秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

閉業のお知らせ

質店は2021年8月に閉店いたしました。 昭和21年9月創業で75年間にわたりご愛顧賜りありがとうございました。

百舌鳥八幡宮の大楠

2014-06-30 | ケータイ・スマホから
堺市博物館のある大仙公園からJR阪和線の線路越えて東へ少し行くと
百舌鳥八幡宮があるのを地図見て発見したので寄ってみました。








樹齢700~800年ぐらいらしいです。
あまりに立派で木の周りをぐるぐるまわってしまった。
本殿では結婚式挙式中でした。

堺仁徳陵と自由都市

2014-06-29 | おでかけ・近畿
堺市博物館行ってきました。
グッドタイミングで12分間のビデオ放映が始まるところに入場できました。
空から見た古墳群、大阪南部の地形とかよくわかりました。
入場料わずか200円で立派な施設でした。



元のパネルは


1669年、東インド会社のモンタヌス日本誌の挿絵として用いられた地図。

オランダのラテン語学校の校長先生の書いた本 です。

モンタヌス日本誌が詳しくわかるサイト→こちら
挿絵がいろいろ見れて楽しいです。


堺 Sacay
Meaco 京のみやこ
Tamba 丹波
FArima 播磨
Vigo 備後

そのようにオランダ人には聞こえてたのでしょうね、興味深いです。



公式キャラクターは、サカイタケル くん




堺市博物館見学後、仁徳陵にご挨拶。
やっぱりデカかった。

薬物乱用防止教室に向けて

2014-06-28 | 保護観察


去年、大阪府薬物乱用防止指導員の委嘱を受けて、
担当したのは、「いのちのまつり」という絵本の朗読でした。
今年はわずか15分ほどですが話さないといけません。

会場は守口市第四中学校で、来月3日の6時間目です。

先だっての脱法ハーブの悲惨な交通事故のニュース、きっと中学生も見聞きしていることでしょう。
話の導入部分、きっかけにしたいと思っています。



行きはよいよい帰りはこわい★新滝道

2014-06-27 | おでかけ・近畿
今日は金曜日、日曜日に出かけてすでに5日たつとかなり忘れてます。
何時に出発とかあのときは時計確認したのに、すでに忘却のかなたです。



雨が上がればなんとか歩けそうだと、
地図をみて一番近そうな新滝道を下ることにしました。

けっこう急な階段で、少し暗いのも気になるけど歩き始め5分ほど行って、
視界が開けたところで、びっくり仰天、鹿がいました。


昼ごはんを食べた能勢電鉄妙見口駅前の食堂で、店の人とお客さんが最近いのしし出た話されてました。

鹿ならまだいいけど、猪でたらどう逃げるか話しながらまたもどんどん下る。


下れど下れど視界が開けた地には出ません。
小川に沿った渓道なもので足元あまりよくなくて、昨夜からの雨で濡れてる所はすべるし。
どこかに腰をおろして、ムカデとかに遭うのもいやだった。



階段や坂を下るのは膝にきます。



能勢妙見山公式サイトには、この新滝道は昔の参道だと書かれてありました。
だから、廃屋やこうした石碑が所々で見られるのですね。


ケーブル黒川駅の右側から登山道に入り、ほぼケーブルに沿って急な通が続くが、きわめて登りやすく、六百六十メートルの山頂へは最も近道で、約一時間半弱のコース。
谷川のせせらぎを聞きながら、夏季には赤いツリフネの花を見ることが出来る。



20分ほど下ったところで、下から上がってくるおっちゃんに会いました。
両手にウォーキングポールを持って軽快に歩かれる同世代の様子。
あとどれぐらいでしょうと尋ねると、もう少しですよと言われた。

しかしこれからあと30分は歩いたのだった。



やっと雄滝行場の鳥居
上り口側から見ると




スズメバチに注意と書かれてて肝冷やす。

また少し下ると、立派な社殿が見えた。


これがNさんの実家、白滝稲荷神社なんですね。
もう足痛くて、さらに階段参道下ってお参りする気力体力はなかった。

すると、宅配便のお兄さんが重そうな荷物下げて登って来られた。


いつもこんな風に配達するのですかと聞くと、
いやぁ~初めてなんですよ~
この先に休憩所みたいなのありましたかと逆に尋ねられた。
「たまや」さんって言うんですけどね。

さぁて、あの雄滝行場のことなんだろうか??



