を譲ったということを、すでに皇室は認めているということですね。
引き続き、ニギハヤヒも認めて欲しいものです。

2000年ほど前、この国にはいろんな所から稲作や産鉄の技術を伝えた部族が暮らしていた。
各地にだんだん部族から国としてのまとまりがでてきつつあった。

朝鮮半島渡来第二陣産鉄族流入移動の時期、
神武天皇は東征し大和に入り、長髄彦を滅ぼしニギハヤヒの娘を正式な皇后として迎えた。
出雲のスサノオが天孫族に国を譲ったのは。神武東征の後か先かはわかりません。

3世紀前半、場所は不明ながらも卑弥呼は存在した。
祟神天皇は3世紀後半から4世紀初頭が在位期間とされています。
となると神武はそれよりも半世紀ぐらい前でないと辻褄が合わなくなりますね。
卑弥呼と、神武天皇とスサノオってほぼ同時代?

それとも「はつくにしらすすめらみこと」という同じ名で
神武=祟神だったとしたら、卑弥呼亡き後4世紀初頭に大和平定かも??

⑭鉄のルートからみた古代史(その1)

2008-12-29 | 古代史のミステリー
この中央構造線の画像は、2006/10/24の記事で使いました。

日本の古代史に関心を持つようになったきっかけになるものです。
直感的にひらめいた思いは、2年過ぎてもっとはっきりとした形となってきました。

これから先もネット検索して、今まで知らずに来たことが判明することでまた考え方が変わるかもしれません。
とりあえず2008年もあと2日、年の区切りでもありますので、
一応現時点でのミステリー予測をまとめておきたいと思います。


日本の古代史を考えるとき、食料となる稲作の伝播は大きいのはよく存じていました。
でもどうやらそれだけではない、
いやそれ以上に金属、なかでも鉄のルートが大きな鍵を握るのではないかと思うようになりました。

この記事と次に続く後編記事に使う4つの画像はすべて
中央構造線と古代史を考える
というサイトより無断でもらってきました。

自動車用の生産設備を中心に、型や設備の設計、製造にたずさわってこられた技術屋・直さんの、
歴史学者とは違った視点の古代史の捉えかたが一番納得できました。

とても膨大な論文で、すべてを精読し理解したわけではありません。
大胆予測:古代産鉄(鉱山)族の移動
をそのままコピペし青い字でご紹介させていただきます。

 
1 長江下流、東南アジアから古代産鉄族移動
☆ 中央構造線をさかのぼり吉野に至った産鉄族(土蜘蛛族、国栖族、長脛彦の祖先など)
☆ 対馬海流にのって出雲に至った産鉄族(オロチ族 ヤマタノオロチ)
☆ 暖流にのって渥美半島に至った産鉄族(アタ族、安曇族、海人族ー尾張氏氏祖先)


この時期は、だいたい紀元前後ぐらいまでかと勝手に推測しています。
陸の道シルクロードよりも、チャイナロードといわれる海の道は、現在の私達が想像する以上に発達していたのかもしれません。

 
2 朝鮮半島渡来第一陣産鉄族流入移動
☆出雲を占領したスサノオ一族
☆大和に至ったニギハヤヒ一族
・ニギハヤヒは大和入りに際し古代産鉄族:長脛彦一族と婚姻関係を構築した
・オオクニヌシが出雲、大和三輪山に祭られるのは、渡来系出雲族と、渡来系初期ニギハヤヒ族が同属であったことを示していると考えたい
・先住産鉄族は中央構造線等を移動し諏訪、鹿島に移動?
・対馬海流にのって島根や丹後半島にも来た人たちもいた(スクナヒコなど)


「砂鉄七里に炭三里」という言葉があるそうです。
砂鉄から1200貫の鉄を得るのに4000貫の木炭が必要で、
4000貫の木炭はひと山をまる裸にするほど木を切らないといけない量で、それをわずか3昼夜で使ってしまう、
そうした木炭の輸送に伴う困難を物語る輸送限界を示す言葉だとか。

古代、製鉄には大量の炭を必要とし、良質の炭と樹木の復元力のある土地でなければ鉄は出来ない時代が中世まで続きました。

砂鉄の採れる場所を求めて、そして木炭の補給が簡単な場所を求めて移動した?