この鳥居をくぐったら、宅配便業者のトラックが見えた。


まぁなんと、あんな所から荷物下げてこられたんだ…。

ケーブルの駅にやっとついて、時間を見たら50分経過してた。
のぼりならもっと時間かかって1時間半というのも納得するほどの急な坂道だった。

休憩する場所もなく、さらに能勢電鉄の駅目指して歩く。



やっと休憩ベンチが見つかったので、里山の景色を眺めながら一息いれる。

また歩き出すとたまやさんがあった。


あの宅配便のお兄ちゃん、ケーブル駅から上と下、まちがったんじゃあないの??


妙見信仰と能勢のいやいや法華、そして『切竹矢筈十字』

2014-06-26 | 古代史のミステリー
里山ぐるっとパスでシール式の開運お守り札がもらえました。

もともと能勢電鉄は能勢の妙見さんにお参りするひとのために開通したらしいです。
そういう歴史もあって、鉄道のお得なレールパスにサービスとして付くのですね。


出会いの鐘を鳴らそうというオリエンテーリングもありました。




山門くぐると想像以上にこじんまりしてました。






日蓮宗のお寺ですが鳥居があります。
明治の廃仏毀釈でかつての神仏習合のなごりでしょう。

現在は北の方角にある眞如寺というお寺の飛び地境内となっており、
正式には「無漏山眞如寺境外 仏堂能勢妙見山」です。

能勢妙見山の始まりは、1603年(慶長8年)、能勢頼次公によります。

能勢地方は、領主能勢氏が妙見山の日蓮宗に帰依した際 領民にもそれを強制したので『能勢のいやいや法華』と呼ばれるとか。


能勢氏と妙見山の歴史は→こちら


妙見さんって、北斗星・北極星の信仰に始まる星を祀る信仰だと思ってました。
だからこちらの印も星のようなのかと。
しかしどう見ても十字架クロスに見えてしまうなぁ~

江戸期以降の能勢氏の家紋は『切竹矢筈十字』(能勢妙見山と同一)



津本陽さんの「下天は夢か」20年以上前にベストセラーなったときに読みました。
織田信長が、朝廷の権威をものともしなかったこと、
そしてあらゆる宗教勢力と戦ったことがとても印象的でした。

一向一揆、比叡山焼き討ち、石山本願寺の顕如など歴史で習いました。
そしてキリスト教の布教も着実に根を下ろしていたのです。

現在放映中のNHK大河ドラマ、黒田官兵衛は荒木村重の有岡城の牢獄から助け出されました。
あの時代、摂津はかなりキリスト教が普及していたように描かれています。
キリシタン大名の高山右近はもちろん、明智光秀の娘・珠(たま)は細川ガラシャ名のキリシタンで有名です。

摂津も能勢もキリスト教徒が多かったのです。
キリスト教禁止に伴い、頼次は能勢一帯の神社仏閣を日蓮宗に改宗させました。
頼次は能勢妙見山を篤く信奉していたことから、
領民に対する改宗の強要も強引なもので『能勢のいやいや法華』の言葉が伝わります。
しかし、隠れキリシタンも多く居て長崎地方をしのぐ数の隠れキリシタンの遺物が発見されているそうです。

能勢氏の家紋『切竹矢筈十字』もやっぱりクリスチャン?

*宣教師フロイスの「日本史」には、能勢一族の中で洗礼を受けた者の記録があり、フロイス自身が妙見山の北東の集落まで来て洗礼させたとのことです。


織田信長の時代、摂津国能勢郷を領していた能勢氏の祖は、清和源氏源頼光。
大江山の鬼退治で有名な頼光は、清和天皇の曾孫に当たる多田満仲の長子。
その子頼国の時に能勢に移住し、以来能勢を氏としたと伝えられています。

一方明智家も同じ流れです。

能勢地方は、明智光秀の亀岡もめっちゃ近いです。
そして関係も深かったのでした。
本能寺の変では明智方についたため、豊臣秀吉に神社仏閣に至るまでことごとく焼き払われます。

備前まで落ち延び日蓮宗のお寺に落ち着きます。
家康が京都の実相寺という日蓮宗寺院で休憩した時、たまたま実相寺の住職が能勢頼次の弟でした。
こうした縁で、頼次は家康に召し抱えられることになり、関ヶ原の戦いで徳川軍として大きい戦功を立てます。
その功により家康からかつての能勢氏の旧所領を回復されました。