中近東が砂漠になったのは、レバノン杉の伐採によるところもあると高校の歴史で習ったような。
日本は丸裸になった山もすぐに樹木が育つモンスーン気候でよかったわ。

⑬世界の7大不思議・さびない鉄柱

2008-12-29 | 古代史のミステリー
小学校の頃、学童向けに書かれた雑誌にはよく「世界7大不思議」なんて記事が特集されていて、子供心に興味深々でした。

確かインドかどこかにさびない鉄柱があったと書かれてあったような・・・
かすかな記憶を頼りに検索して、見つけました。
その名は「錆びない鉄柱 アショカ・ピラー」

対象物が作られた当時の技術では製造不可能な、遺跡や発掘物のことをオーパーツといいます。
この鉄柱は今ではさびないメカニズムが解明され、オーパーツから外れたようではありますが。

インドのニューデリー郊外のメラウリにあるイスラム教寺院「クトゥブ・ミナール」
ここの中庭にアショカ・ピラーといわれる鉄柱がたっています。

高さ9mうち地中に2m、直径44cm、重さ6トン
この鉄柱は紀元415年に建造され、インドのモンスーン気候の強い風雨や高温にさらされながらも1500年以上さびないんだそうです。

数年前インドを訪れたとき実際見てこれたのに、
当時はこのことを知らなかったので行ってません、残念!
画像は検索でもらってきました。

さびないステンレスは1913年ドイツで開発されました。
ニッケルやクロムをたくさん含有することでさびないとか。
あるいは実験室で高純度の純鉄とすることでさびない鉄ができます。

これだけの大きさを持った超高純度の鉄は現代の技術を持ってしても作れず、
アショカ・ピラーの実際の純度99.7%では鉄は簡単に錆びてしまうそうです。

この地方で産する鉄は不純物としてリンを大量に含んでおり、
製造過程で鉄柱を叩くことにより、錆びにくいリン酸鉄となって表面を覆っているのでさびないという説が有力らしいです。

でもそれならなぜ他に同様な鉄製品が残ってないのでしょう?
またリンを含みすぎると鋼材は脆くなり形を留め難くなるという
微妙な配分加減を知っていたためここまで形を保っている、ということもスゴイ!

サンスクリット語の碑文や、鉄柱頭の部分がアマラカ様式であることから、アショカ王により平和祈願を目的として製作されたものと推定されています。
しかしアショカ王の在位期間はBC268-230年頃なので時代的に合わない。
1500年前に現在の地に誰かが移築したんでしょうか?

これだけの巨大な物体を鋳造したり、動かしたり、
それだけでもさびない鉄柱はオーパーツの一つですね。


加熱しながら鍛えた鉄が錆びにくいことは経験上知られていたようで
古代の鉄でダマスカス鋼が錆びない鉄として有名です。
鉄柱もダマスカス鋼ではないかとも言われているようです。

しかしダマスカス鋼は錆びにくいというだけで、全く錆びないというわけではなく、同じく鍛造の日本刀も手入れを怠れば錆びます。

初めて鉄を生産したといわれる鉄の民ヒッタイトは滅びた後、散り散りになりシリアのダマスカスや、インドのアショカ・ピラー、そして極東の日本までその技術を伝えたのかもしれません。

南天苑でほっこり

2008-12-27 | 日々是好日
年末のあわただしい時ですが、定額給付金を当てにして
今年の疲れをとるために温泉4回入ってきました。

平日のほうが3000円もお安くなって1泊2食で12600円。
高校時代の友人と近場の温泉探して行ってきました。

金曜夕方3時44分、地下鉄守口駅より乗車、
天神橋筋6丁目で堺筋線に乗り換えて終点が天下茶屋。
ここで南海高野線の急行に乗りました。
河内長野より4駅先の天見駅に着いた時は午後5時、
日も暮れて、雪がちらほら。
同じ大阪といえども気温はぐんと下がります。

初めて下車した駅で不安でしたが、線路沿いに歩いて1分、
南天苑」は超便利な温泉旅館です。

 

朝明るくなってからの画像が↓
 

この南天苑本館は国登録文化財だそうです。
大正2年(1913)堺市大浜公園に建設した娯楽保養施設「潮湯」の個室風呂や休憩室だったそうです。

昭和9年(1934)室戸台風で損壊したのを機に、現在の場所に移築されたようです。

 

大正・昭和初期の建築様式をしのばせる貴重な建物だとかで、中の調度品も年代物が数々見られました。

高野山参詣のための温泉旅館は、四方を山に囲まれた豊かな自然の中に3000坪に及ぶ日本庭園で、建物の周りをぐるっと庭がとりまいています。

 

残念ながら温泉は撮影できないので、南天苑のサイトでご覧下さい。
天然ラジュウムを豊富に含む温泉で、強い発汗作用で美容と健康にすぐれた効果があると聞いたので、4回も入ってきました。

河内長野市内では最古の天見温泉の歴史は南北朝時代にはじまったようです。
「諸国より高野山へ巡錫する僧徒をはじめ善男善女登山の途次は極楽寺に参詣して序(ついで)に 浴するもの多く俗に極楽風呂と称し広くその効能を認められ」云々と伝えられています。

近場の方、おススメです!

招福鍋

2008-12-27 | ケータイ・スマホから
昨夜訪れた、大阪府河内長野市天見の旅館は、ソフトバンク圏外で携帯使えませんでした。
今朝駅についてやっと送信できました。

ココからPCで追加します。

「難を転ずる」縁起の南天の木から名づけられた「南天苑」
招福来々を願って「招福鍋」を食べてきました。

 

味噌に炒った榧(かや)の実をすり潰して混ぜた榧味噌仕立て。
招福丸餅、鴨、海老など魚介類にネギやごぼうなど具沢山で、普段粗食なもんで全部食べ切れませんでした。
厄除け開運に支障きたしただろうか・・・



宿について最初にいただいた、はす茶と緑豆の和菓子。
湯飲みも風情あるものでした。

 

朝のお食事、ご飯が美味しくてついついおかわり。

白い歯キラッ☆

2008-12-23 | ケータイ・スマホから
最近芸能人の歯がきれいで歯が白く輝いています。
あの野球の新庄選手もそうでした。
日曜午後清原選手の特集してましたが、過去映像見ると歯が違ってました。

この年末のややこしいときに、差し歯が取れました。
昨夜ガムを噛んでたらぽろっと。
なんでよりによって今やねん!!!
これを持っていったらまた使ってくれるだろうか・・・

歯医者さんはセラミックの差し歯の色を決めるとき、
年をとると歯も黄色くなるから、他の歯に合わせるとこの色になると悲しいことを言われました。

芸能人の白い歯、年を重ねてシワだらけの顔になった時も、白い歯が輝いているんですね。

しめ縄づくり

2008-12-21 | 日々是好日
年の瀬が押し詰まった頃、毎年スーパーで1000円ぐらいのしめ縄を購入していましたが、12月の市広報に、しめ縄作りの呼びかけがあったので友人3人で参加してきました。

会場はもりぐち歴史館「旧中西家住宅」
10年前に市有形文化財に指定されたのは知っていたけれど、今まで訪れる機会がありませんでした。

 

16世紀中頃この地に住居を構えた中西家は、尾張徳川家と姻戚関係を持ったことから尾張藩天満御屋敷奉行などを勤めた河内きっての名家の一つです。
在郷の武家屋敷として貴重な遺構らしいです。

かまやなどのある土間で、近くの農家からいただいたわらで作ります。
指導してくださる砂原氏に、わらを締めるのに足や膝を使うけれど
「靴は脱いでよ、神事やからな」と注意されました。

 

年神さまに来ていただくために、しめ縄の締める向きを間違わないよう気をつけて作りました。

靴下だけでなくセーターや黒のパンツもわらまみれになりました。
今晩は忘年会に出かけるので今日の服を決めたけれど、
わらを扱うのをすっかり失念してました。

出来たぁ~!!
 