こうして、能勢の妙見さんが開基されることとなりました。


妙見菩薩は天部の神であり、北極星を神格化したものです。
災厄を防ぎ、福運を招く霊験があるとされています。

能勢氏の家鎮として古くから祀られていた「鎮宅霊符神」を法華経のご守護神「妙見大菩薩」として祀られるようになったのです。

ときすでにキリスト教の布教に逆風が吹いていました。
1587年 豊臣秀吉によるバテレン追放令
1612年及び1613年 江戸幕府によるキリスト教禁止令

こうした時代背景の中で、能勢氏は生き延びたのでした。
『能勢のいやいや法華』『切竹矢筈十字』はつながってますね。


時代はうんとさかのぼりますが、奈良時代の行基さんがこの山開かれたのでした。
行基が大空寺を建てられたのが、当時の為楽山(現在の妙見山)の山頂666mだとか。


妙見山のすぐ北隣には、歌垣山もあります。
万葉の時代より男女が集まり「歌合わせ=かがい」が行われた山で、
関東地方の筑波山、九州地方の杵島岳と並ぶ歌垣三山のひとつです。

能勢ってなんか深~い歴史のある所でした。

青いドームに覆われたような能勢の妙見さん

2014-06-24 | おでかけ・近畿
日曜日朝のうちは雨だったので、カメラレンズに水滴付いてたのでしょうか。
画像を見ると上に青いドームのような覆いのように写っていました。



能勢電鉄の妙見口ついたのが11時半ごろだったので、駅前で食事して
そこから歩くこと20分ほどで黒川ケーブル駅に着きました。



ちょうど12:20発のケーブルが発車寸前だったので乗り込みました。



5分ほどで山上駅に着き、妙見の森ふれあい広場をつっきるとリフト


両側にあじさいが植わっていて、もうすぐ満開です。






10分は乗ったでしょうか、とても長い時間に感じました。
鳥の鳴き声が響き渡るだの静けさがエアポケットに落ちたかのよう。

妙見山駅についてしばらく歩くと、ブナ林がありました。




この二つの木は違った種が合体してるようです
が、もっとスンゴイブナ林を想像してました。

元の参道に戻り少し歩くと、やっと妙見さんの鳥居


参道をまた少し行くと、星嶺「せいれい」に度肝を抜かされた。




高松伸京都大学教授設計による信徒会館だそうです。


いよいよ山門



山門が大阪府と兵庫県の府県境にあります。


つづく



能勢妙見山のあじさい祭り

2014-06-22 | ケータイ・スマホから


朝起きたら雨でした。
午前9時、友人からどうする~って電話ありました。
午後から晴れることを願って強行出発となりました。

梅田でぐるっとパス¥1500購入したら、阪急の駅どこでも途中下車可能。

服部天神で下車して、足の神様服部天神宮にお参りし、妙見口に着いたら雨上がってました。

お昼ご飯先に済ませて、ケーブル、リフト乗り継ぎ妙見山へ。
雨に濡れた紫陽花もきれいでしたが、とても静かでうぐいすや鳥の鳴き声だけが響き渡ってました。

背中の一本線

2014-06-20 | ケータイ・スマホから
ギリシャ戦勝てませんでした。
相手は一人退場してたのにね。
残念。

この前のコートジボワール戦から気になってるけど、ユニフォームの背中の一本線、
洗濯とかではげてるように見えました。
最初から筆で書いたようにデザインしてたとは(≧∇≦)

「円陣」をコンセプトにしたユニフォームの背面には、全ユニフォームの象徴である「結束の一本線」を継承。
毛筆で書かれた一本線は、選手とサポーターの強い絆と勝利への強い想いを表現したもので、
選手がピッチ上で「円陣」を組んだ際にひとつの大きな輪となるようにデザインされています。


説明聞くとへぇ~そうだったのか、
でも何にも知らないものが見ると、なんか背中に落武者みたいな変なもの背負わされてるような。

郷土のうまい弁当また見つけた(*^◯^*)

2014-06-18 | ケータイ・スマホから
午前中サポートセンターの当番が午後1時まで。
1時半には4中で、薬物防止教室の打合せあります。
で、近くのローソンへお弁当買いに行ったらありました!

今日のは、青森産帆立のちらし寿司。
税込530円です。





サポートセンターは5階にあるので見晴いいです。
北向いたベランダから淀川越しに高槻方面を撮影しました。

たぶん盛夏には西北に淀川の花火見えるかも。


原の辻遺跡の鳥居の原型

2014-06-17 | 旅・九州
唐津からフェリーで印通寺港について、バスで15分ぐらいで原の辻一支国王都復元公園に到着。



想像以上に平たな地が広がっていました。
現在は農漁業で100%自給自足できてるそうです。

バスガイドさんの説明を受けてから自由見学。
ツアー41名のうちほとんど女性しか写っていませんが、今回は男性客多いなという印象でした。
60代のご夫婦に混じって男性だけのグループも見かけました。
唐津のホテルでは千葉からのお客さんと一緒で、なんとバス2台の人気ツアーのようです。
今、壱岐は人気観光地なんですね。






ここから宗教的ゾーンの区切りに木が二本立てられ、上に鳥が居ます。
まさに鳥居ですね。


黄色い花が咲き乱れ、オオキンケイギクと聞きました。
これって外来種であちこちに広がって在来種を全滅させるのですよね?

ガイドさんの左横遠景に、山の上に白い建物が見えます。



一支国博物館です。
入場料わずか400円、団体なら320円。
限られた滞在時間ゆえ、他の見学削ってでも個人で来てたら絶対行くのにね。


原の辻遺跡は、今から約2000年前の弥生時代に栄えた多重の環濠を持つ集落です。
魏志倭人伝に記された国の中で、唯一、国の場所と王都の位置の両方が特定されているのがココ、原の辻遺跡です。

公園の散策見学終えてバスの乗る前に見たのは


最初に気付いてたら、もっと慎重に歩いたと思う。



天満界隈の焼肉番長

2014-06-16 | ケータイ・スマホから


Mさんのお誕生日を祝って焼肉という企画、ご本人来れなくて
とりあえず行こうと、昨日午後天満界隈案内してもらいました。

ヘビーな下町にちょっとビックリ。
天満卸売市場の先にその焼肉やさんがありました。
カキを焼いて食べさせてくれる店や、イタリアンなどいろいろ並んでます。

ビニールカーテンがしきりです。
炭焼き七輪がテーブルにセットされますが、排気は上々でけぶってません。

午後1時過ぎから3時間以上、昼間はビール半額に乗せられて、… 。
ビール飲み過ぎて頭痛くなったのは初めてのこと (≧∇≦)
飲んで食べて、さすがに夕食も食べれませんでした。


W杯パブリックビューイング@守口駅前

2014-06-15 | ケータイ・スマホから


前半35分経過したところで駅前見に行きました。
守口市サッカー連盟が500名は集めたいと事前に聞いてたから。

今日は父の日で近隣小学校が参観日、
サッカー好きは他の日に参観日設定して欲しかったでしょうね。
日曜午前中に日本がかかわるビッグな試合、この先もそうそう無いでしょう。