歴史館の館長さんは、「バランス悪いですね」と作り直してくださいました。

年末にウラジロとダイダイを買ってきて、完成したらまたご紹介します。

丑張子絵付け体験

2008-12-20 | 日々是好日
公民館の「張子絵付け体験」に誘っていただいたので参加してきました。
出来上がった張子に絵付けするだけですが、
好きな地色を塗って、その上に絵を描いてくださいって言われると戸惑います。

仕事を抜けて行ったので、とりあえず1時間で仕上げてきました。
セロファン袋にいれてもらうとそれなりに。

皆さん、それぞれ思い思いの作品ができつつありましたが、最後まで残れなかったので完成品を写せなくてごめんなさい。

 

 

 

久々にスカッとしました

2008-12-18 | 世情雑感
今晩7時からサッカー「クラブW杯・準決勝」を見るために、それまでに夕飯済ませてテレビの前で応援してました。

5対3で負けはしたけれど、いい試合でした。
久々に見てても楽しいゲームで、こんな立派な試合ができるガンバでうれしかった。

マンチェスター・ユナイテッドの応援している、日本人の子供が映るとちょっとムッときましたけど。
日本人なら日本チームの応援してほしいよ。

実はサッカーファンなんです。
Jリーグが発足して以来、毎週サッカー番組のうち、タカ&トシのと、加藤さんのと、矢部さんのとほぼ欠かさず見てるぐらいです。
実況中継される日本戦ともなると、深夜でもみることあります。

強烈ガンバファンでもないけれど、何度かガンバ大阪の万博にあるサッカー場へ足を運んだこともあります。

以前ワールドカップで日の丸を背負い活躍した、稲本・宮本・大黒選手、海外へいかんとガンバでがんばってればよかったのにね。
そしたらマンUと自分のチームで闘えたのに。

それにしても遠藤選手、ころころPK決まってよかった。
シュート決められたゴールキーパーの、プライド傷ついた顔おもしろかったです。

途中出場のルーニー選手はさすがにうまかったけど、熱くなりすぎて安田選手をけっとばしたのはいただけませんね。

ガンバのどの選手も前向きでアグレッシブで、自分よりもでかい選手相手にひるまず臆せず、勇気を与えてくれました。
皆モンゴロイドのサムライ、いい顔でした。

次は、パチューカに勝って3位決めてください。

年賀状イラスト

2008-12-17 | 日々是好日
あっという間に今年もあと2週間で終わり。
ホント月日の流れは早いです。

そして年末の恒例行事、年賀状もついつい先延ばし。
でも同じ届くなら元旦にしたいので、昨夜がんばって作成しました。

家のノートPCにはプリンタを繋いでいないので、
データを店のアドレス宛に送信して、今朝確認するとソフトが入ってないので開くことができませんでした。

やむを得ずにまた新たに作り直し。
昨夜の1時間あまりの時間返して欲しい~
まぁ人生無駄はないというから・・・

「赤べこ」画像をネット検索でパクって、
これは人聞き悪いですね。
無料でダウンロードして頂戴し適当に加工して、ただいま印刷中です。

赤べこは厄除けと招福の意味をもつらしいので、
ダブルになるよう2つ並んだものにしました。
 
 

金とプラチナ逆転

2008-12-16 | シチの目
地金買取業者3店より毎朝、その日の買取価格一覧表がFAX送信されてくるので、それを参考に金やプラチナ貴金属の買取や質預かりをしています。