名前も形もカワイイ呼子遊覧船、そして唐津

2014-06-15 | 旅・九州
今日は10時からW杯日本×コートジボワール戦が始まります。
それまでに、ちゃっちゃと旅のレポート続きを。

玄界灘のグルメ?旅、6月8日16:30の七ツ釜遊覧船が予約されてました。

ところが


外海の波が高いので湾内遊覧だけになってしまいました (><)
七ツ釜は玄武岩の断崖絶壁にできた海蝕洞窟が海側から見ると釜のよう。
その洞窟に入るという遊覧です。

乗船料金個人なら大人1,500円(団体料金は確認してません)
後で100円返してくれましたが、これがメインなんだから500円ぐらいは返金されてもいいと思うけど。

10年ほど前に、南イタリアのカプリ島「青の洞窟」も波が高くて乗船できなかった。
こうした洞窟遊覧は縁がないようです。

私たちが乗船したのは、イカ丸で、海中展望船はジーラ。

海上ですれ違った時にシャッターチャンス逃して残念。
最初のポスター撮影画像でみてください。
くじらの形をデフォルメしたデザインが洒落てます。


桟橋に横付けされてた「どんがめ」
貨物フェリーのようですが、なんともすごいネーミングです。




湾内の波はたいした高さ無いので、なんで七ツ釜行ってくれへんのと思いましたが、


少し外海近辺行くと、すでに波は2m近くなってて納得。


呼子大橋下に弁天島




対岸のいか活け造りレストラン通りの海舟で夕食後、バスに揺られ宿舎へ。


車窓より唐津城が見えました。
複製だそうです。

宿泊地は唐津ロイヤルホテルで、すぐ近くが虹の松原、名勝地です。


台形の島がたぶん、高島で、ココには宝当神社があり、金運にご利益あるそうです。

ホテルで見かけたポスター




ロビーに展示されてた唐津くんちの数々






唐(から:韓・唐)などの大陸との窓口(津・港)だったから、唐津。

魏志倭人伝に記述のある末盧国は、唐津市がある東松浦半島に比定されています。

時代は進み、豊臣秀吉は1591年(天正19年)文禄・慶長の役(朝鮮出兵)の拠点として名護屋城を築城したのが呼子の名護屋地区。

茶碗は古くから「一楽二萩三唐津」と称される、その唐津。
元寇はもちろん、戦国時代から安土桃山時代にかけても唐津は戦略的にキーポイントだったのですね。
茶湯で唐津焼がもてはやされたのもなるほどと思えました。

外津大橋を渡れば、玄海原発があります。

唐津は、昔も今も話題に事欠かない地のようです。

二度目の大宰府★梅核に天神様の寝てござる

2014-06-13 | 旅・九州




大宰府天満宮、二度目の参拝です。

同行のAさんが撮影した画像送って下さいました。
今、人生で妊婦さんのときについでの体重の画像、記録残しておきます。


最初の太宰府天満宮参拝は、2006年3月5日。
九州北部のお雛様をめぐるツアーに参加したら行程に組み込まれてました。
その時の記事は2006年3月7~9日に書いてます→ 3月7日に書いた日記はこちら
当時は1記事に複数画像の投稿の仕方を知らなかったのでした。


やはり二回目ということもあり、神様に興味あるのと無いのと大違いで見方が違ってました。
新しく目にとまったものがありました。


千年のくすのきというだけあって立派です。
本殿の裏側にあります。

右手のほうには包丁塚や筆塚あるのですが、その並び手前にひょうたん掛所。


古来、神苑の梅の木の下でお酒を酌み交わすと厄をのがれるという信仰があるそうです。
厄除け祈願に授かった厄晴れひょうたんの中に願い事を書いた紙を入れて自宅の神棚に祀り災難よけを祈る。
そして厄晴れの際に、そのひょうたんをここに掛ける慣わしらしいです。

なんかひょうたんって、以前記事にしたことありますが秦氏つながりですよね~
   まむ多の楠どらと茨田堤


続いて、梅は、御守り「梅守」としても販売されていまして、
飛梅を使ったものはプレミアム価格でめっちゃ高いとバスガイドさんの説明でした。

2014年06月02日 西日本新聞
太宰府天満宮で飛梅ちぎり 211個、天神様が宿るお守りに
ご神木「飛梅」の実を採取して奉納する神事「飛梅ちぎり」
今年は、神事までに自然落下したものを含め、計211個の飛梅の実を採取。
昨年は794個と異例の豊作だったが、今年は例年並みという







梅は食うとも核食うな、中に天神寝てござる

このブログにも時々ご訪問いただきコメント残してくださる
吉田一気さんが少彦名神について考察されたページ

そこから一部抜粋させてもらいます。

「枇杷や梅の種の中にはアミグダリン(レートリル B17)という成分が含まれ現在では癌の良薬と云われている。
またこの効能としては免疫力を強め鎮痛殺菌作用があるとも云われており、古来より薬として使われていた。
少彦名神は薬神であるが、この種の作用は少彦名神由来と信じられ、枇杷や梅の種を「天神さん」と呼んで大切に扱ってきた。
ところが祟り神の菅原道真公が天神名を乗っ取ると
種の「天神さま」も良薬から毒性の強いシアンが強調され毒物として敬遠されるようになってしまう。

筆者も幼少のころは梅の種は毒と言われて食べてはいけないものと教えられてきた。
現在では種2~3個では科学変化で発生する青酸ガスも危険レベルにはならないことが分かっている。
それどころか、良薬として癌予防に効能が非常に顕著であり、健康食品としても薦められる。

少彦名神の神霊が宿るとされる種の効能が見直されてきたことは喜ばしい限りである。」