3店のうち1店はすでに12月初めより、プラチナは金より安くなっていました。
そして残り2店も先週末より、プラチナ価格は金より下回っています。


中国、インドだけでなくエジプトでも、装飾品は金製品がほとんどです。
ヨーロッパでも銀細工はたくさんありますが、それほどプラチナに固執しない感じがしていました。

でも日本人はプラチナが好きです。
ホワイトゴールドはプラチナが高くてやむをえない時という感じだったと思います。

ところがこのたびの価格逆転、この先どうなっていくのでしょう。
あのお盆前の高値の時に、全部売っておけばよかったと悔やまれます。
プラチナはお宝という意識が強かったのに・・・

⑫鉄の民・壮大なロマン

2008-12-14 | 古代史のミステリー
たまたま郵便局へ行くと、近代製鉄発祥150周年の記念切手が目に留まりました。
近代と名うちながら、古代のキャラクターが面白く買い求めました。

高校時代、世界史の時間に初めて「ヒッタイト」のことを習いました。
そのいかにもという名前と、
青銅器時代に最初に鉄を使い始めたこと、
古代エジプトのラムセス2世と闘った強い国だったこと、
長く記憶に残る民族でした。

ヒッタイトは紀元前1680年頃に王国を建国し、後にメソポタミアなどを征服、紀元前1190年民族分類が不明の「海の民」によって滅亡。

3000年もの長い間、歴史の表舞台から完全に消え去り忘れ去られていました。
その存在は1905年のボアズキョイの発掘で確認され、
「その国は、まるでまったく存在しなかったかのよう」
と言われているそうです。

その時代、鉄は金の五倍、銀の四十倍もの価値があったらしく、
ヒッタイトが滅びるまで鉄の製法は秘密にされました。
そしてヒッタイトの崩壊を契機に製鉄技術が世界各地に拡がっていきました。

このヒッタイト国のあったところは、トルコのアナトリア地方。
ヒッタイト滅亡後、BC12-8世紀トルコ東部に古代王国ウラルトウがおこりました。

ここで世界最古の石臼が発見されています。
石臼は、円柱形の2つの石を重ね石の間の隙間に穀物を入れ、石を回転させて穀物を粉にする道具です。
ちょっと昔には日本でもあちこちで見られましたね。

製鉄技術や石臼など、極東の日本へいつ頃伝わったのか・・・

遠い昔、日本民族の源流である東夷族が
ユーラシア大陸を駆け抜け、シルクロードを所狭しと疾走した姿を想像すれば
船を繰り出して中国大陸沿岸を周回し、時には揚子江を遡り、時には黄河を遡った勇姿を想像すれば
いまでは小さな島国に押しこまれてしまっていますが、
なんと壮大なロマンであることでしょう。

日本人がシルクロードに魅せられるのも、
はるか昔の記憶にあったりするのではないでしょうか。

今年最大の満月

2008-12-13 | 日々是好日
今宵の満月は今年最大らしいです。
残念ながら、うす雲が空を覆って見えないので、
仕事帰りに撮影した駅前近辺のイルミネーションの画像にしました。

日中は気温も高く風もなく、なかなかいいお天気でした。
朝10時から鶴見緑地でパークゴルフのコンペがありました。

 

緑がきれいだった木立もまだかろうじて枯葉が残っています。
この時期に撮影することはあまりなかったなぁ~
とシャッター押してきました。

 

芝生も枯れてグラウンドがむき出しになってくると、
2ヶ月前と同じ感触で打つととんでもないことになります。
結果は悲惨でした。

2008-12-10 | ケータイ・スマホから
午前9時ごろの守口はものすごい霧でした。
だいぶ薄くなってますけど、起床した頃はもっとすごかった。
大阪は風土的にそれほど霧が発生しないところなので驚きでした。

ネット検索したら、JRでかなり遅れがでたようですが、北摂地域だけの局地的濃霧だったようです。